今話題のコラボ問題で有名な暇空茜さんは、ハンターハンターオタクであることも有名である。
そんな彼は、コラボ問題以外にこういう話もしている。
その動画で富樫展での感想を言ってたのだが、
その中で「どの系統を極めるというのは、2つだと極められない、一つだと極められる。そして生まれ持った才能を極めると深さが生まれる」みたいな設定メモが展示されていた、らしい。
まあよくわからないが、ともかく富樫にはそういう能力設定の論理みたいなのがあると。
これ、良いよね。
良いよねっていうのは、ハンターハンターの設定の奥深さが良いというわけじゃなくて、そいう設定を作るのって楽しいよねっていう。
自分もふと能力を思いついてメモすることあるので。すごい富樫がこういうことを考えるモチベーションがよく分かるわけです。
そして、その能力だけじゃなくて、汎用的な魔法の論理を作るのも楽しい
まあ、それを実際の作品に活かすことはあまりないというか、そういうネタを作りすぎてその大半は使われないのかもしれないが。
まあ楽しいんですよね。そういうのを作るのが。
まあ、それは置いといて。
でも、でもですよ。
あのハンターハンターの世界の、そういう能力の論理って、俺的にはそこまで好きじゃないんですよね。
いや、好きじゃないというよりも、俺的な納得感が薄いというか、
いや別に嫌いだとかいうつもりはないし、ハンターハンターの世界観にはあってるけど、俺がもし作品を作るとしたら、そうじゃないなって思うんですよね。
俺はこういう能力のシステムとかを考える歳、俺的に納得できるかが大事というか、
「リアリティがあるかどうが」が大事なわけですよね個人的に。
つまり「もし現実にそういう能力のロジックがあるとしたら、どういうものか?」というテーマに沿ってそういうことを考えているわけです。
あと、美しさとか。
例えば死にステとか、役割がかぶっているパロメーターとか、論理的におかしいみたいなところはできるだけ排除したいんです。
その点で言えばハンターハンターの、あの念の六系統みたいなやつは、あまり汎用性が高くないというか、
例えば変化型と放出系は別の系統だけど、例えば変化形で念をボール状にしたら、遠くに飛ばせるからそれは放出系の分野だよね?役割被ってない?とか。
操作系は自分の肉体を操作して血流とか神経を操作すれば強化系みたいに使えない?とか。
具現化系って変化系の下位互換なんじゃね?とか。
あと、隣接システム。
例えば強化系だったら、その隣の放出系と変化形が使いやすい。みたいなシステムあるじゃないですか。
隣り合う系統でしか両立できないみたいな。
そのシステムだと例えば、変化型がメインの能力者は、放出系が離れているので不得意なわけですよね。
それってどうして?ってなるじゃないですか。
強化系がメインじゃないのに、変化型と放出系が得意な能力者だっているかもしれないじゃないですか。
そういうのって、連載進めるうちに矛盾的なのが出てきそうで怖いんですよね。
そうじゃなくて、ジョジョのステータス表みたいに、変化型はS、強化系はA、放出系はD、みたいな、それぞれ自由にステ振りしてもいいですよみたいなシステムの方が良くねとか思ってしまうんですよね。
いや、むしろそれが一般的じゃないかなと思う
。
でも富樫は、こういうシステムを作ったわけですよね。
富樫はゲームをする人だから、何かゲームのシステムから参考にしたのか分からないが、どうしてこういうシステムにしたんだろうという疑問があるよね
それどこかで公開してないのかな。
インタビューとかで聞いてほしいな。
まあ、それは置いといて。
