毎日生まれ変わった気持ちで生きるという考え

 

 

よく言いますよね。

「自分は毎日が誕生日だ」とか。

「常に自分が死ぬとしたらどうするか考えろ」とか、

 

そういうことが自己啓発本とかによくあるわけじゃん。

 

そういう、転生というものはあるかわからないけども、一日一日をそういうふうに、生まれ変わったように想像して生活する、みたいな。

 

そういう考えは、割りと実生活で精神を楽にする、あるいはスキル上達のために必要なんじゃないかなって。

 

つまり、具体的にどういうことかというと、

 

転生して「から」やる気出す。ってやつですわな。

 

言い方を変えるならば、「明日できることは明日やろう」という考え。

 

あるじゃん。「明日野郎は馬鹿野郎」みたいなね。

「いつやるの? 今でしょ!!」みたいな。

 

でもさあ、それって一定以下の怠け者に対しては有効かもしれないよ?

でも、十分努力できてるってやつにとっては重荷にもなる言葉だと思うんだよな。

 

なんか努力ってすればいいってもんじゃないと思うんだよね。

努力の方向とかも大事だし、休息も必要じゃん。落ち着きと言うか。

 

そして、努力を継続するためには、そういう無理やり動け!っていう考えは合わないわけじゃん。

努力が嫌になっちゃうと、もう継続できなくなると思うんよ。

 

とにかく「細く」長く続けることが何かを成し遂げる一歩だと思うんだよね。

 

まずは細くてもいいから、とにかく長くしてから、そこから「太く」していけば良いと思うんだよ。

 

夜とかすごい疲れてるときとかに「今やらなきゃ!!」で無理やりやっても、なんかミスが多かったりするじゃん。経験上そういうときにフリーズして全部終わることが多い気がする

 

だからこそ、「転生してから本気だす、」みたいな考えが必要なんだと思う。

 

「今日はもう終わり!!これ以上努力しない!!今日はもうゲームだけやる!!」っていうね、そういう怠け心も努力には必要なんだよ。栄養無くして成長はないんだよね。

 

 

これも陰陽論的なものですわな。

自分が前に記事に書いていたやつ。

陽だけじゃ成長しないっていう、そういう話。

(まあこれを曲解しないでほしいがね。悪いことをしろ、ってことじゃなくてね?

「合理的に」モノを考えた結果、「陰陽どっちも必要」ということが「多い」ってだけの話)

 

 

あと、前にも言ったけど、

ノルマには上限を作るべきだ、って言ったじゃないですか

 

俺は、やりすぎてしまうから、一日にこれ以上やらないっていう目安を作って、それをクリアすれば絶対にそれ異常やらない、と。

 

そういうね、限界を作る、っていうことが大事だと思うわけですよね。

 

限界を作ることで、限界を突破できると思うんですよ。

 

この限界っていうのは、つまり「一日の限界」を作るってこと。

そうして一日の限界を少しずつ確認してイケば、今後その「一日の限界」を少しずつ、突破していける、と。

 

つまり、「短期的に見れば限界はある」、でも「長期的に見れば限界はない」、と。

 

そういうふうに見るのが大事だと思うんですよね。

短期的に限界突破したら疲労困憊するじゃん。

 

そういうね、一日で全部意識でやるのではなく、長期的に、何度も失敗して、何度も休んで、そうやってスキルっていうのは磨いていくものじゃん?

 

 

でも、「今日やろう今日やろう」ってなっちゃうと、一日ですごいストレスがかかって、長期的にできないわけよ。

 

そういう時に、「生まれ変わった」というね、言い換えるならば「死ぬ」と思い込むことで、「まあ死ぬしいいか~」みたいなね。一日の終りの限界を感じることができるというか、諦めることができるじゃん。

 

 

 

いや、これは比喩ですけどね。なんか文字通りに受け取らないでほしいんですけどね、いやそんなやつはいないだろうけど一応ね。

 

 

なんかさあ、人って、予定があると疲れるっていうじゃん。

「何時に何々やる」っていう、そういう予定があると、普通以上に疲れる、みたいな。

そういう法則みたいなのがあるわけで、だからこそタスクは早く終わらせるべきってよく自己啓発本に書いてあるわけなんだけだおさ

 

スキル上達って、そういう精神的な疲れがあるよな。

 

何日何ヶ月かけて育てていくから、ずっとそういう疲れがあるわけじゃん。

今すぐスキルを完成させるってことができるわけないじゃん。前述のタスクみたいに、今すぐ解消できるわけではない。

 

だからこそ死んだと思うことが大事なんじゃないかなとも思うわけですよ。

 

もう放り出せと。精神的に。そのために死ぬべきだと。(比喩)