自殺ってよくさあ、「ダメだよっ」って言われたりする、それこそが普通というか一般常識的なものだと思ってたけど、なんかこの前、外国人をJKが翻訳アプリで自殺を止めるみたいなさあ。そういうニュースあったじゃん?
命を絶とうと…女子高校生が外国人を救う スマホの翻訳機能を使い「死んじゃだめだよ」(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース
アレに対して、コメントで
「「助けるだけ助けて後はバイバイ!」はおかしくないか?」
「いやお前は助けられて気持ちいいかもしれんけどなあ…」
「この外国人は生き残って救われるんか?助けるのが正しかったんか?」
っていうコメントがあったと、
それでそれに対しても色々と批判されていたという。
「いや助けて何が悪いの!?」
「JK批判してるコメントあるけど怖すぎだろ」
みたいな。
ニュースへの批判が批判されていた、というわけだな。
まとめると、自殺を止めた←止めたら辛いのが続くだろ←いやそれはおかしい止めるべきだろ
みたいな。
これねえ、一般的な大人としての批判は、「なんで文句いうねん!JKいいことしたやろ!」みたいなやつだと思うけど、みんなすまん、俺も「なんで止めるねん!」に片足突っ込んでいる部分があるよな
いやさあ、でもね
俺も机上の論理では「なんで止めるねn」派閥ではあるけども、そりゃね。眼の前で死のうとしているやつを止めたいって気持ちがあるのは分かるわ。
だってこわいもん。
眼の前で人が死ぬっていうのは、その場に立ってみないとわからないと思うんですよね。それに対して無関心でいられるのかそうでないかっていうのは
だから、このJKは、ただ単に怖いのを紛らわすというか、ただただ自分のために自殺を止めたわけなんだろうけども、
それが別に悪いことだとしても、仕方ねえんじゃねえか。
止めることが仮に悪いことだとて、でも止めるのも仕方ないじゃん。
言うはやすし、っていうかさあ。
眼の前でなんか自殺しようとしているところに遭遇したら嫌な気持ちじゃん。
嫌な気持ちを回避して何が悪いんだって言うね。
自殺するのも、自殺を止めようとするのも否定できないし、それをまた否定するのも否定出来ないなと。なってね
でも俺は、前までは、「なんで止めるねん!」派だったわけよ。全力で。
なんかこう、頭の中だけで計算すれば、たしかに自殺したいやつはしてもしょうがないし、
「止めた後でそいつが救われるの?」
「辛いなら根本原因を解決しないとダメでしょ」
「その根本の解決策は政治を変えることだが、お前ら少し政治の話すると思想が強いとか言うじゃん」って思うわけな。
拾った猫を最後まで責任持てないみたいな、そういう感覚があったわけよ。
猫に餌だけやって、子猫が増えても知らん、みたいな。そういう無責任さを感じたわけな。
お前ら、猫に対してそういうことすると「無責任だ!」とか言うくせに、人間に対してはそうじゃないらしい。猫以下の人間の価値。
その上で「自殺しようとしてるやつは助けるのが正義!!」と言いつつも、
政治に対して無関心で、実際に人を救うことに関しては一切やらないじゃん。お前ら。
政治を変えることが一番人を自殺から救うことなのにね。
でもまあ、話を戻すと。
そりゃ、感情を一切持たない人間は、自殺することも自殺を止めることも、ベストの選択ではない。
なんだけども、
なんかこう、実際、人の死に触れるというか、こういう感覚ってあるわけよ。
芸術品とかは写真で見るより実物で見るほうが良いとか、アイドルとかも実物のほうがキレイだとか、そういうのがあるけど、
実際その場に立ってみないと分からない空気感みたいなのがあって、そういうものに突き動かされて、みたいな。そういうことってあると思うわ。普通に。
なんかこう、動物愛護団体が「クマを殺すなー!」って机上の論理で「睡眠薬使えばええやん!」って外野から色々言ったとて、
そいつらが実際クマの前に勃つと「クマを殺してくれー!!」って、言うのと同じように、
実際その場に立ってみないと分からないものってあるよな。
「自殺止めることは良くないことだよ!」とネット上では言えたとしても、
実際その場に立ってみないとどうなるかは、もうどうしようもないところがあるよなって。
