『才能』の評価の仕方について

冨樫義博展ネタバレ - YouTube

 

 

この動画において、富樫のハンター世界における才能についての解説がしてあって、

 

ハンター世界における念の系統には、本人の生まれ持っての才能、生まれ持っての得意不得意みたいなものがあるらしい。

 

それは普通のステータスシステムとは違って、全部得意とかはなくて、必ずそれぞれ一つずつの系統しか得意なものはないという。

 

例えば強化系と具現化系が転部の際とかはありえなくて、必ず強化系か、具現化系か、どちらか一つだけになるという厳格なルールがある。

 

(ただし、仮に本人の才能でないとしても、才能と勘違いするほどにそれぞれの系統を鍛えることは可能みたいな)

 

そして、その才能通りにあった系統しか極めることができない。

例えばゴンは強化系でしか強くなれないし、仮に放出とか変化系特化で鍛えた場合、この世界のトップランカーに渡り合うことはできない、みたいな。

 

 

まあ実際、現実世界でも同じ感じだよな。

 

本人にあった分野でしか、極めることができないという。

 

まあそれが、ハンターハンターの世界とは違って厳格なものではなく、

能力的なものもあれば、本人の癖になっていることでもあったり、欲望であったりもするわけじゃん。

 

例えば、計算能力が高い人は、銀行員に適正があるとも言える、これはその人が銀行員の才能があるとも言えるが、銀行員になりたいという欲求はないとも言えるわけじゃん?

そういう人は能力だけが、適正がある人じゃん?

 

それとは真逆に、絵を書く能力が生まれつきない人がいたとして、でもエロいことが好きだからエロ漫画家として大成できる可能性が高いってこともあるわけじゃん。

そういう人は、前述の銀行員の例とは違って、能力による漫画家の才能はないわけだけど、欲望による漫画家の才能があるわけじゃん。

 

つまるところ、「その分野にどれだけの時間を割けるか」、というのも、才能のうちだと思うわけですよね。

 

こう考えると、才能と一言で言っても、一つの数値によって表現できるものではないなと。

 

かんなぎ」という漫画で、そういう事を言っているキャラがいたんですよね(うろ覚え)

 

『「どれだけ得意か」、「どれだけやりたいか」、「どれだけ環境が合致しているか」、によって、その人の進む道は決まる。』みたいな

 

ハンターハンターの世界の系統システムにおいては「どれだけ得意か」だけが注目されるわけですけども、

 

そういう理論的なものだけではなく現実では実際のところそういった要因も絡んでくるよなって思うんですよね。

 

 

 

つまり自分がどの進路に進みたいかと考える歳、「能力」、「自信」、「欲望」、「環境」という複数の要素が重要になってくるわけですよ。(それ以外にもあるかもしれないが今のところこれしか思いつかん)

 

 

 

そして特に重要になってくるのが、環境と自信だと思うんですよね。

 

環境は本人の意思とは関係ないものだが、それ故にオート的なものだからこそ利用しない手はないわけだし。

 

自信は、低いと能力があっても能力にデバフがかかるわけだし。それを使えないっていう事が多いからな。それに継続性とかも自信があれば続けられるわけだし。

 

逆に能力はあまり重要視してないというか、やってればだいたいできるでしょみたいなところがある。

 

 

 

 

 

 

そう考えると、名前は忘れたけど、ヒソカに「メモリの無駄使い」って言われたやつって、あの分身を作る念能力に適正はなかったから負けた、みたいな感じで失敗として語られるけども、

 

でもそいつが「やりたい!」って思ったから作ったわけじゃないですか。

 

それもまた正解なのではないかと思うんですよね。

 

でも割りと酷評されがちというか、「良い師匠に巡り合っていれば」みたいな、悪い例として語られるけど、リアリティ的に考えればそうでもないのではと思うんですよね。

 

というか本編でも念能力は、本人の好きなことをテーマにすることで強化されるっていう設定もあるし。

 

 

ただヒソカよりも弱かったってだけで、そんなに失敗例か?みたいな。

いやそもそもヒソカが精神的に有利を取るための詭弁みたいな感じだったしなあの理論。

 

 

あと、省エネモード的に、分身のビジョンを消すこともできれば、メモリも節約できるし普通に強い能力何じゃないかとも思ったりもするわけですよ

道を間違えたというよりかは、まだ時間とか工夫が足りなかったって印象だよなぁ。

 

 

 

 

でも、ハンターハンターの設定において、「いかに自分にあった系統を見つけて極めるか」みたいなことが重要視されているように思える。

メモリの無駄使いの人もそうだし、アリ編のチーターのやつも「その能力無駄じゃね?」みたいに言われてたしな。

 

なんか、富樫はそういう経験したことあるんだろうかと、ちょっと気になるよな。半生語ってほしいわ。

 

まあ俺が思うのは、なんか漫画のコメントとかで「漫画書いてたらこんな歳になっちゃったよ~(泣)」みたいなことを言っていた記憶があるので、

 

なんか漫画家以外にもっと楽しい職業につきたかったというか、ぶっちゃけ自分がゲームのキャラというか、ゴンとかキルアになりたかったみたいな。そういう部分があるのかなと思ってしまうわけですよね。念の系統の失敗例とかのことも総合してそう思ってしまう。

 

というか、思わないやつはいないだろ。

子供の頃、将来の職業とか聞かれて、魔法使いという職がもし現実にあるならば8割以上はそれを選んでいると思うですよ。

だからなろうとか、ゲームの世界に入るみたいな作品が流行ってるわけだし。

 

なんか「俺が選んだ道はこれでいいのか・・・?」みたいな、そういう感覚が強い人なんだろうというのは妄想してしまうよな。

あるいは、無意識にそれが漫画に出てしまうというか、そういうことってあるよな。長期連載するほど、自分の内面が無意識に作品に出てしまうことはよくあることだよね。

 

まあでもやっぱり富樫は漫画家しかねえよな。幽遊白書の時点ですげー成功してるし。自分で作画しないと気がすまない人だし。

 

本当に「これでいいのか…?」って思っている人間は、俺自身だな。

人生、本当に迷いまくってる