「気分が沈んだときには悲しい音楽を聴くのが良い」
そうよく言われる。
何故なんだろう。
気分がマイナスならプラスの曲が良い気もする。
マイナスにマイナスを合わせてプラスに成るとでもいうのだろうか?
だがそれがなんだかわかる気がするのである。
悲しいときには悲しい曲を聞くのが良いし、悲しいときには悲しい漫画を読むのが良い。
何故だろう?
いくつか説を考えてみた。
1、自分より下のものを観るため。
自分が悲しくても、運がなくても、自分よりも運がない人がいるから、自分は幸せな方だ!とする。
性格悪いが、別に外に出さなきゃ良いねん。
2、毒を持って毒を制す
悲しいなら違うベクトルの悲しさで打ち消せば良い。つまりはそういうことだ。
面接に落ちても、恋人に振られても、ホラー映画を見たらどうでも良くなるかもしれない
3、インヤン(陰陽)
陽気なものと陰気なものは、そのバランスが大事なのだ。
つまり陰気な気分のときには陰気なものを与えることで、陽気に転じるということなのだ。
4、認めてくれよ!
自殺を止めるときに「頑張って!」「死ぬな!」っていうのは禁句、みたいな話がある。
それはつまり、その者の気持を全否定することだからだ。
陰気な時には、その陰気な気持ちを認めてほしいのだ。
だから陰気な曲を聞きたく成る。
まあ前置きはさておいて。
自分はそういうことで、たまにダメなものを見たく成るのだ。
ダメなもの…ダメなコンテンツ…つまり
淫夢だったり、ゆ虐だったり、ようつべの2ch転載動画だったり、ネズミトラップの動画だったり、ハースストーン日本wiki掲示板だったり、
(まあ淫夢ゆ虐は、芸術に昇華されてる感があって、マイナス因子から脱却しているものもあるが)
そう、俺がそういう「ダメなコンテンツ」を観るのは、俺の性格が悪いわけじゃなくて、そういう陰陽のバランスを取るためなのだが、
そのうちの一つに『自殺』がある。
実際に自殺するわけじゃなく、「自分が最初から生まれてなければ楽だっただろうな~」とか、検索エンジンで自殺とググってしまいたくなるのだ。
「自殺 社会が悪い」
「自殺 止める 偽善者」など。
すると当然、「ゲートキーパー」だか「死なないで!この電話番号にTEL!」なんだかの偽善者たちの広告や、自殺すると地獄がどうたらとか、反出生主義だのなんだのを見て、俺は癒されるのである。
だが、偽善者たちの声が煩わしい時がある。
そんなとき、俺は検索する場所を変えるのだ。
ニコニコ大百科だったり、ようつべだったり、ヤフー知恵袋だったり、OKWAVEだったり、まあ色々である。
グーグル一本だけの検索エンジンだけでは不十分だと感じる瞬間だ。
そしてその検索フィールドの一つ。
アマゾンでも自殺と検索すると、面白い。
実際に自殺方法の本だったり、自殺はイケない系の本だったり、それを見て、また私は癒やされるのだ。
そのうちの一つ、飛び降り自殺のレポを見つけた。
飛び降り自殺レポ | 栗 | 青年マンガ | Kindleストア | Amazon
これは0円で読むことができるっぽい。
でもなんか読むと、一つに付き数円がうp主のところに入るだとか。
これは絵柄も良くて、おまけにうp主に寄付できるので、応援したいな個人的に
しかし…こういう偶然の作品との出会い…いいね。大切にしていきたいね。
PS
そういうダメなものをみて癒される私の趣味だが、非難してくる人もいるかもしれない。
だが、本来趣味とはこういうものではないだろうか。
たばこだったり、酒だったり女だったり、辛いものだったり家系ラーメンだったり、ゾンビ映画だったりクソ映画だったりサメ映画だったり、
ダメなものほど熱心なファンがいるではないか。
私はそういったダメなもののなかから、できるだけ副作用のないものを選んだまでの話なのである。