なぜ自分の意識が他人ではなく自分に宿っているのか不思議に思うやつ

さっき、にちゃんまとめでそういうスレを見た。

 

つまるところ、なぜ自分は自分なのか、というやつだ

なぜアイツじゃなかったのか。なぜ自分なのか

 

両親から自分が生まれるという必然的理由がないのだから、自分はアイツとして生まれても不思議ではないのに、なぜ自分なのか

 

実際自分もそういう事を考えていた覚えがある。

 

なんかこれ、皆考えてるんだな。なんだろうな。誰にも教えられたりしてないのに。

 

なんか昔電車とか車載っているときとかに、外で忍者の妄想を走らせるとか、そういうやつ。

 

それも俺誰にも教えられてないのにやってたわ。そして他の人もやってるって聞いてびっくりしたわ。

 

 

まあ話を戻そう。

 

 

正直、その答えなんて誰にもわかりっこない。

 

だが、俺的にちょっと哲学的な本とか、あるいはユニークな哲学的な本を読んだことがある時期がある。

 

 

それで思ったのが、「もしかして、この世界に自分一人しかいないんじゃね?」という結論である。

 

まあ仏教なり哲学なりが言ってますよね。

 

世界とは結局、五感とかによって構築された頭の中の架空のフィールドでしかないと。

 

つまり他人とは、他人ではなく自分(正確に言えば自分が作り出した虚像)であるといえよう。

 

ここで重要なことは、自分とは唯一の存在であるということだ。

 

例えば⇢● これが人だとする。

 

人が三人いると、●●●  こうなる。

 

そして○← コレが俺だとする。

 

その前提として、以下に図を描いていく。

 

一般的な考えとして、世界とは●○● ←こういうものだ。

 

つまり、人間の肉体という箱があり、その中のたまたま一つに自分が入っている、という考えが一般的だ

 

だが、俺の考える世界の真実は○○○ ←これだ。

 

つまり「全て自分(自分の作り出した幻)である」という考え。

 

これが今の自分にとって真理に近いと思う。

 

 

さらに詳細に言うならば、人だけではなく、すべての物質、概念、この世界を作り出しているのは自分であると。

 

自分の肉体を中心として、周囲に世界が存在している。

 

 

一般的な考えは、

「世界が先にあり、この広大な世界の中に、たまたまここに自分がいる」

そういうものだ。

 

 

だが、俺の考えはそうじゃなくて、

「自分がまず先にあり、そして周囲に自分が世界(自分の肉体を含む)を構築している。」

 

 

この2つの考えは同じように見えるので、

俺の考えは、一般的な考えと違って以下のような特徴がある。

 

  • 自分以外の魂は存在しない。この世に存在している魂は観測者である自分である。
  • それぞれの魂が同様に、自分以外の魂を触れることはできない(感じることはできるかだろうがそれも”自分”である)
  • 他人の魂は、実質的に、哲学的ゾンビのような、精巧に人間をトレースしている物質にすぎない。

 

 

 

この考えのもと、序盤の提言に戻ってみる。

”なぜ自分がたまたまこの体の意識として存在しているのか”

 

この疑問の裏には、おそらくこういう妄想がある。

 

「受精卵、もしくは赤ちゃんの中に、自分という意識が入り込む、もしくは自分の意識が生まれる」

 

なろうの転生系の小説だとそういう概念になっているだろう。

 

だが実際は、

「過去や未来、周囲の人間、周囲の物質全てが、現在の自分によって構築されている。出産だったり時間だったりは自分が生きるために作り出したものにすぎない」

 

現在の自分を存在していて、そこから枝葉を伸ばしていくみたいな。

 

まあもし自分が存在していなければ、そんなことも考えられないわけだから、つまり自分が存在しているという、そのゴールから逆に考えているみたいな。

 

これがもう一つの真実である。

 

だからつまり序盤の答えは、俺なりに捻くれて応えると、「お前がそういうふうに世界を作ったから」

 

そして「他人から見る世界という世界を想像したお前には、すでに他人の世界が存在している」とも言えるよね。

 

 

 

 

ああそうだ。VRをイメージすると分かりやすいかもしれない。

 

前者の一般的な観念をaとして、後者の俺の考えをBとしたときに、

 

Bの考えはまさしくVR的といえるもので、VRゴーグルに映る映像を変化させることで、世界を体感することができるが、そこで他人に憑依したり、入れ替わりだったり転生をしたとして、それは映像を変化させてそういうふうにしているに過ぎない。

 

そして仮に妄想だけでVRを作ろうとしたら、自分の周囲にそういった物質を配置していくことになる。

 

それこそが世界なのではないのかと。

 

たまたま生物として持つ五感によってそれが能力として備わっているからそれに気が付きにくいのかもしれない。

 

 

一方、Aの考えは結局のところ、第三者視点の話に過ぎないのだ。

例えばお互いの魂が入れ替わったみたいな話があるけど、それも結局、本当にそうなのかを観測できない。勝手に改造の入れ替わり回みたいに、お互い妄想しているだけかもしれない。

 

 

そう確実ではない。

 

Aの考えは、確実かどうか分からない。実際意識は現代科学では解明できないわけだからな。まあ脳科学とかが近いのかな?それでも意識については何も分かっていない。

 

だがBは確実である。

 

そして、そうであるべきとも思う。

 

自分こそがこの世界の絶対的な存在であると。

 

自分こそが周囲の世界を作り出している者であり、言ってしまえばある意味神。

 

 

 

 

 

結局ごちゃごちゃ言ってるけど、自分はAの考え方が好きじゃない

 

結局Aって、例えば宗教だと、なんか閻魔大王が魂を選別うんたらかんたらとか、修行のために生まれるだとか、そういうのって結局個々人よりも世界のほうが強いという考え方だろう。

 

なんというか、魂という物質を支配している存在やシステムがあるみたいな。そしてそれに抗うことができないみたいな。そういうことを昔の人は考えていた。

 

だがそんなものは妄想であると、そして世界を作り出しているのは自分だと考えるBの考え方のほうが俺は好きだな。

 

もし地獄や天国が必要ならば、宗教に頼らずに現代に生きている人が作ればいい