自分はよく、ユーチューブのゆっくり解説動画を見るのですが、
その中でたまに「ひどい事をした人もいるもんだね」「でもこの当時はそれが常識だったんだ。だからそういうことをいうのはそういう時代背景を考慮して意見しないといけないよ」みたいなことが言われるわけですよね。
例えば、ある昔の科学者が、なんか研究をするために現代ではドン引き的な行為をしたり、あるいは、昔の侍は平民を斬り殺しても何の罪もないだとか。
奴隷は人間扱いされず何人も死んだだとか、荘園とかでは農家はただの道具扱いだったとか。
そういうことに対して「酷い!」っていう意見、
それに対して、「いや当時はそれが普通なんだよ」とか
「だから酷いっていうのは…ないんじゃないかな?」みたいな。
それってどうなんだろうね。
正直どうでもいいことなんだけど、誰も指摘しないからモヤモヤしていたんだが。
まあ確かに後者の意見も分かる。
現代においても、社畜とか正直そのブラック会社の人は無期懲役とかでいいのにかるすぎるし罪が。
売国奴政治家とか、性犯罪者とか、そういうやつらも相応の罪で裁かれてないわけじゃん。
でもそれを未来の人が見て「酷い!」って言っても、「いやそれはこれが普通だったんだよ。」みたいな。
いや、それはちょっとたとえとしてどうなんだろう。
現代においてもそれは酷いことだからな。
じゃあ例えば、学校。
学校は生徒を何時間も固い机に座れて、効率が良くない方法で授業を受けるわけじゃん。
それも未来の人たちからすればおそらくありえないことだと思うんですよね。
今やスマホアプリでそういう楽しい学習アプリみたいなのがあるし、そいううのに取って代わられることは間違いない。
だから未来の人は今の学校を見て、「うわー、こんなこと子供にさせてたんだ酷い!」
それに対して「いやこの当時はそれが常識だったんだよ」みたいな。さ
そして、学校という今のシステムは、現代においてある程度受け入れられているじゃないですか。
侍が平民を斬り殺すことが合法とかも、奴隷がなくてはならないという常識とかも、それと同じなんだなって。
当時ではそれが当たり前だったみたいな。
そういうのは分かる。
でもさあ、「今の常識で過去の歴史を見ては、いけないのかい?」って思いがあるんだよね。
別に良くないか?酷いって思ってもいいじゃん。
現代の視点から過去を振り返ることも大事だと思うんだよね。
だってそれって現代に生きる人間の特権じゃん。
その時代に生まれたら、その時代の倫理観や常識でしか世界を見れないけど、でも今は昔じゃないからな。
もちろん当時の人になりきって、どういうものだったのかを考えることも大事だとも思うけどさあ。
いろいろな視点があるし、過去の出来事や人物がどう思うのかだって、人それぞれでいいじゃん。正直に言うべきだろ。
それが学ぶっていうことでもあるんじゃないかなと。
なんか、やたらね。「当時の常識を考慮せよ」っていう歴史オタクとか先生って、結構そういうこと強調してくるよね。
それが、どうしてなんだろうと、純粋に疑問なんだよね。
俺の予想的には、多分この人たちは、過去のそういう人物を否定してほしくないのではないかと。
なんか、昔俺、織田信長ってどう思う?って聞かれて、「ええ・・・あいつ人殺しだろ?」って言ったわけですよね。
まあ実際のところ他の武将と比べて優しかったらしいけどもな。なんか部下の失敗を許したとか何とか。庶民に近かったとか。
そして考え方が先進的で確かに人気トップ争いするほどの有名人だわとも思う。
だから織田信長に対して「人殺しだろ?」っていう俺の意見を聞いたら、「いや、それは当時の常識が~」っていうと思うんですよね。
そういうことなのではないか。否定したくなんだろうな多分。
自分でも、なんか「いややっぱり織田信長やべえやつだわ」って気がついてるんじゃないですか?
でも織田信長好きとしては彼を否定したくないから、「当時の常識を」っていうのではないでしょうか。
でも正直、別にいいじゃんって思うんですよね。
何か尊敬する人間がいたとして、その人がなんかやらかしちゃっても、尊敬する部分がなくなるわけじゃないでしょ。まあやらかしも無くなるわけじゃないけども
別に負の感情を持っても、正の感情が消えることは無いと思うんですよねぇ。両方あっていいじゃないですか。