LGBT、ポリコレが嫌われる本当の原因。

 

昨今、ポリティカル・コレクトネスとか、LGBTとか、

 

具体的に言うと、

この作品には黒人が登場してないから黒人を差別してる!とか、

この作品の主人公をホモにして、LGBTに理解のある社会にしようよ!とか。

 

そういうことを、一部の団体は行っていて、

それに対して大勢の人は「えぇ…解釈違いです…ファンやめます…」とか言って、アメリカとかの漫画はすごい落ち目になっているらしい。

 

 

そうやって、ポリコレだとかLGBTとかの団体って、マジで何を考えているんだ。

そうやって作品を汚して、本当にそういうものに寛容な世界が作れるのかと。

お前らただやりたい放題したいだけじゃないか。お前らの目的自体はいいけど、それを実現するための方法が間違っているんじゃないかと。

 

「でも待ってくれよ」と。

 

その意見に対して、こういう反論があった。

「じゃあ作品を汚さない範囲でLGBT的な要素を入れればいいじゃん!」みたいな。

 

あるいはLGBT的な要素を入れても、作品の面白さには関係しない!なら入れ得じゃん!」と。

 

 

少し話は変わるが、

 

これに関連する出来事として、こういうことがあった。

 

ベイマックスというアニメでLGBT要素があったというのだ。

作中、脇役みたいなその場限りのキャラが、意味もなくホモだった。らしい。

 

それに対して、視聴者からは「いやなんでそこにホモ!?」「まーたLGBTかよ」「ストーリー上、わざわざホモ入れる意味ないだろ!」という反対意見が上がった。

 

でもそこでボクは思ったんですよね。

 

「別にホモを入れる意味がないが、意味がないならホモを入れてはいけないのか?」と。

 

あるいは「メインキャラがLGBTに改変されたわけじゃないなら別によくね?脇枠だし」と。

 

 

例えば、黒人キャラに置き換えると分かるけど、

あるキャラがたまたま黒人で、「なんで黒人出したんだよ!?」「ストーリー上黒人である意味ないだろ!」みたいな。

 

「いや別にたまたまだろ?」って感じになると思うんですよね。普通は。

 

では、なぜ視聴者はベイマックスの脇役ホモに対して批判が殺到したのか。

 

 

 

その理由は、LGBTやポリコレのイメージがくっそ悪くなっているから、だと思うんですよね。

 

 

 

この出来事単体では、視聴者の怒りの琴線を触れるには、あまり足りない出来事だったんじゃないかなって。

 

つまり、まだギリギリ許せるラインのLGBT要素だった用に思える。

 

でも、よく怒りをコップの水に例えられているけど、今までさんざんポリコレとかで好き勝手やってきたから、そういう怒りが蓄積されていって、少しのLGBT要素で水があふれるようになってきているんじゃないかなと。

 

なんというか、自業自得というか。

 

なんかさ、アンパンマンのあの話を思い出すよな。

バイキンマンが、今回の話では何も悪いことをしてないけど、普段の素行がアレだから疑われたとき「今回俺は何もしてないよ~!!」って主張するやつ。

 

いや、何お前過去の罪が許されてたと思ったたんか?みたいな。

そういうツッコミを心のなかでしたんですけども。

 

多分、今回のベイマックスの件は、そういうことだと思うんですよね。

 

何許されてると思ってたわけ?」みたいな。

 

過去の悪行込みで怒ってると思うんだよあ。

 

まあ、みんな、ベイマックス単体で怒ってる感じになってるけど、そう勘違いしてそうだけど

そうじゃなくて、実質は、LGBT強要とかポリコレ関係全体に対して起こってるんじゃないかと

 

まあ、そういう流れになってきているよな。

 

 

 

 

 

今までLGBTに寛容な社会を作ろうとして活動してきたのが、逆効果になってきているというか。

 

もうこれ現代の喜劇だろ。

 

 

そもそも、LGBTに寛容な世界を作ろうって、制度とか支援とかの話であるべきはずなのに、あいつらって一般的な人々の意識を変えようとしているよな。

 

