そういう感じ。
なんか、アレだな。
なんか、皆が感じている、その連帯感みたいなものを、外側から見ているみたいな、そういうことって誰しもあるよな。
なんか学校とかで、皆が持ち上がってる時に、なんかこう、あー気持ち悪いなぁって思ってしまう。いやそうじゃなくて、「こんなの嘘じゃん」って思ってしまう
なんかそういう空気を出して、何が意味あるんだ?みたいな。
それよりももっと、意味のあることをしようぜ。ってもっと器用にいきられるように今から特訓したほうが良いんじゃないの?みたいな。
なんかもう、そんなこと考えれば誰でも分かることなのに、なんだか皆そのことを誰も言わないし実行してないわけじゃないですか。学校って
だからなんというか、自分って、他人のことをバカにしていた節がある。
言ってしまえば、動物園で動物を見る感覚で見ていたと思うんだよね
別に嫌いだとかではなく、ただ、なんか諦めているというか。
前の記事で、人は「皆同じだから考えなくて安心」から「皆バラバラで考えないといけず不安」二繊維していったといったが、このときの自分の周囲の人間はどちらかというと前者の人が多い
というか子供は前者がちでしょう。
まあたまに後者の子もいるんだろうけど。
なんといか、自分の片隅に「このままでいいのかな?自分の貴重な時間をこんなばかげた学校に費やしていいんだろうか」という焦りや不安があったわ。
あとなんというか、自分って、他人にとってどう見られているかが気になるタイプだから、(前述した内容に矛盾しているようだが、俺にはそういうことがよくある)、
自分がどう見えるか、ついさっき考えてたんだけど、
もしかして俺って、宇宙人に見えていたのではないかと思ったわけですよね。
それは外見的なことではなく、雰囲気的な意味で。
なにかこう、自分がさっきいいった、そういう雰囲気的なものが時代ごとにも、チームや街ごとにも、存在するって言ってたけど、
その雰囲気は、俺の場合、なんか他人のとは違う気がするんだよなl。
他人が俺を見た場合、その雰囲気的なものは、こう、すごい、気持ち悪い、UMAのニンゲンみたいなものなのではないかと思ったわ
まあ、違うかもしれないけど。
こう考える理由として、俺が自分をそう思っているのではないか。というものがある。
自分は、なんか、どこかのチームに所属することが苦手。
いや別に所属することが嫌というわけではなくて、なんかこう、「ガンバレニッポン!」とかそういう、連帯感みたいなのが苦手というか。
まあ、別に自分の希望と、他人の希望が合致しているから、徒党を組みましょう、みたいな、そういうちゃんと理由がある連帯感ならば、苦手ではない気がするが、
なんかそういう、なんとなくふわっとした理由で連帯感を出すみたいなのは嫌だな。
だから、れいわ新選組とかも自分は応援したいし、連帯感みたいなのを俺はもっているが、それはちゃんとれいわが合理的に考えて正義だからだろうな。
ちゃんと正しいことを言っているから、安心できる。
正しいというよりも「こいつらに付いていった方が、こいつらが隆盛したほうが俺にとってもこの世界にとっても得だ」というね。つまり打算的なところがないと、俺は所属することができない。
暇空茜とかも、こいつが隆盛するほうが、世界にとって正しいことだから、山本太郎と同じく推していきたい。
具体的にYou Tubeで見かけたら必ず良いねするとか。
動画を作るとか。
さらに忠誠心が高い人は、ボランティアとか立候補とかするんだろうけど、そこまで行くのは俺みたいな陰キャでは荷が重すぎるし、俺みたいに影でこそこそやるやつも必要だろ?っていう気概でいるわ。
まあそういう例外はあるにせよね
しかし基本俺は、なんかこう、他人と同じがいやというか、天邪鬼的なところがある。
なんかここまでそうやっていきてきたから、もうそれは才能だと思うんで、それを肯定していきたいなって。