注)以下の文章はコジマファン以外の人が描いています。
注2)自分は小島監督のゲームを一つもクリアしていません(実生活で色々あって途中で投げてます)
注3)昔描いた下書きを公開しているので今見ると「そんなこと言うほどのことか?」ってことですが、供養にアップロードしたい。別に面白いこと言ってないので別に読まなくてもいいです。
小島監督について。
スネークや、今公開されようとしているストリングス?を作っている。
シリアスなゲームを作っている。
それらを見て、違和感を感じたことがあります。
僕はいわゆるなろう小説を全面肯定していて、娯楽は読者が(あるいは作者が)気持ちよくなるために存在していると思います。
つまり試練がかるすぎる、という意見がありますよね。
その一方で、山あり谷ありであるべきだという意見があります。
重ければ重いほどいい作品みたいな風潮があると思います。
メタルギアもそういったシリアス目な話です。
戦争をテーマにしている以上それは避けられないのかもしれませんが
割とリアル目な話で、主人公スネークが拷問されることとか、えぐい描写が散見されます。
(その一方で、ギャグとかもありますが)
それに対し思ったのが、ゲーム性が面白いから売れている一方で、そういったシリアスな要素をなくせばもっと売れるのでは?と思うのです(冒涜と言われても仕方ありませんが)
そして、そのシリアスな要素は、監督の慈悲のようなものから生まれているのかなと。
戦争は確かに惨劇を生みますが、実際物語や娯楽としてみた場合、そういった心をえぐる描写は極力少なくして、『爽快な話』に仕上げ勝ちです。そのほうがなろうみたいに気持ちいいから。
でも、そうやっていく一方で、リアルな話になりますが、戦争の悲惨さみたいなのは薄れてくるのではないかと思うのです。
むろん、戦争は再び起こさなければ、こんなことはいらぬ懸念なのですが、もしかすると娯楽により悲惨さが薄れたことによって、再び人は戦争をしでかすのかもしれない、そう監督は思ったのではないでしょうか?
だからこそ、メタルギアシリーズの中で、悲惨さというものをきちんと伝えているのではないか?
あとの時代になって、戦争の悲惨さを学ぶために彼はそういったシリアスなシリーズを作ったのではないかと思うのです。(かつ、プレイして楽しいからこそ、メタルギアが陳腐化することはおそらくない)
そう見た時に、新作のデスなんとかを見るとまた一つの発見が見えてきます。
よく設定がわかりませんが、SF的な科学力と、そしてアメリカ再建とあるように、おそらくこれば、戦争とかやってた人類の時代から、はるか先の未来であることがわかります。さらにゲーム性も戦闘から配達ゲーになっています。
つまり、今回は戦争がテーマではない。
戦争が陳腐化した後の時代がテーマではないでしょうか。
そして、かつあの世というワードが出てきていることから、戦争が残した負の記憶と戦う者たちというストーリーなんじゃないかと思います。
そして、赤ちゃんですが、プロモーションを見て、赤ちゃんを主人公がかわいがっている一方で、赤ちゃんに恐怖を感じさせるサプライズをしている。
これは、一見矛盾のように思えますが、冒頭の考えから察するに、これは赤ちゃんがかわいいだけじゃないということを伝えたいのではないでしょうか。
メタルギアでは戦争の悲惨さを伝えたように、子供を作ることはヤバいことだということを伝えたかったのではないか。そう思いました。
実際、出産はめでたい事として一般的に知られていますが、、愛情をもって育てないと、将来ニートならまだしも犯罪者として新しい不幸を招くものになってしまうかもしれません。
また、病気や事故、コンプレックス、生理などで、子供自身がその人生で痛みやつらさを実感しなければならないのです。
また、子供が幸福に生きられたとしても、親自身は子粗朶で二自分の人生を犠牲にしなければならないのです。
なのに、世間では子作りは良いこと、あまつさえは義務のようにとらえている節があります。
子供を作りたいと思い、かつそれができる選ばれた人だけが、ちゃんと幸福に育てられるならば、人を傷つけようとする犯罪者は発生しなくて済むはずです。
それをなくすにはどうすればいいか?
そのアンサーとして、小島監督は、赤ちゃんがかわいい部分だけでなく、不気味で嫌悪感をもたらすものとして表現したでのではないでしょうか?
つまり反出生主義的な要素が、「不気味な赤ちゃん」というアイコンには込められているのではないかと。
以上はボクの妄想です。
監督は何も考えていないのかもしれません。
ですが、たとえそうだとしても、実際に、僕が思っている部分が実際に有益になっているんじゃないか?
原爆ドームとか見ても、アレが反戦シンボルになっていることには変わりませんが、戦争コロシアイの悲惨さを十分に伝えていることにはならないじゃないですか。
やはり、戦争の悲惨さを表現するには、実際に人が死ぬ場面を表現する必要があると思うのです。
あるいは、痛みを感じることが大事だと思うのです。
VR機器で痛みを表現するデバイスがあるらしいですが、痛みを知ってこそ本当の戦争を知ることができる。
つまり、上に立つものは戦争を知らずに戦争の手綱を握っているという、最悪な世界なんです。