まあ、前半のハンターハンターについての話からは外れるんですが。
創作世界ではなく、この現実世界において、そういう、能力のシステムがあるとして、どういうものなのか。みたいなのを考えました。
さっきこの記事の冒頭で言った、
「どの系統を極めるというのは、2つだと極められない、一つだと極められる。そして生まれ持った才能を極めると深さが生まれる」
という富樫の談がある
でも現実では違う法則があると思うんですよね。
現実において、極めるというのは、多分こうじゃないかなっていうそういうことを考えました。
まず、前提と成る理論として、本人の性能が挙げられるよね。
素のパロメーターというか。
まあこれはハンターハンター世界でも同様だろうけども、やっぱり天は人に二物を与えるというか、
勉強が得意な人が運動も得意な事が多いみたいな。
そういう人は、おそらく素の地頭みたいなのが高い人なんでしょうね。
また、勉強が得意だけど、実際に何かを解決する能力が無いみたいな人もいるじゃないですか。
そういう人は逆に勉強に特化した頭になってるけど、自頭が悪いみたいな。そういう感じ。
つまり、現実のステには二種類あって、汎用的な素のステータスと、それぞれの技能自体のステータスがあるということだと思うんですよ。
素のステータス+具体的な技能のステータスで、その人の最終的なステータスが求められるみたいな。
例えばRPGに例えると、戦士や魔法使いとかのジョブのそれぞれのステータス以外に、そのキャラ自体のステータスがあって、その合計値が実際に使えるステータスみたいな。
だから例えば、
「そのキャラ自体のステータスが強ければどんなジョブであってもある程度強い」、ということが起こる
逆に「戦士としてのジョブステータスのみが高く素のステが低い場合、戦士以外としては活躍できない」
みたいなことが現実でも起ると思うんですよね。
現実に当てはめると、例えば
ある人が漫画を描くのが上手い人けど、スポーツで活躍できないのは、その人の漫画家のステータスが高くて、本人の体の調子が悪いからとか
また勉強ができる人がある程度スポーツもできる人がいるっていうのは、本人が健康だからつまり素のステータスが高いからどの分野でもある程度活躍できる、という説明に成るわけですよ。
そういえば、将棋界の伝説である羽生善治はチェスもプロ並みみたいなことがありましたよね。
それもそういう理由だからだと思う。
あと、宮本武蔵が絵も一流だとか、
そういう「一つを極めると別の分野でも応用できる」みいたな現象も、この理論で説明ができる。
一つの分野を極めることによって、その人の素のステータス、素の能力が向上して、それを別の分野でも応用できるみたいな。
もっと詳しく言えば、その素の能力を大まかに大別すると、心技体、
つまり、精神(自信、平常心)、技(知識やスキル知能)、体(健康)に分かれると思うんですよね。
特に、最も鍛えられるのが、精神だと思う。
一つを極めたという自信、あるいは平常心。
それは他の分野でも応用し易いと思う
そしてその自信とかっていうのは、正直精神論的というか、バカにしがちだけど、現実問題としてバカにならないものがある。
継続できる力だったり希望を持ち続ける力だったり、本番に強いみたいな能力だったり、
一つの分野に何百時間かければ必ずプロになれるみたいな話もあるから、極論を言えばどんなに能力が低くても自信さえあればカバーできるわけですからね。
逆に体と言うか健康面については、逆に低くなることも多いと思うんですよね。漫画家とか。
そう、富樫。おめーだよおめー!体大事にしろ!
