少子化人口減少の新しい観点、「覚醒(めざ)めただけなんやね」

 

なんか、何かで見たけど、人口減少っていうのは、先進国ならどの国でも起きているらしい。

 

なんか原因はよくわからんらしいよ。

 

まあ、なんというか経済状況の悪化だったり、ネットの発達だったり、男女平等とか色々あるんだろうけどさあ。どれが一番の問題なのかみたいな。

 

まあでも、俺は「こうじゃないかな?」と前々から思っていることがある。

 

昔、1950年とかそのくらいの時代は、「男はみんな彼女がいて当たり前だった。」みたいなことを言っている人がいたんですよね。

 

なんか見るからに精神に異常を来しているとか会話ができないとか、そういうやつでもない限り、かなりのブサイクでさえ彼女がいてセックスするのが当たり前だとか。

 

そういう時代って、なんかアレだよね。なんか風俗に行く男は粋だ、みたいな、男らしいみたいな。

女は男を立てるのが仕事みたいな。女は家を守るのが仕事みたいな。

 

なんかそういう、人々の常識みたいなのが今とは違うのもそうだが、そういう固定観念が強い時代なんじゃないかと薄々思っていて。

 

これって、つまりどういうことかというと、昔の人は「同調」していたんだと思うんですよね。

 

皆が皆、同じことをしていたというか、それが常識だったというか。

 

男なら適当に結婚できて、適当に就職できて、子供を作ったり、風俗に行ったり

女なら適当に結婚できて、適当に主婦になって、子供を作ったり縫い物をしたり家事をしたりとか。

 

それと比較して現代は、それぞれ考えて行動しなさいっていう、自己責任ですよっていう、そういう感覚よね。

 

つまり昔の人っていうのは、あまり「考えてなかった」んじゃないかなと。

 

それぞれの人は自分の人生を選択して生きているというよりも、既に自分の人生が大まかに決定していて、それに従っていけば良い。別にそれが良い悪いとかじゃなくて、それが常識だった。

そんな常識があるとかも考えずに、なんかその方が楽だからそれでよくねみたいな。

 

いや、そういうことを意識していたわけじゃなくて、なんかそういう空気感というか、一つの世界観みたいなのを形成していたのではないかと思うのですよ。

 

なんかあるじゃないですか。そういう昔の作品とかを見た時、当時のなんか世界の感覚というか。匂いがあるじゃないですか。

 

前の記事で書いた気がするけど、なんか「場というものが人を変えさせる」みたいなことがどこかの心理学者が語っていて、

 

映画ジョーカーを見た人が同調してその人もジョーカーになるみたいな、そういう「場所」「聖域」が確かに存在していると。

 

いや洗脳というほどではないが、なんというか流れでいつもとは違うことをしてしまったみたいな、そういう雰囲気ってあるじゃん?

匂いってあるじゃん?

 

それと同じものが、時代ごとにも存在しているのだと。

 

だから当時の1950年くらいの人たちは、「彼女作ってセックスするのが当たり前」という、そういう空気を形成していたから、人々はそれに従い何も考えずにいきていた、

 

私はそうじゃないかと予想する。

 

そして今はどうか。

 

今は同調とかはしないわけじゃん。

皆自由。みんな好きな選択をして良い。

男だからといって男の格好をしなくて良いわけだし、女だからって主婦にならなくてもいい。なっても良い。

なんかこう、色々と主夫とか、看護婦から看護師とか、そういうなんかこう、言ってしまえば合理化みたいな、

「ここは別にこうじゃなくてもいいよね」みたいな。

昔と比べて「別に男は男らしくある必要はないよね」「女は女らしくある必要はないよね」みたいな。

 

過去にあった「女らしく男らしく」みたいな呪縛を今解き放っていると思うんですよね。

 

まあ常識というか、一般通年的にもそうだし、個人としても、なんかこう、選択みたいなものがのしかかってくるわけじゃないですか。

 

就職とかも、どの会社に入るかで命運が決まるみたいな、欠陥システムで博打を打たないといけないし、ドロップ・アウトしてユーチューバーになるとかそういうのもあるし。

ユーチューバーになったら自分で企画を考えたり何をテーマにするかとかも考えないといけないし。

Vtuberとかも実況者とかも黎明期にやると決めたやつが成功して、なんかもうアレだよね。

 

