自分は何かを続けることが苦手である。
何故なら、続けることに対して、イマイチモチベーションが保てないからだ。
続けていくうちに「このままやっていっていいのだろうか」「今自分がやってることは無駄ではないだろうか」という気持ちが強くなっていく。
何かを極めるためには、一つのことを続けなくてはならない。
だがその身につけたスキルが、役に立たなくなったら?
自分は昔、自分の手が切断されたり事故でなくなったら、今までやってきた何か勉強とかピアノは無駄になるのかとか、そういうことを考えていた。
実際に低確率かもしれないがあり得ないことではないならば、そういうことがおきるかもしれない
今考えてみると結構ネガティブというか、最悪の状況を考える子供だと思う
だから俺はなにか一つのことを続けることが苦手なのだ。
最悪の状況を想像してしまうのである
手が切断とかは極端だが、
例えばそうでなくても、絵の練習をしても、AI絵師でそれが無駄になるとか、
プログラミングを勉強しても仕事がないとか、
ある研究をしてもそれが実を結ぶとは限らない。
そういうことだってあるじゃないか。
特に学校の勉強なんて特にそうだ。
よく「勉強って何の役に立つの?」という問いに対して「実生活の中で〇〇の論理はこんなに使われているんだよ!」みたいな事が言われてるけど、そういうことじゃない。
そういう論理は、確かに人類という種族全体で見るならば有益だが、自分が幸せになれる論理かというと、そうじゃないじゃん。
パソコンには〇〇の公式が使われているとかいっても、ユーザーにとってはパソコンの知識があればそれでいいわけだし。
また、仮にそれを信じ切って、追求しまくっているのに、後からそれが無駄ってなったら、すごい嫌じゃん。
宗教なんてそういう感じで何年もコンコルドの誤りしてきたわけだし。
まあ、そんなわけで、
頑張っても報われないかもしれない
そういう、確信がもてない。
それが原因で、俺は努力を継続することが苦手なのだ。
だが、それでもまあ努力を継続することは大事だ。
この競争社会で知識をつけて金を稼いで幸せに生きるためには、一つのことをある程度極めないといけないわけで。
まあぶっちゃけその努力が無駄になったとしても、努力する習慣みたいなのがあればまた頑張れるかもしれないしな
努力をシてきたのならば惰性で他のことに努力を向けることもできるかもしれないし。
覚えたやつが他のことに応用できるかもしれないし。
なんか、そういう知識は増えているわけだから、能のネットワーク的なのが強化されているかもしれないし。
そう、継続って大事。
だからこそ、褒めるって大事だよなって。
やっぱり褒められると嬉しいわけで。
その癒やしがあれば、そういう「自分がやってることが将来無駄になるんじゃないか」っていうストレスと戦うことができるわけじゃん。
褒めよう。自分を。
なんというか自分はそれができないから、無駄に努力をシてしまう。過剰にやってしまうのではないか。癒やしがない。
癒やしがないとどっかで継続できないからね。
まあ癒やしがなくとも、努力のし過ぎは良くないよね。そう今実感している。
休んでいれば癒やされるからな勝手に。人間は。
前に「目標は超えるものではなく下回るもの」という考えは、すごい今の自分に合っているというか。
まあなんというかね。話は戻るけども
俺は常にこれが無駄になるんじゃないかと思って、色々やってるけども。
なんかもう無駄になってもいいからやり続けようと思っている。
なんというか、グレてるんだよね。もう自分を傷つけているというか、すねているというか。
もう何もわからないなら、もうやり続けるしかないじゃん…
もうそういう迷うことは飽きたんだから