そして、「技」、「技術」については、それぞれの分野でしか使わないスキルも多いから、別の分野で応用しにくい部分もあると思う。
まあ、厳密に言えば手の器用さだったり、脳の回転速度だったりも向上するとは思うが、本人では自覚しにくい部分だと思うな。
まあそれは置いといて。
ここまでがベースと成るシステムなわけです。
そして俺がいいたいのはここからなんですよね。
富樫が言っていた「極める」ということ。
これって、「偶然」なのではないかと思うんですよ。
「極める」ということは、「偶然」によるものが大きい。
偶然が起こらなければ、何かを極める事ができないと思うんですよね。
いわゆる運。
富樫も設定集で「天才に至るためには努力だけではなく偶然が必要」みたいなことを言っていて、それに近いものがあると思うんですよね。
ゲーム的に考えると、武器強化みたいな感じなんですよね。極めるっていうのは。
何らかの武器を強化する時、コストを支払って、確率で成功するみたいな。そういうシステムあったじゃないですか。ファンタシースターとかで。
そしてレベルが上がるごとにその確率が低くなるみたいな。
つまりどういうことかというと、極めるっていうのは「理論を見つける」ことだと思うんですよね。
まあ当然のことですけど、どこの分野でも、法則とか、理論みたいのを見つけた人っていうのは、最短で上達するというか、最短で成功するじゃないですか。
例えばネットで収益を上げるために、最初になんか検索対策みたいなことを見つけた人は、確実に最短でお金を稼げるし、
またあるいは、あらゆる武術にも理屈があって、それを見つけることによって無双できるわけですよ。
どういう分野でも極めるというのは、そういう理論があって、それのとおりに動けばいいわけですよね。
つまり努力というのは二種類あって、
一つはその法則を見つける努力と、
一つは法則に従って効率よく鍛える努力。
そしてそれを見つける努力には、おそらく運というか、偶然の部分が大きいのではないかと。
だがその確率を上げる方法もあって、それこそが努力とか工夫とか試行錯誤だと思うんですよね。
例えば具体例を適当に言いますけど、
普通にナニカを鍛える時、通常時は1%でその法則を見つけることができるとします。
だから普通はその1%を見つけるために、1000回くらい練習する必要があるわけです。これが努力と言われるものですね。
具体例に当てはめるならば、例えば野球でボールをバットに当てるときに、1%の確率でその感覚をつかむことができる。でもその感覚は誰も教えることはできないので、自分でバットを振って1000回練習しないとつかむことができない。みたいな。
でも、その成功確率を上げることもできる。
努力や工夫、集中などによって、その確率を通常1%から10%に上げた上ならば、回数を100回とかに減らすことができる。
逆にだらけたりやる気がないとかになると、1%から0.01%に低くなり、回数が何百万回とかになるわけです
そして普通にそんなに努力なんてできないわけだから、極める前に大抵の人間は止めてしまう。
まあ逆に言うならば、どんなにやる気がないとしても、ずーっっと際限なく一つのことをやり続けていれば極めることができると、そういうことですね。
そして、中には特例中の特例として、その確率が100%の人とかもいると思うんですよね。
練習回数は一回目で、法則を見つけ出して、極めることができるみたいな、そういう人もいるのではないか。
つまり天才タイプ、ハンターハンターのゴンやキルアみたいに、対して努力もしてないのに、一回目で念を習得してしまうみたいな。
そして、それこそが一般的に才能と呼ばれるものではないかと思うんですよね。
そう考えると、一般的に言われている才能というのは、割りと希少的なものといか、ほとんどありえないレベルのものだと思うんですよ。こんなやついねーよ普通っていう。
まあ、そういう人は、あくまで意識的にではなく、無意識的にその理論をつかんでいるみたいな人でしょうけどもね。
だからこそそういう天才の人は、その理論を忘れてしまうこともあるのではないか。
ハンターハンターにたとえるならば、ゴンは天才だけども、その才能をゴンさん化で安易に捨ててしまうみたいな。そういう危うさがあるよな。
現実でも天才は慢心してしまうみたいなところがあるし、別の部分が無いとか、常人には理解できない苦悩がありがちだよね。
天才は羨ましい存在でもあるが、そういう一長一短的な部分もあるから、言うてそんな羨む存在でもないのかもしれないな。
