信仰心の有用性

 

 

自分は、あまり神を信じていない。

 

だが一方で、神を恐ろしいとか、神にあやかろうとか、そういう感情もなくもない

 

 

まあ矛盾しているようだが、神を信仰しないといいつつも、クリスマスやお正月に神社に行ったり、困ったときだけ神だよりになる日本人的なアレである。

 

だが、信仰心というやつは、もしかしてこういうことなんじゃないか、と。

 

ふとそう思ったことをつらつらと描いていこうと思う。

 

 

まず、話は少し外れるが、会話が成立しないやつっているよね。

 

まあ散々言ってる海外のことだったり、ポリコレとかヴィーガンの運動だったりとか、単におかしい人とか、野生動物だとか戦争相手の国だとか盗賊や略奪者だとか。。

 

それって、怖いじゃん?

 

まあ、目の前にそういった驚異がなくとも、想像するだけで嫌な気持ちになるじゃん?

 

元来、人間っていうのは、そういう対話が成立しない奴らとの戦いを、昔っからしていたわけじゃん。

 

前述の通り、戦争相手の国、略奪者、野生動物、狂人、あるいは自然現象、天候や地震、疫病。

 

そういう、なんか、信頼できないものというか、

 

これが生き過ぎると、対人恐怖症というか、女性恐怖症男性恐怖症だとか、何を考えているか分からない、だから怖いとか、

 

そういうのって事実この世界に、たくさんあったし、今もある。

 

だが、一番問題なのは、目の前にそういった脅威がないにも関わらず、存在するじゃん?そういう、妄想が。

 

なんというか、例えば、自分の大事な人が殺されたりするイメージを持ってしまうことって、よくあるじゃん?

考えるなとおもうほど考えてしまう、自分はそいつを殺したいのか?とすら思う。

 

なんというか、感情とかっていうのは操ろうとするほど操れなく成るというか、そもそも操れるものではないんだよな。

 

自分自身のそういった妄想が、恐ろしい。

前述の現実の脅威と同じく、対話が成立しないものなわけじゃん?自分の妄想や精神って。

 

 

そしてそれが行き過ぎた一つの例が、神だとか幽霊だとか言われているものなのではないか。

 

強迫観念だったり、トラウマだったり、

 

なんというか、そういう、人間は想像力が豊かだからこそ、それが仇となっているタイプの現象だよな。

 

でも、それを克服する方法があると思うんだよね。

 

それは、現実で確実に信頼できるものや安心するものを見つけること、見出すことだと思うわけですよ。

 

現実で、というのがポイント。

 

現実にあるものは、妄想が支配できないわけじゃん?だからこそ、自分がどんな妄想をしようが、現実には勝てないわけですよ。

 

ベタな例を出すならば、恋人を見つけるだとか、趣味に没頭するだとか、人と話すとか、ウォーキングだとかも血行が良くなって一石二鳥

 

 

まあ、そういう感じで、そういったメソッドが、過去にもまあ、そういったメカニズムが分からずに偶然なのか知らないがあったと思うんですよね。

 

それが宗教、信仰心だったのではないかと。

 

今俺が言った暴走する妄想の改善策が、そういったものなのではないか。

 

まあつまり、セラピー的なやつですよね。

 

まあ宗教というのは、完全に妄想の世界の出来事ではあるんだが、

 

実際には礼拝だったり儀式だったり、集会があるわけじゃないですか。

 

妄想の世界を大本にしているとはいえ、完全に妄想の中で完結するアレではない。

 

そして、大昔は、当然、趣味とかも限られてくるし、精神医学とかもなかったわけで

 

そして前述の通り人は怖いものを脳内でたくさん作ってしまうから、そういった需要は十分にあったわけですよね。

 

 

つまり、俺の思う信仰心というのは、

 

そういった、人が誰しも持っているカオス的な妄想を、支配するというか、シンプルにまとめるためのものだったのではないかと。

 

 

 

まあだがしかし、そういった有益な側面を上げたが、勘違いしてほしくないのは、俺は宗教が嫌いというか、時代遅れのコンテンツだと思っている。

 

大昔は、今みたいに自浄作用とか全然ないし、腐敗していて、クソみたいな部分が大量にあったんだろう(まあ今でもあるんだろうけど)

 

そして現代においては、趣味とかコンテンツも信仰対象(アイドル)も膨大にあるわけで、別に宗教を選ぶ必要は全くないし。変なのにハマると詐欺師に加担する可能性もあるし、遊びとして考えるにしても内容もつまんねえし、

 

でもまあ、それでも寺や神社の人の人柄とかは、(まあ多少生臭い部分もあるけど)、人格者が多いわけで。(実際はどうか分からないが、大抵は良い人が多いというイメージがある)

 

そういった人がいるというだけで、なんというか人の心の支えになっているんだろうなと。

 

 

 

 

 

 

 

 

まあなんで俺がこういったことを考えていたかというと、

 

暇空茜のツイッターです。

 

フォローしていて、TLに流れてきたやつなんですが、

 

彼は靖国神社にお参りをしてきたらしい

ヤバいことやってるし願掛け的な感じで。

 

そしてなぜ靖国神社なのかというと「過去に一回靖国神社に参拝してきたから、別の神社行くと神様が嫉妬するのではないか?」というようなツイートをしていたんですよね。

 

それを見て俺は「意外と信仰的なところがあるんだなぁ」と思ったわけですよ。

 

自分なら絶対そんなん気にしないが。

 

でもまあ、でかければでかいほどなんというか、信頼感があるというか、自信ブーストできるし、これこそが正しい使い方だなって。

 

そこで思ったんですけど、別に俺は信仰心がないわけですけど、靖国神社に参っただけで、全てがうまくいくわけでもないんですけど、

 

でもまあ、自分の内面のごちゃごちゃした不安とかノイズとかを、「靖国言ったからうまくいくだろ」みたいな感じで全部シャットアウトできるのは有用だなと。

 

そういう信仰心の有用性もあるのだなと。

 

まあこれがいき過ぎると、脅迫観念みたいな感じになるだろうけどもね。

 

靖国行かなかったから失敗したみたいな。そうなると行かないとダメじゃんみたいになる。そしたら柔軟性がなくなるよね。

 

自分もそういう占いとかやってた時期があるし、今でもたまにやるが、そういうデメリットはあるよね。

 

だからまあ一長一短というか。きにしないのが一番なんだろうけどね。