日本の大昔の絵には影がない、という疑問に付いての考察

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こういう動画を見た。

なんかこう言うのを見ていると、なんか当時の人達って、「影」をかかないらしいそういうコメントがあった。

 

西洋は、写実的、リアルっていうね、そういう系の方向の芸術だったけど、日本はそうじゃなくて、イラストとか味のある絵とかヘタウマとかね。そういう方向の芸術と言うか。

 

今で言うところのちいかわとかそういうタイプの絵師が主流なんじゃなかろうかと。イラストで子育ての漫画を書くみたいなそういうやつ。

 

なんでかな、とちょっと妄想してみた

 

そこで思ったのさ。

 

もしかして、その当時の創作の界隈って、結構素人がいっぱいイたからなんじゃないかと。そう思ったわけですわな。

 

なんか、あるじゃん。素人は絵を書くんじゃあない!みたいなそういう風潮。

 

美術の世界でも、なんか野獣派とか、ピカソとか、そう言いう人が「写実的じゃなくてもいいじゃん!」みたいな。

 

そういうのが起きた時、最初は「写実的にモノをかけないやつが入ってくんじゃねえ!芸術の世界によお!」みたいなね。

 

そういう、技術を持たないやつに対する、冷たさ、みたいなのあるじゃん?

 

例えば、3分44秒は、天才が作ったからこそ価値がある。素人が作る3分44秒はゴミだ。みたいなね。

(いや天才が作ろうが素人が作ろうが、無音の楽譜なんてどっちも同じだろと)

 

つまり「一定の技術を持ってないとそれは作品として認められません」、みたいな。

 

そういうのが、昔のそういう日本の芸術界隈は、そういう場所にはなかったんじゃなかと、そう思ったわけですよ。

 

つまり誰でもOK、入りたいやつははいってええで。っていうそういうゆるさみたいなのがあった。

だから影とか、デッサンとか、そういうのがあまり流行らなかったんじゃないかなと。

 

私はそう妄想した。

でないとああいうタッチの絵は許されないはずだよね。

 

まあ実際は違うかもしれんけどな。

別に資料とかを見て確たる証拠があるわけでもなし。

 

なんか専門家がこれを見て「いやそれは違うよ!」っていうならコメントして訂正してほしいんだけど、今のところ俺はそういうことなのかな?っていうそういう確信を得ている。

 

なんか昔の日本って、やっぱ地形的にも外国から責められない楽園みたあなところなわけで、そういう平和的な感じの民族性じゃん?

 

やっぱそういう部分はあったんじゃねーのと思うわけですよね。

素人歓迎みたいなそういう雰囲気がさあ。

 

「お前下手wwww」みたいなそういうバカにするやつもいたんだろうけど、「は?何いってんの?じゃあお前も書けよ」みたいな、今のネットみたいにそういう感じの会話が成されていたんじゃないかと思うんスよね。

 

 

やっぱ廃れるコンテンツっていうのは一見さんお断りみたいなところがあるわけだからさあ。

 

 

それで、この絵を見ていて、思い出したのが、大日本天狗党絵詞っていう漫画ですわな。

なんか黒田硫黄っていう、筆で漫画を書く人なんだけども、あの漫画すごい好きなんスよね。

 

すごい思い入れがあるので、個別に記事を書きたいのであらすじだけを言うが、

天狗っていうあらゆるしがらみから開放された魔法とか使える眷属が現代に生きていて、そいつらがしばらみに縛られたり大暴れするっていう話なんですよね。

 

なんというかこいつら天狗たちが、こう、落ち着いているというか、今ここにいる自分自身を全肯定してるように感じるわけですよね。

 

俺は、ここでない場所に行こうと必死になって鞭打って生きているが、でもこいつらはそうじゃない。別にドコに行こうが何も変わらないし、別に不老不死なんだから適当に生きとけばいいだろ。みたいな。

 

そういう、悠久の感覚というか、長寿種族特有の落ち着きみたいなのを感じたわけですよ。

 

そして、その落ち着きというのはこの漫画だけでなく、大昔の墨絵にも対しても感じ取れると思った。

 

こいつらは、デッサンとか写実的とか、そいういう何も技術を磨いているわけでもなんでも無く、ただなんとなく絵を書いているだけだと思うんですよね。もしくは楽しいから書いているのか知らないが、

 

そこには焦りみたいなのは全く感じなかったわけですよね。

「上達しよう!他の人よりもうまくなろう!認められよう!」っという気概が全く感じられないじゃないですか。昔の日本の絵って。(いい意味でね)

ただそこにあるだけというかなんというか。

 

やはりこの落ち着きこそが、なんというか日本特有のものなんじゃないかと思うわけですよ。

 

何万年も前に書かれたクスコー壁画なんかも、なんか似たような感じだよな。

 

洞窟壁画 - Wikipedia

 

こういうのって、アレだよな。

認められようとしてかいているわけじゃなくて完全に自分の趣味で書いているというか、そういう成分が大きいのだろうね。

アウトサイダー・アートといかなんというか。

 

いや認められたら本人も嬉しいのかもシレンけども。あくまで趣味の成分が大きいって言うことを言いたい。

 

完全に感覚的なものであるが、そういうところが昔のヤツの魅力なんじゃないかと思った。