自殺を止めることによって苦しみを長続きさせ、結果他人に対して迷惑をかける行為だとしても、それはもうしゃーないじゃんというか。
人が常にベストな判断を下せるわけねーじゃんっていう。
あとこういう事件もあったよね。
警察官がヤバい犯人を止めるために銃を使って「いや銃を使ったらダメだろ」「もっといい感じにできたよね?」って日本の司法が警察官に罰を与えた、
みたいな、そういう判決があった気がするけど、そういうのもそういうことなんだろうな。
いやその場にいなかったお前らはそういえるかもしれないけどさぁ…はぁ…
その場に立ってないから、その時の空気感とかが分からない。
そういうやつが「いや銃はやりすぎだろ~!」とか、そうやって判決下したんだろうな。この判決下したやつって、当時は悪気がなくても一生後悔するんだろうなぁ。
ネット上で好き勝手言って、「いやそこはこうすればよかったじゃん」って、そういう風潮が今の日本の司法にもまかり通ってるっていう。
でもさあ、
JKはまあ自分のために自殺を止め、
仮にそれが自殺未遂者の苦しみを持続させる、悪いことであったとして、
そして悪いことでも「しょうがないじゃんベストな判断を常に下せるわけがない」っていう、
そういう俺の気持ちなわけだけども、
それに対して「このJKさあ…こいつの苦しみの人生に対して責任取れるのかよ!」ってツッコむきもちも分からんでもないよね。
「止めないほうが良かった」って言うやつの気持ちもわかるんだよね。なぜなら俺も弱者だから
というわけでここから、自殺止めJKアンチに対する擁護に入ります
なんかさあ、そういうネット民の反応に対して、
「自殺止めたいい子にこんなこと言うなんて、世も末だわ~こわいわ~」ってなる気持ちもわかるけどさあ。
自殺止めJKアンチって、なんかこう、他人が自殺しているのを見て、どこかほっとしているのかもしれないなって思った。
だから自殺を止めるJKに対して「何邪魔してるんだよ」っていうか
いや、それは悪意があって思ってることじゃなくて、むしろ善意から思ってることなのではというか、
この世が地獄だから、そこから開放されて良かったねって思ってるんじゃないか。
そういう俺の認知プロファイリングがそうつぶやくのよ。
なんかこう、これ以上苦しまずに住むって思ってるんだろうなというか、
なんかどこかで自殺者に自己投影しているみたいな。
だって生きるってすごいリスクじゃん。
正しい選択をしなければ苦しむ。他人に迷惑をかける、苦しい思いを長い時間味合わなければいけない。
自分が賢くて強ければ、生きることは価値しかないのだがね。
賢くなくて弱いやつは、どうすればいいんですか?
常に正しい選択を迫られるんですよ
プレッシャー過ぎますよ。
いやそれがまさしく俺なんだがね。
なんかさあ、このニュースを取り上げたゆっくり動画のコメントにて、自殺止めJKアンチに対する批判が色々書かれてるじゃん
「赤の他人が助けるな!とか口出しするな!」
「目立つところで死のうとしていたからこの人も内心では助けてもらいたかったはず!」
「自殺止めただけで批判される世の中になったのかーこわいわー民度低いわー」
とか。
それって、理屈じゃん。
それもまた、あなたの論理ですよね?じゃん。
なんかさあ、全部論理で済ますって、残酷じゃねぇ?って思うわけよ
ネット民のJK擁護派とJK否定派、お互いにね。
なんでJK擁護派は、自殺止めアンチの感情を察せないんだろうなって思ったわけね。
自殺する外国人だって、それを助けたJKだって、感情で動いてるじゃん。
全ての人が論理的に考えていれば、別に外国人だって自殺しないで頑張るだろうし、JKだってめんどくせえ余計なことに首突っ込まないじゃん。
ともすれば、それを批判する自殺止めアンチだって、感情的に動いてるはずよね。
そして、その感情は、俺の中のサイバンチョが、「許せる」って思えるタイプの感情なのですよね。
だってそいつらって、自殺者に自己投影するほど辛い人間なんだからさあ。
この世を地獄だと思っているやつらなわけですよ。
そういうやつを切り捨てるというか、なんというか「こいつらは擁護しきれない根っからのサイコパス人間なんだ!」って決めつけるのは、なんか優しくないよなって
自殺者を止めようとしたJKより優しくないよなって
そいつらを批判するっていうのはね、社会的に正しくても人間的に正しいって言えるんだろうか?