それが間違ってると思うんだよな。

他人の意識ってそう簡単にコントロールできるわけないじゃん。

 

そんなことできたら、もうこれ簡単に独裁国家を作れるじゃん。もうそれ人間である必要がない。ただのロボット。

 

人間はむしろコントロールしようとすればするほど、暴れると思うんだよな。今回の件みたいに。

 

 

 

 

でもまあ、ほんの少し成功?しているというか、反感をあまり買ってないものもあって、APEXとか、ヴァロラントとか、オーバーウォッチとか、FPSゲーム関連は成功している方なんじゃないか?と思う。

 

あまり嫌悪感を出さずに、ホモを配置できてる例なんじゃないかと。

 

まあゲームだから。あまりそういう設定があっても、カードゲームにおけるフレーバーみたいなもんだからな。

あまり気にしない人のほうが多い。

 

そう、こういう、ほんのりと匂わす程度がやるべきだったんじゃないかなと。

 

スーパーマンの息子がホモとか、そういうガッツリ行くのはマジで悪手だったんじゃないかと。

 

最初から今回のベイマックスの件のレベルだったら、そんなみんな怒らなかったと思うんだよなぁ。

いやどうだろう?分からんけど。

 

 

 

 

 

 

んで、このことを前から思ってたんだけども、

 

みんなが怒ってるのは、ポリコレやLGBT自体に対してじゃないと思うんだよな

 

今までも、作中でたまたま黒人のキャラがいたり、あるいはホモのキャラがいたりっていうことは、あったわけじゃん?

ブリーチで黒人のキャラがいたり、あるいはしんちゃんの映画のラスボスがオカマだったわけじゃん?

それに対して別に批判はなかったわけだし。

 

怒りの琴線に触れたのは、そういったLGBT自体ではない。

 

怒りの琴線に触れたのは、「外部から作品が改変されている」ということだと思うんだよね。

 

より正確に言うと、「製作者の意図しないところで、明らかに作品が改変されている」みたいな。

 

 

 

けもふれ2の事件もそうだったよな。

 

アレはたつき監督の作品なわけじゃん。(まあ正確には違うけど、実質そうなわけじゃん)

それに対して、たつき監督の意思じゃないところから、改変を行ったからみんな怒っていたわけで。

 

あと有象無象の、原作マンガの映画化

色々あるわな。批判されてるやつ。

デビルマンとか。ブリーチとか

 

そりゃ、プロの漫画家とか製作チームが作ることで面白い作品になるのを、外部の素人が口出しして影響を与えてしまったら、そりゃ怒るよな。

 

 

 

そうそう、ブリーチで思い出した。

ネタバレになるけど、ブリーチ作中敵キャラで、”人の過去を改変できる”っていうチート能力者がいて、主人公の仲間の過去を改変して寝返らせるみたいな展開があるんだけど、それもかなりすごいショックみたいな読者がいっぱいいるわけで。

 

人のものを、勝手な理由で、(それもくっそくだらない、高慢な理由で)、操られたら嫌だなって。

泥棒とかよりも酷い。

 

(まあそれは作中の出来事だから良いけど、)

 

作中ですらショックなやつを、リアルでやるなら、そりゃ嫌われるわな。

 

 

 

 

まあ、以上の例は、ポリコレとかLGBTとは関係ないことではあるけど、本質はそういうことなんじゃないかなって。

 

人のものを操ろうとする、他者に依存する、気持ち悪い団体。

 

そういうことですよ。

 

でもそんなことは普通の人は考えないわけじゃないですか。

 

ポリコレやLGBT自体が悪いわけじゃなく、人のものを勝手な信念で改変しようとするのがいけないのに、

 

人々は、ポリコレLGBT=悪と考えるわけですよ。

 

 

まあ、とにかくなんというか、人々の「LGBT、ポリコレを押し付ける存在」としての気持ち悪い団体という概念キャラクターが、人々の間で定着していって、

 

もう、実際にポリコレではなくても、ポリコレっぽい要素だけで、

LGBTじゃなくてもLGBTっぽい要素だけで荒れるようになっていくんだろうな

 

 

 

まあ自業自得だよな。