この前、暴力性が持つ癒やし」みたいな記事を書いた
なんというか、何が言いたかったのか、ふわっとした感じだったが(まあ毎回そうかもしれないが)
つまり前の記事で俺が言いたいのは、
「精神病の人はもしかして、世界を思い通りに作り変えたいのではないか」
「世界を思い通りにできないからこそ、鬱やADHEとか、そういうもになるのではないか」
という説、あるいは感覚。
昔の人は、まあなんというか、ならず者が多いじゃないですか。
やりたい放題というか、あまりルールがない。
メガテンで言うところのカオスサイド。
江戸時代とか戦国時代とか平安時代とか、普通に日常に戦争があっただろうし、武士が平民を殺しても~とか、
それに対し現代は、そういうことは許されない。
メガテンで言うところのロウサイド。
まあそれは良い部分が多いのですがね
何よりも優先されるのは安全と人命ではありますが…
「規則を大事にしよう」という感覚がアレルギー的に行き過ぎて、
「他人を支配しよう」「子供や部下を自分の思いどおりにしよう」
みたいな感覚も現代から生まれたのではないか。
言うなれば「空気を維持する」みたいな。そういう
ルールを破ってはいけない。みたいな。
まあ、それは大事。
海外ではパーティークラッシャーとかあるらしいし、
だけど、過剰すぎるんだよな。
無意味なルールとか、無意味な空気を維持しようとしている側面もある。
加えて、学校。
子供って運動が何より大事だと思うんだが、あの狭い固執に大人数で押し込められて、何時間も椅子に座らないといけないっていう。
そりゃ休み時間は盛り上がるよな。一種の緊張と介抱。遊ばないとやってられない。
しかも卒業しても就職だよ。
いつ解放されるの?っていうね
死ぬことで逃げることを選ぶ人が出るのも分かる。もしくはニート。
以上の現状からして、現代人は「自分は世界を自由にできない」という感覚を持っている、ような気がする。
まあ昔もたいがいですけどね。むしろ昔のほうがヤバいまである。
でもなんというかな…昔は、「暴力」があったからな。
例えば、誰かがキチガイゲージとか、もしくは根っからの邪悪な人間が、犯罪を犯すとするじゃん?
そしたらやられたほうは復讐していいわけですよ。
リンチしてもいいし、拷問しても良い。
それは言い換えるなら「癒やし」なわけじゃないですか。
存在してはいけないものを消す作業であり、精神上とても良い(ただし治安は終わる)
しかし、現代ではそういったZIKO救済が認められてないわけで。
他にも、エロ規制の流れだったり、ポリコレだったり、邦画の役者がジャニーズだったり、LGBTだったり、政治家の不正、天下り、電通、社畜、
そういったものに天誅を下せない。それはストレスであるジャン?
昔はそういう人に対して、物理的に攻撃できたけど、今は無理じゃん。
(まあ山上という例外はいるけど)
まあ、なんというか、そういった時代の流れから、鬱だったり、ADHEとかが生まれたんじゃないか、と。
つまり、前述でも言った通り
「自分の世界を支配できないことによって人間としての色々な能力が失われる。」
と私は仮説しているのですが
言い換えるならば、人間としての価値というか、知能の高い生命体の特徴として、「自分の世界を支配できる」という特徴があると私は思うのですよね
人間は言わずもなが、手があるし、それで世界を作り変えることができる。
道具を作って自己強化したり、家とか水道とか畑とか火を起こしたりとか。
あと他にも言語や文字、言葉で計画を立てたり架空の世界を作ることができる。
人間以外にも、タコは知能が高いとされる生き物なのは、触手があるからだと思うし、
ゾウも知能が高いのは、器用な鼻があるからなのではないだろうか。
鳥も便利な触手はないものの、翼で色々な場所を観ることができるし、声でコミュニケーションできるし
すなわち生命の進化の方向性として、「世界を作り変える」ベクトルこそが王道なのではないかと思うのですよね。
それをルールで縛っているわけだ。
ルールという、人間が生み出したもので、人間が生み出せなくなるという。
いや逆だろ?ルールを定めるのは、自由を増やすためなのになぁ…
まあ老人がルール作ってるからな。無意識に心中しようとしてるんだろうな。
カイジのあの金持ち老害みたいに若者を殺そうとしてるんだろうなぁ。
まあ、その先は滅びの道であるが、まあ滅ぶくらいなら革命すると思うわね。
何人死人が出ようが、人間が滅ぶくらいならマシだし、正気を失ってくわけだから暴力に行き着くのは当然の理。
そういった、抑圧が暴力に発展するまでに、世界は良くなるのだろうか。
できれば暴力に発展するまでに治っているといいよね。
戦争が起こるまで人は戦争を舐めているものだからな。
戦争が起こるまで人は戦争のことを知らないんだから。