握力が強い神父の教え

なんか国語の教科書に、握力が強い神父の話があったじゃん。

 

あれでなんか終盤唐突に困難は分割せよっていうライフハックを教えてもらうみたいなアレがあったじゃん。

 

リロイ・ジェンキンス神父だっけ?ルロイ修道士だわ。わざと間違えたわ。リローイ!

 

 

アレ、良いよね。

 

明日野郎はバカ野郎とかさあ。そういうのとは真逆というかね。

 

明日野郎はバカ野郎を信じてるやつって、結局のところ努力してないよね。努力してないやつがそういうんだよ。

 

努力ってそういうやつじゃないから。普通にできることをすることが努力であって、限界を越えることは努力と言えるんだろうか的な。

 

毎日思うんだが

 

なんかあと20%で完成するとか、あと5%で完成するっていう作業あるじゃん?

 

そのときなんかすごい疲れてるわけじゃん。80%異常も完成させてるわけだから。

 

その時に休まずに一気に突き進む、っていう洗濯を取りがちですよね。完成させたいわけですからこっちは。解放されたいわけですよ。

 

でも、あえてそこで休む!!

 

そう、それが困難は分割せよなんですよね。

 

そのほうが良いものが作れる。まあ当たり前ですからね。疲労状態でまともに動けないわけですから。

 

まあでも、普通に、休まずに突き進んで良いものが作れるっていうパターンもあるけどさあ。

 

なんかその場合、すごいつかれるわけじゃん。ノルマから解放されるけど。

 

なんかそれはそれでなんか疲れるっていうか、体に「やだみ」が溜まっていくわけですね。疲弊というか。蓄積されていくわけですよ。

 

 

なんか疲れてるって気が付かないよなー。疲れてるって気が付かない。

 

一度くわえこんだら意地でも話さない的な。そういうノリで作業しているわけですけどここに一回休みを入れればもっと身体的な負担も減らせたんじゃないかと思うんですよね。

 

人生100年時代、こういう身体的な不可を下げることによって、もっと200年とか300年とか寿命を長くして生きたい、もっと生きていたいよね。そういう感じで現役時代を長くしていくというか、とにかく死にたくないんで未来の延命技術の恩恵に預かるためにも肉体的負担を避けねばならない。