バビロン(アニメ)の評価、レビュー

 

バビロン。

 

バビロン神拳しか知らんけど、そういう神とか神話のアレがあるらしい。

 

野崎まどの小説のアニメ化です。

 

野崎まどの出会いは、本屋で立ち読みしている時でした。

 

なんかネットが発達した世界で、監視社会的な感じで、ハッキングして、最後には死後の世界が存在することが証明されたみたいなやつでした。

 

あと最近では、正解するカドの作者もこの人です。

 

なんというか、この作者の小説って、すごい死生観に問いかけてくる感じの作品が多い。

なんというか、すごい、良いよね。

 

っていうかよくこれがアニメ化したよな。

 

正直伊坂幸太郎のほうがアニメ化しやすいと思うけどな。ドュラララみたいな感じで。

 

でもまあアレだろうな多分。制作側にファンが居るんだろうな

確かに野崎まどの小説って、すごい熱狂的なカルトファンいそう

小説の良さって、こういう作品があるってことだと思う

 

なんというか、漫画の過激さの上限がもし100だとしたら(例えばチェンソーマンやドロヘドロみたいな)、小説は1万とか1000万とかみたいなくらい、過激さのレベルが違うと思うんだよね。

映像化してしまったら、グロテスクだったり、作者の倫理観を疑ってしまうような描写が、まれによくあるのが小説界隈だと思うわけですよ

(実際、正解するカドもラストがおぞましくて賛否両論があったらしいし)

 

自分も図書館で色々とそういう過激な作品を読んだりしたことがあるから分かるけど、小説は良いよね。こういう責めた内容の作品は、小説だからこそ検閲されずに普通に学校で見ることができるみたいなことあるよね。

 

読書イコール良いもの!っていう観念を持った大人がいるからこそ、こういった面白い作品に出会えるんだよな。

 

普通に暴力的で、クッソ不真面目な小説もあるからな。ククク

 

 

まあそれは置いといて、

脱線してしまったが、正直、このアニメ、まだ最後まで見ていない。

 

だが、その途中でちょっと書き残したくてちょっと記事を書く

 

 

この作品のテーマは、自殺である。

 

自殺をどうやって止めようとかじゃなくて、「自殺ってそんなに悪いことじゃなくね?」「いや、自殺は悪いだろ!!」「いいえ、自殺は良いことよ」「自殺とは悪なのか、善なのか」みたいなやつです。

 

非常に哲学的テーマ。

 

自殺は善なのか悪なのか。

 

 

それについて、作中のキャラクター(各国の首相)が、話し合うみたいなシーンがあるんです

 

(正直、各国の首相がここまで話し合いができるって、すごいことだなって。普通話し合いにすらならなさそうというか、和気あいあい感があるというか、これ世界平和だよ!)

 

 

まあ、自分もそれにならって、自殺は善なのか悪なのか、それについて自分の意見を言いたいなって。

 

だが、正直当然の答えというかなんというか。自分の答えはシンプルで。

 

現実をゲームに例えればいいと思う

 

そうすれば感情を排することができると思うんだよね。

 

逆に言うなら、感情があるからこそ、議論が起きているということでもあるわけで。

 

まあシンプルに言うならば、これ以上生きる価値が無いなら、自殺は正義だし、生きる価値があるなら自殺は悪

 

 

まあそうやって、合理的に人はなれないっていうのは、置いておいて。

 

 

それに、その線引を各自が行うと、まだ全然やり直せるのに自殺を選ぶという判断になるやつもいるだろうが。

 

まあ一般的に見て、助かる見込みがなければ無駄に苦しませる必要はあるのか?という合理的な考えだよね。

 

そう、合理性。

 

自殺は善か悪かみたいな決定は、おそらく意味がない、意味がないというか、ズレている。

 

自殺は仕方がないことである。

 

なんというか、例えば、重篤な病気で手術をして、手術が失敗して、「失敗したのは悪だ!」ってはならないよね。

 

死んだのは仕方がない。ただの現実。関係者はそれを悪だとか言うのは仕方がない、おそらく苦しいんだろうが、善か悪かで決められるなにかではないだろ。

 

その状況で仮に善悪を決めるとしたら、絶対に成功するようにする工夫が善だよね。

 

 

なんというか、「生きるのがつらいに対する自殺という対処法」って、結果、現実、出来事でしか無いわけで。

 

確かにそれは辛いことであるが、そうならないようにすることが善であり、そうなったからこそ悪というか。

 

何を言っているかちょっとこんがらがってきたが、つまり、自殺とか殺すとかそういうものはただ単に道具にすぎない。

 

正義を成すために、あるいは幸福を実現するために、それぞれの状況で正しいことをするために、自殺という極端な回答が出ることもあるかもしれないが、

 

自殺、それ自体が正義や悪なわけじゃないだろ。

 

殺人という手段も、死刑という手段を用いれば正しいことなように、もっと俯瞰してみないと正義か悪かは決められないだろ。

 

 

 

 

「法律で自殺を肯定するかどうか」も同じことで、

 

合理的に、その状況ではどちらが幸せになれるのかだとか、どちらが自由なのかとか、どちらが経済的に得だとかとか、そういう観点で考えるべきことで、

 

なんというか作中のキャラやリアルの人も、感情だけで考えているんじゃないかなって。

 

