復讐は何も産まないとよく言われている
が、それに対するアンチテーゼとして、「何も産まない?いやいやすっきりするじゃん」っていう反論が最近ツイッターによくある。
実際俺も、復讐というものが、結構大事なんじゃないかと、今日この頃思う
まあ復習といっても、実力行使とかではなく、法律に則って罰を与えるということを想定しているけど、まあ一応実力行使も含めた復讐に対して、そう思うのである。
そしてこうも思った。
もしかして、海外って、悪人に罰を与えることをしずらかったからこそ、治安が悪めなのではないかと。
海外、特にTK国では、「悪賢いことは良いこと」とか、「やられた側の被害者が悪い」みたいな意識が大きいみたいなことをよく聞く。
それって、最初聞いたとき「うわぁ…T国K国人って同じ人間とは思いたくないな…」みたいな、人格を疑うような感覚を持ってしまったが、
もしかしてそれって、権力者などに対し、復讐がしずらかったからなのではないか、と思ったわけだよね。
特にまあ、文化大革命とか頭おかしいことが起きているわけじゃん?
まあ、T国K国にドン引いてるけど、日本も実際、権力者が笑って被害者が泣く、みたいなことって、現代から昔にかけてよくあったことだと思うんだが。
海外はそれが日本よりも大きかった。だからもう、心が壊れるしかなかったのではないか。「やられたやつが悪い」とかそう思うしかなかったのではないか。
または、そう思えないやつが死んでいき、そう思ったやつが生き残ってきたのではないかと。
まあこれは妄想も含まれているわけだけど、
なんというか、海外の事件を聞いて、「とんでもねえやつらだ」とか「日本もまあ大概だけど、海外はもっとヤバいんだな」とかと思っていたのだが、
結局、そういう、ヤバい事件が起こったり、あるいは「悪でも勝てば正しい」みたいな意識って、結局「復讐がなされていない」という違いによるものなんじゃないかと。
逆に日本は、そういう復讐心があったから、治安が良いのではないかと。
今日、そういう仮説を妄想しました。
真に受けないでください。
実際、人間には「死にたくない」とか「身の危険を感じて不安」に感じるホルモン的なのがあって、それが日本人は海外に比べてでかいらしい。
なんかそういう、こういう不安を感じやすいからこそ、他人に同情的だったり、またあるいは他者や家族を殺されて鬼になりやすかったりするんじゃないかと、
だって、他人が殺されて不安に感じないやつは、復讐とか攻撃的な行動とか取れないと思うんだよね。
まあ確かに個人単位で見れば復讐は自分にとって悪影響が大きいんだろうけども、社会というスケールで見ればかなり良いことであるよね。
山上容疑者とかもその類じゃん?
山上哲也本人は、批判されたり収容されたりで散々だけど、社会全体にとってすごいいい影響を与えてくれたじゃん?
まあこんなこというと、一部の人から怒られるんだろうけどさ。
その人だって、山上が殺してくれた恩恵を受けることになると思うんだよね。
多分あのままだったら日本マジでヤバいことになってたと思うぞ
選挙がまともに機能しないとか、海外に操作されてるとか、マジで奴隷にされてたかもしれない、っていうかまあその瀬戸際なんだが。
本当になんというか、感謝しても足りない、英雄レベルのことをしたよな彼は…
本当に、何か食い違いが起きて、この事件が起こらなかったらと思うと、本当に恐ろしいよ。
まあ少し脱線したが、つまり何が言いたいかって言うとつまり、復讐っていう、一見悪いことのように見えるものが、実は正しかったっていうね。
復讐ってたいてい、少年漫画だと主人公が「やめろ!そんなことをしても○○は喜ばない!」みたいなことを言って、否定的な立場だけど、
でも実際現実的に言うと、それが正しいんやなって…
なんかそれってすごい悲しいよな。
殺しても戻ってこないのは事実なんだし。
でも、殺せば、これから起きる悲劇を無くすことはできるんだよな…
少年漫画の主人公さあ…復讐は何も産まないって…知ったかぶってんじゃねえよ!
ますます復讐に対して、必要悪だと感じる。今日このごろなんだよね