これ以上弱者をいじめて楽しいか?
なんかさあ、JK擁護派ってさあ「自殺止めた心優しきJKを批判するなんて…許せん!世も末!!」って、なったのかもしれないけども。
なんかその時点で、機械的というか、反射的というか、
この世の中に漫然と存在する「倫理」という司令塔から受け取ったものだけを条件に生きているみたいなさあ、
まあそれも大切なんだろうし、もう全員そういう感じなんだろうけど。
なんかさあ、その「倫理の指令」みたいなのに対して、あまり考えずに素直に従いすぎると、なんか後で考えたら「あれ?もしかして俺、間違ってた?」「ナニカに加担しちゃってた?」みたいにならないっすかね?
例えば「鬱は甘え!」「ニートは社会のゴミ!」「ヲタクはキモい!」とかさあ。
そういうことあったわけじゃん。
いやそう反射的に思っちゃうのは仕方ないと思うけども、よくよく考えたらしゃーないじゃんみたいな。
でもそれは、JK否定派も同じなんですよね。
日頃から死にたいって思ってるやつは、そういう、自殺を止めるとか、ゲートキーパーとか、そういうの嫌いじゃん。
ノーモーションで否定してるのは、両陣営お互い様なんよ。
だからまあ、全部しゃーあにのかもしれんねそれ含めて。
結局、自殺未遂者も、
それを止めたJKも、
それに対するアンチも、
それに対するアンチアンチも、
全員感情で動いていてるだけってことなんだよね。
そしてそれを解決するのは、選挙しかねえんだなって。
俺らがうだうだなんか言ったところで、こいつら全ての人の共通する目的は一致してるわけじゃん。
「そもそもこの世を天国にすればいいじゃん!」「弱いやつが救われる世界にすればいいじゃん!!」
ってことでしょ?
そうすればウダウダ自殺者を止めるのは悪か善か、なんて何の実もない議論を続ける必要はないわけですよね。
でもさあ、
政治の話をして「うわーあいつまた政治の話してるぅ~」みたいな、そういう風潮が結果的に自殺者を増やしてると思うんスよ。
お前らも自殺者を出すことに加担してるんだよ?(笑)
それで政治家は好き勝手に予算を使って、一般国民に使ってくれないわけじゃないですか。
自分たちのお仲間や海外にばかり投資して、国内は無視して、それで人が死んでるわけじゃん。
まあ、それは仕方ないんだけどね。
お前らも知らなかったわけだし、俺も知らなかった。
だから皆同罪さ。
みんなで殺したし、これからはみんなで救っていかないといけないよね。
心ではなく行動でもってして罪を償わないと行けないよねってだけの話よ。
そう、そもそも自殺者が出たり、あるいは自殺を肯定するとか、
そうなっちゃうのはやっぱり、日本がデフレだからなんじゃないかなと。
つまり自○党のウンコ増税ですよ。
それに対して、強く批判をしなかった野党だったり、
あるいは選挙にいかなかった我々だったり、
政治に無関心どころか政治の話をする人を「あいつやばいよ」ってレッテル張りする風潮だったり、
あるいは選挙や政治のことを知らせようとしなかったニュース、TV旧メディアの責任でもあるわけだよね。
皆が一致団結して人を殺してきたんだよね。
こうやってさあ、今回のやつとか、面白そうな、残酷なニュースが出てきて騒いでるだけで、
その実何の解決もしませんってことが何度も起きてるわけじゃん。
それってすごい残酷というか、人は群れるとバカになるの典型というか。
そうやって、まさしく問題を先送り先送りにし、謎の勢力によって増税をしてきたというね。
政治家は自分が当選するために、そういう目に見える問題を避けたわけですよ。
つまり、なんか大本をたどれば、必ずこの結論に行き着くわけよ。諸悪の根源だからな。デフレってやつは。
そして今の日本政府にこびりついたデフレ化政策を解決する政党はれいわしかないんだよな。
だかられいわ新選組に投票しよう!!広めよう!!!
そういう結論になる。だいたいね。
罪を償おうよ。俺たちで沢山殺してきたんだからさあ。