感情的に死は忌避すべきものという観念があるから、絶対的に良くないよ!っていうのも分かるが。

 

まあデリケートな問題だから、保留されるわな。答えを断言できる人なんていないだろうし。責任の重さ的にも

 

だがこのアニメの世界情勢的に、その答えを速く見つけないと行けないって状況では、もうそれしか無いよね。

 

 

まあ、「できるだけ自殺者を減らすために、全身全霊で工夫したり、技術を高めたりする」っていうのは大前提だが。

 

仮に法律や制度だけで対処するというのならば、

 

合理的に考えて「こういうときには認めるけど、こういうときには認めない」みたいな。感情の分量を減らして、自殺に対してどれくらい譲歩するかって考えなのではないか。

 

 

具体的には、「20~50歳以下の年齢ならば認めない」とか、「ある一定の難病で治る見込みがないときには認める」みたいな。

 

そうすれば死にたいと思っている人もそれまで我慢すればいいって頑張れるかもしれないし、経済的にも損失を抑えることができるんじゃないか。

 

 

 

 

あと、それとは脱線するかもしれないが、死刑という制度はどうなんだろう。

 

法律で殺すことが肯定されているという意味では、死刑と自殺、何が違うんだろうか。

 

 

 

 

 

なんというか、こういうと、冷たい人間みたいに思えるかもしれないが

それについて、作中で印象的なシーンが有る。

 

ある女殺人鬼(最強キャラ)が、刑事にゆで卵とバロットを贈る。

 

バロットとは、有精卵で、中にひよこが入っているやつ。

ボロっとは見た目はグロいけど、美味しいらしい。

 

それで、「どちらが悪なのか?」みたいな問いかけをするわけだ。

 

 

正直くっそ胸糞なシーンだが、実際、この問いかけ自体には、結構面白いなと。

 

ゆで卵もバロットも、そこまで違いはない。

ただ見た目がグロいのがバロットで、普段食べているのがゆで卵でしかない

なのになんでバロットだけグロいとか言っちゃうのか。ホルモンとかはグロくないわけ?みたいな。いやもしかして慣れれば普通のことなんじゃないかみたいな。

 

 

なんか、常識って、そういうところあるよなって。

 

例えばヴィーガンがよく言う、豚や牛は喰うのに、なんで猫や犬は食べないのか?みたいな問いかけ。

それもまあ、正直一理あると思っているんだよね。

 

なんで豚や牛を、猫や犬のように愛することができないのかみたいな。

 

反論できないというか、まあヴィーガンの言いたいことも分かるわ。

正直、俺も含めて、一般人って、酷いことをしているかもしれん。

 

(まあそれでも、美味しいから喰うけどね)

 

 

 

まあだから、ヴィーガンの言いたいことは正しいだとか、あるいは間違っているとか言うつもりはなくて、

 

なんというか、反出生主義だとか、自殺肯定だとか、そういう極論的な意見に対して「それは間違っている」みたいな反論を普通の人間はするけど、

 

でもじゃあ、今のこの社会の状況だったり、今のシステムは正しいんですか?みたいな。

 

お前ら一般人は、そうやって他人を否定しているけど、それを言うならお前らのシステムは正しいのか?みたいな。

 

ドラえもんの映画で、「人類の中にもいい人はいるよ!」みたいなことを叫ぶシーンがあったようなきがするけど、でもお前、それって論点ずらしじゃね? 悪い人間もいるってことだろ。それに力(ひみつ道具)があるくせに悪い人間を対処してないじゃん。そこまで言うならお前らが世界を管理してみろみたいな。

 

なんか正義を叫んでいる割に、お前らの住んでる世界って言うほど正義か?みたいな。

 

ガリガリがマッチョに対して「そのトレーニング方法、間違ってますよ?」っていうみたいな。

 

理想を実現できてない人が、それに対して理想を声高に発言する資格あるのかな?みたいな。

 

今の社会状況とか、クソやん?いうて。

 

政府は不正しまくってるし、就職システムも最悪だし。色々と法律の整備もアレだし。必要なところにお金は回らないし。無能が上に上り詰めることができる来るウンチシステムだし。

 

人の振り見て我が振り直せっていうことわざもある通り、他人を否定するなら、その分自分を批判的な態度で見直して、何が間違っていて何を改善できるのかも合わせて考えたほうが建設的で、幸せになれると思うんだよね。

 

 

 

 

 

まあ、そういう、一般常識とか、一般的な観念に対する、批判みたいなものを、このアニメには感じたわけですよね。

 

「確かに自殺を積極的に肯定することは間違っているかもしれないけど、じゃあお前らが信じているものは、本当に正しいのか?ベストなのか?」

 

っていうね。

 

 

 

 

俺はそれが完璧になされていないと思う。

 

まあ技術力とか体力とかの限界もあるけど、それを前提の上で、今の力で最大のベストな選択をしているのだろうか?という思いはあるよね。個人レベルでも社会レベルでも。

 

結構適当に決めたり、感情論で決めたりしている部分は多いと思う。

 

今までのやり方を捨てきれなかったり、また、あるいは自分が楽に成るようにあえて不備を残しておいたり、

 

なんかさあ、もうそういうの辞めた方がいいよ

 

そうすれば世界がもっと加速度的に発展できる。加速できる。

 

まあだからこそ成長の余地があるとも言えるのでしょね。