目を背けさせてくれや

なんか、アレっすよね。

 

平和ボケしてるよなぁ。改憲が必要だとか、核武装が必要だとか言ってるやつ。

 

平和ボケっていうか戦争ボケなのかな、別に平和ボケしててもいいというか、その方がいいんだけどね。平和でいいじゃん。

でも問題は戦争が軽いものだと勘違いしているアホなわけですよね。戦争ボケ

散々日本は広島長崎とか第二次世界大戦とか色々経験しているのに、なんか残酷な歴史記憶が継承されてないというかなんというか。

 

ロシアやチュウゴクからの侵略を防ぐために日本は武装しよう的なことを言ってるやついるけど、んじゃあ今普通に行われているアメリカとの軍事準備はどうなるんですかね。

ニュースでやってたでしょ。閣議決定で武器を売ることが決まりましたーとか。そして長距離ミサイル開発もやってましたー、的な。

 

これやられたら相手も戦争について検討するしかなくなるわけじゃん。今まで甘く見ていた相手がいきなりナイフ所持しだしたわけでしょ?

しかも敵国条項っていう、「日本が戦争準備したら攻撃しても罪に問われません」っていうルールがあるわけで、心理的にも相手が動きやすくなってるわけじゃん。

 

核の傘だとか言ってるが、ロシアになんで落とさないんですかっていう

 

そして、もしチュウゴクからの侵略が将来起こり得る事実だったとて、それはすぐではないだろうよね。

もし仮に起こり得るとしても、おそらく数年後、十数年後とか、そのぐらいなんじゃないの?しらんけど

 

何故そう思うかと言うと、まあれいわ新選組の演説とか質問会とか見てて思ったってのもあるし、

 

ロシアの侵攻について思うところがあるわけですよね個人的に。

 

ロシアの侵攻については、ロシアが悪いみたいになってるし、実際そうなんだけど、

ウクライナがそういう外交が失敗したからこそロシア側が怒って攻めたわけじゃん。そういう側面があるわけでしょ?ウクライナが外交失敗したから起こってしまったわけじゃん。

 

日本とチュウゴクに対してはそういう理由が本来ないわけでしょ? 

でもわざわざ作り出してるわけじゃん前述の武装化でさあ。長距離ミサイルでしょ?

 

チュウゴクが悪いとしても、開戦はさせちゃいけないわけよ。どちらが悪いにせよ日本にも死者が出るわけじゃん。

 

これはチュウゴクの立場になって考えてみるとわかりやすい。

 

仮に「将来的に攻めてやる」とか思ってたとしても攻めるには確実に勝てるという確信がないと逆に自分たちが植民地になるわけじゃん。

 

なら、今すぐやく理由がないじゃん

確実に勝てるって思ってからいくわけでしょ?

 

でも日本がアメリカの言いなりになって軍拡化を進めればその時期を相手が早める可能性があるわけじゃん。

かつ、無駄な増税で外国に経済侵略されてるわけでしょ?

だから、外交とかでもっと遅らせて遅らせて、その間に日本の産業を発展させて、経済侵略される隙をなくして、相手が「どうせ負けるからもうそういう計画は無しで!」っていう、もう戦争という考え事態を今後のために無くすっていうことが必要だよね、っていう、山本太郎の影響でそう考えるわ。

 

なんかアレなんだよな。最近思うんだが、結局国とかチームとか人の作る組織的なものっていうのは、かなり個人に影響を与えているというかなんというか。

 

なんだろうね。自分は前は、「組織は関係ない」的な立場というか、一種の自己責任論的な感じの考え方だったというか。

 

例えば、Aという人とBという人、C、D、EFGHI・・が無人島とかに住んでいたとして、それは単にA+B+Cというわけでもないじゃん。全く違う効果になるじゃん、みたいな。

 

調味料に例えればわかりやすいかもしれないが、例えばこしょうとしおとしょうゆとゆずと~みたいな感じに料理を作る時、それは構成要素が単純に足し合わされたものではなくて、相性とか全体のその場みたいなのが作られるわけじゃん。

 

こしょうとしおとゆずとかつおだしと~…という感じに混ぜ合わせれば、それは単純なこしょう+塩+ゆず+かつおだし…という味になるのではなく、それとは全く異なる別の味になるわけでしょ

 

ときにはマイナスになることもあるわけじゃん。じゃあ最初から作るなよっていう話になるでしょ?

 

それと同じことが国とか組織とかにもあると思うんですよね。

個人が単純に足し合わされているわけではなく、なんかこう、その組織の実態のない”場”みたいなものが形成されているわけです。

 

最初はその、個人+個人+…村+村…というふうに少しずつ足し合わされていったもの、構成要素によって成り立っていたものが、いつの間にか全体のゲシュタルト的なそういうものによって構成要素が従わされている、というか

 

本来人間が宗教を作り出したはずなのに、今度は宗教が人間をコントロールしているというか。

 

そういうことを最近思うのですよね。

 

だってさあ、ありえないじゃん。戦争とかさあ。

本来この世界の主役は個人だったわけでしょ?個人があるからこその全体だったわけじゃん。個人を立てるための社会。

 

でも今やそれが逆になってるわけじゃん。全体のための個人になってるわけでしょ?

 

全体のために戦争するぞってなって個人が殺されていくわけじゃん。

 

あと余談だけど、たまに「れいわ新選組共産党だー」とか言ってる輩がいるが、

れいわこそが個人のために全体を変えようとしている政党はないと思うわ。

逆にれいわ以外の売国政党が、全体(そして自分のお仲間)のために個人を犠牲にするゴミがほとんどっていうね。

むしろ共産党のほうが正しいこと言ってるっていう逆転現象。あとなんかつばさの党とかも最近すごいよな。なんで家宅捜索する必要があるのか。意味分からん。正当性がないだろ普通に考えて。選挙妨害ってそういうふうに家宅捜索するもんだっけか? 警察がなんか公権力の犬になってるところ始めてみたわ。本当につばさの党頑張ってくれ。

 

まあともかくなんかもうね。広島長崎とか沖縄のそういう米兵の侵攻みたいなやつとか、そういう次世代に記憶を残そう的なやつがあるわけだけども、多分子供はそういうのは理解してるとは思うんだろうな。

 

でもまあ、それはあまり建設的なことではないというか、そういうのが必要だとしてもそれは何百年後とかのときだろうみたいな感じで油断していたわけだよね。でも結構そういうのが必要になってきてるっていうね。

せいぜい80年程度でなんか情勢的に不安定になってきてるというか、売国奴が幅をきかせてるわけじゃん。

 

なんかもう、目を背けさせてくれと思うけども。