REVENGER 5話レビュー ネタバレあり

REVENGER 第五話「Love Never Dies」 - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

 

いやあ、今回はすごいね。

 

虚淵はなんかアレだよな。半陰陽というか、トランスジェンダーとか、多重人格とか欠損とか心は男で体は女とかそういうの好きだよな。なんかそういうイメージあるわ。

 

つまりあの可愛い子男か女か分からないやつはふたなりであり、そしてその子を買い戻したいと言っていた、サーカスの団長的ないかにも悪役のやつが実は理解のある彼くんだったというオチなわけですよ

 

そして最後には幸せな殺人をして終了というね。

 

なんか、良いな。

 

前にも夜に駆けるのPVについて語ったけど、アレだよな。自分ってこういう死が二人を分かつ的な、そういうのに弱い感じというか。

 

死ぬけどそこには悲壮感とかなくて、むしろポジティブに思っているみたいな、普通死は怖いことだけど、もうこいつらはアタマがイっちゃってるというか、なんかそういうのを超越した存在みたいな、そういうのが、なんか良いなって思ってしまうんですよね。

 

結局のところ幸せかそうでないかは、本人の自由というか。

一見不幸そうに見えるけど本人にとっては幸せみたいな、そういうメリーバッドエンド的な。幸せになるならOKですみたいな。

 

そういうものに真実性みたいなものを感じてしまうんですよね。

だって、なんかよくある勇者が「人類には希望があるんだ!」みたいな、そういうテンプレ通りのことしか言わないのって、なんかそれが一般受けするのはわかるが、「一般受けするために行ってるんだろうな」みたいな。

 

炭治郎がいい子なのは、鬼滅の刃を人気コンテンツにするためなんだよ。

だからそこに嘘を感じてしまうわけです。

 

でも一般受けしない、メリーバッドエンド的なことをして幸せそうにするというのは、一般人にこびてないからこそ、真実性を感じるわけですよね。

 

 

まあ、今回の「相手を永遠の存在にするために殺す」みたいなのも、まあなんとういか、ベタというか、ある意味ありきたりではあるんだがね。

 

でもなんか演出とかで良さを感じてしまうわけですよ。

 

 

 

それになんというか、「自分で自分の生死を決める」みたいなのに、誇りというか憧れというか、尊敬の念を抱いてしまうわけですよ。

 

普通は自分の生死は自分で決められない。

 

例えば戦争とかは、それとは真逆の行為なわけじゃないですか。

 

兵士は死ねと言われて、強制的に死ななくてはならない。それが頭の悪い上官の命令ならまだしも、賢い上官でさえ一般兵士が犠牲にならなくては進めない。それが戦争なわけです。

 

それは自由じゃない。

 

もしくは、自殺して死ぬ寸前に生きたいと思うとか。

あるいは、病気で苦しみながら死ぬとか。

 

そういうのは自由ではにわけじゃないですか。

 

でも、こいつらは、自由じゃないですか。

 

たどる結果こそ、死という同じ結末なわけですけど、それを自ら本心で望んだかそうでないかという、そういう純然たる違いがあるわけですよね。

 

そういう作品に惹かれるというか。なんか現実でもスイスに自殺マシーンがあるとかで批判されているところがありますけども。

 

そして実際に、安易に人が自殺を選びやすく成るのではないか、そして死ぬ直前に死にたくないと気がつくのではないか、という懸念があって、それはとっても不幸だとも思うのですけども。

 

でも、本人が本心から選んだ選択だった場合、それはもう止めようがないじゃないですか。

 

まあ逆に、問答無用で人を生かすことも正義だと思いますけど。

 

でもそれは、生きていることに十分なメリットを与えられる場合ですよ。生きていることに喜びが十分あるくらいの世界ならば、自殺はダメだって胸を張って言えるのでしょうけども。

 

なんかめんどくさいじゃないですか生きるのって。

心配とか精神的に後何日生きられるのかとか、老後はどうしようとかお金とか人間関係とか。

 

自殺というものは、そういうのが全部解決するっていうメリットがある。

 

それでも死ぬのは怖いし、自殺が失敗して障害者として生きなければならないリスクも背負っているから、人は普通自殺なんてしないわけですけども。

 

そういうのを覚悟している人間に対して、できることはあるんだろうかと。

 

 

 

生きることのメリットを与えられない人間が、自殺を止める権利はあるのだろうかと思うのですよね。

 

つまり、もしゲートキーパーとかなんとか言って死を否定したいならば、生を肯定しなければならない。生きることのメリットを提示しなければならないと思うのですよ。

 

普通ゲートキーパーとか自殺を止めようみたいなのって、「親や友達が悲しむ」とかそういう精神論しかないわけじゃないですか。まあそういうのも大事だと思うけども。

 

 

そういう死を否定することじゃなくて、やるべきことは生を肯定することではないのか。

 

そして真に生を肯定するには、多大な資金力だったり権力だったり時間だったりカリスマが必要なのですよ。

 

だが現代において、それはできていない。

 

多大な資金力や権力があったとしても、多くの人はそれを他人のためではなく自分のために使う。

 

それどころか間違った信念で政治を動かして迷惑をかける。増税とか海外流出とか間違った政治判断とか。

 

真に生を肯定できる人間たちは、可能なのにも関わらず、それをしない。

 

だからこそ、自殺というのもに開放感を感じるのではないか。

 

 

 

 

まあ脱線しすぎた。

 

アニメの話に戻ると、

 

このREVENGERというアニメ、結構この回だけじゃなくて結構面白いなと。

 

それはおそらく、キャラが個性的というのもあるが、悪人をぶっ殺すという開放感があるからなのではないか。

 

それも普通にぶっ殺すのではなく、それぞれのキャラ特有の変な殺し方で殺すというね。

 

面白い殺し方で思い出したが、この殺し方、良いよね。

本田鹿の子の本棚 第100話 (leedcafe.com)

鹿の子の本棚っていう漫画で、少女がガチャガチャのカプセルを相手の頭蓋に埋め込んだり、相手の目玉をくり抜いたりするっていう、

 

そいう、ワクワクする殺し方。

ゆ虐やネズミ虐に通じるものがあるよな。

 

 

やはり必殺仕事人が長年愛されてきた理由がここにあるような気もしますね。

まあ、必殺仕事人が変な殺し方をするのは、視聴者に真似されないようにらしいけども。

 

そしてやはり悪人キャラを殺すと安心する。

 

ユーチューブの浮気動画とかも、そういうところが良いんだろうな。

悪いやつが罰を受けるということに安心感を感じるのです

 

 

他人にラインを超えた迷惑をかける人がこの世界にいていいわけねえだろ。

お前の生きるために使われるリソースは、これから生まれてくる無垢な赤ん坊のために使うべきだ。