「皆が同調して同じでいいじゃん」って空気から、一変して、現代は前述のように個人の力が強くなったぶん、、競い合うというか、同調ではなくそれぞれ個人が個人であるみたいな。

 

 

昔と比べて、自分と他人は同じものではなく、あくまで自分と他人は別のものだよね、みたいな。

 

なんか、昔の人は、自分の人生を生きていないし、

今の人は自分の人生を生きていると言えるよね。

 

ただし、なんか昔の人は、自分の人生は自分の人生じゃないから、軽く自分を捨てることができたと思うんですよね。

 

だからそれで何かが失敗しても自分の人生じゃないから良いやみたいな。そういう安心感がありそうだよな

 

だけど今の人は、自分の人生はあくまで自分の人生だから、自分が失敗したらその失敗は全て自分の責任になるよね。みたいな

そして他人の人生で成功したら、その成功は自分のものじゃない、その成功はあくまでその人の成功だ、みたいな。

 

そういう恐怖があるよね。今の人っていうのは。

 

だから、「結婚してもいいんだろうか」「この人と結婚して自分が幸せになれるんだろうか」「子供を作ることは良いことなんだろうか」みたいな

 

いちいちそういう選択を迫られるわけですよね。

昔はそれがなく、問答無用で結婚して子供を生むことが決まっていたわけだけど

 

 

つまりどういうことかと、なんかこう、「目覚めた」んじゃないかなって。

 

今まで人々は、眠りながら生きていたんじゃないか。と思うんですよね。

夢の世界に生きていたのではないか。感覚的にそういう感じだったんじゃないかと。昔の写真とかを見て思いますよね。

 

それは自由がないって言えば悪い言い方だけども、恐怖も少なかったんじゃないか。と俺は妄想するわけですよね。

 

 

だが現代、人々は目覚めて、常識に惑わされず自分の頭で自由に行動できるけど、自分たちの周囲はすごい危険もいっぱいであるということに気がついたんじゃないか。

 

まあそれは昔の世界も同じだが、昔はそれを認識することなくバカであることができたのじゃないか。

 

結婚したとて裏切られるかもしれないし、子供を作ったとていい子に育つとは限らない。生まれなければよかったと思うかもしれない。

その懸念は今も昔も変わらないのだろうが、現代はそれを予め予測して選択していかなければならない。

 

なんか、こう、自分の命や人生というものが、実感するようになってきて、その自分の人生が破滅することが恐ろしくなるよね。

 

つまり今までの結婚出産の数っていうのは、そういう時代の空気によって強制された結果の数値なわけだから、その数だったわけですよ

 

ちゃんとそういう強制的な空気がない時代ならば、結婚や出産を選ばないって選択をするやつは絶対にいるんだから。

 

故に先進国は人口が減少するのではないか。

 

だがそれは良いことであるように思える。

昔はそれぞれの個人個人に自由度や選択肢は少なかったわけじゃん。

だから数で補うしかなかったわけですよ。

 

その数、確率でもってして、科学や文化は発展してきたわけです。

どんなに低確率であっても数が増えると、その中で偉大な人物は現れる量は増えるわけですからね。

 

そして現代は数が低くなったぶん、自由度が高くなり、出生数が低くとも、そういう偉人とかが生まれる確率が上がっているのではないかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の人の、そういう社会通念的なもの、私たちはそれに同調すればいい、という、集団無意識の一種について、何か名前を与えたい。

 

なんというか、集団による記憶、情報、臭いのようなものが絶対あると思うんだよね。

例えば、ある会社では雰囲気が最悪だったり、ある会社では雰囲気が良好とかあるじゃないですか。特有の感覚。

そういうナニカミーム的な、時代だったり村だったり組織だったりが纏うその雰囲気的なものって、やはりあるのではないかなと。

まるでそれは生き物みたいだよな

 

おそらく優れた芸術というものは、”それ”を感じて作るものなのだろう

世界観というか、なんというか。