俺的には、そういうのじゃなくて、ちゃんと確実にその法則を意識的に見つけたいと思う派なんですよね。怖がりだから。
そういう、才能という偶然的なもの、不安定なものの上で自分の命運を分けたくないんですよ
むしろ天才って、ずるくね? 格ゲーで強いキャラ使って勝ってるみたいなもんだろ? 最初からストレートフラッシュが手札にあったら勝つのは当たり前じゃん。どんな手札からでも勝つのがかっこいい気がする。まあそれはそれで天才の所業でもあるが、それが俺的な完全勝利であると前々から思っていた。でも環境によって本当に成長できないっていうのは確実にあるわけだからな。マクロ的な本来の政府的な立場からすればどんな手札からでも勝たせるのが最善最強だと思うんだよな。
まあそれは置いといて。
俺が富樫の理論に対して「リアリティがない」って思うのは、「全ての系統を極めることが不可能」って言ってることだと思うんですよね。
でも前述した俺の理論からすれば、「凡人だろうが天才だろうが、運が良ければどの分野でも極めることができるし、試行回数や練習回数を膨大にすることでも極めることができる」という答えになる。
それが富樫のシステムとは違う点。
だが、現実的に考えると、富樫の言うように系統を絞ったほうがいい。だって人はそんなに運がいい人間だけじゃないし、そんなに努力できるわけじゃないからね。
だから、ある意味で富樫の理論はリアリティがあるとも言える。
俺は厳密な世界のシステムを言ってるが、富樫はそれをわかりやすくしている理論、とも言えるな。
まあ偉そうなこと言ったけど、俺が富樫のそのシステムを聞いた時、「俺ならこうする」みたいな、そういう事を考えた。
まあオタクにありがちな「こいつ分かってねーなぁ~! 俺ならこうする」ってやつですよね。
あ、あと、「制約と成約」というシステムも、どうなんだろうかと思うんですよね。
縛りプレイをしたらボーナスみたいなのは、ゲーム的に考えるならアリではある
が、リアリティ的に考えるとどうなんだろうと。
まあ覚悟を示すことで強くなるみたいなフレーバーなんだろうけども、
前述した俺のシステム的には、反する
普通、縛ればその分弱くなるはずですよね。
その分汎用性がなくなるし、デメリットを背負い込むよりも、それがない方が強いと思うんですよ。
でもハンターハンターの世界においては、縛って強化されますよみたいなものがある。クラピカの旅団以外には攻撃できないみたいな。
また例えば、ハンター世界において、成約で片手を切り落としたら強くなるみたいなことってあるよね(実際「俺の両手は機関銃」のやつは指切り落としていたし)、
でも、普通に考えて片手なくなったら弱くなるじゃん!みたいな。
縛り=強化ってのがリアリティの観点から見て腑に落ちないんですよ。
(ゲーム的には良いシステムだと思うが)
まあ、そんなこといっても、縛ったら強くなるっていうのはリアルでもあることではあると思う。
でもそれはリソースを集中させているから効率的なわけです。
例えば前述でも、「特定の系統を一つに縛ったほうが極めやすい」と言ったじゃないですか。
つまりハンター世界みたいに「縛る=強くなる」という数式で強くなるわけではなく、合理的だから強くなるわけですよ。
でもハンター世界においては「成約と制約」は絶対の法則みたいに語られている。それが腑に落ちない。
あと縛れば縛るほど強くなるなら、王位継承戦とか、そういう重要な戦いにおいて、縛ったもん勝ちじゃんっていう感じはしなくもない。
クラピカみたいな寿命とか削って戦うみたいなやり方が最適ってことになるよな。その場だけで勝つならば。
あと最近出てきた、無敵型というのもなんだかなという感じがする。
攻撃してこないから無敵を付与できるって法則があるなら、どうとでもルールを悪用できると思うんですよね。
例えば具現化系で無敵の壁を生成し、他の能力者がその壁を相手の周囲に張り巡らせることができたら、その壁は攻撃の意思を持ってないから無敵になるわけだし、相手は完全に封印することができるわけですよね。(まあワープされたらダメだけど)
どんだけ重い縛りを作って能力を強化しても、他人がその縛りをカバーするみたいなことができれば、簡単にハメを作れるみたいな
ゲーム的世界なんだよなぁ。
まあ、ここまで言ってきて、だれも思ってないだろうけど、ハンターハンター嫌いなわけじゃないよ。(批判的なこと言ったけど。)
正直ハンターハンター好きっす。富樫応援してます。