「武器を持ったら使いたくなる」という格言は、とても人の愚かさを言い表している

なんかアレですよねー。ウクライナとかガザとかそういう戦争というか、血が流れているという現実がアルのにもかかわらず、「日本は血を流すべき」的なことをいうアホが偉い人にもいるわけですが。

 

まあ俺もね、なんかどっかのゆっくり実況で「日本は核を持つべきだよ」とか、「憲法改正しないと日本を守れないよ」だとか、そいういうことを聞いて「たしかにそうだな」と思ったわけなんですが。

 

しかしれいわ新選組山本太郎は逆であり、「まずは話し合いからでしょ」とか「経済政策も話し合いもしないで何勝手に進めてるんですか」っていう感じなんですよね。

 

それに対して、前述の血の気が多い現実の見えてない人たちは「いや山本太郎の言うことはお花畑だ」という事を言うわけですが、いやいやお前らがお花畑だと、そう思ったわけですよ。

 

まず、この記事ではあまり緊急事態条項とか敵国条項とか、よく言われてることを言わずにちょっと別の視点からこのことを語りたいと思うのです。

 

つまりこの記事のタイトルでもある「武器を持ったら使いたくなる」という格言。

 

「”やらない”よりも”やる”ことのほうが分かりやすい」ということがあるじゃないですか。

 

そういうことだと思うんですよね。「武器を持ったら使いたくなる」という格言は。

 

人は”無い”ものよりも”有る”ものがよく見るわけですよ。

 

まず前提として、世の中にはあらゆる選択肢があるわけです。一つの問題に対していろいろな選択や視点があるわけで、その中で一番いいものを選ぶ、ということを人はするわけです。

 

特に政治とか、人々の生活とかに影響するものは慎重にするべきです。

 

そして全ての選択肢において存在する選択があります。それは「やらない」という選択です。「逃げる」「中止する」

 

これはかなり重要な選択なんですよね。

 

「逃げる」とか、「やめる」とか、そういうのにマイナスイメージがあるのは分かるけど実際勝てない相手には逃げるほうがベターじゃないですか。

暴漢に襲われた時に戦うよりも逃げることを最優先に考えろと、そういうことを護身術の講座では必ずいうわけじゃないですか。

 

もちろん逃げられないときは戦うことを選ぶっていうこともあるでしょうけど、まず前提として、「やる、やらない」って2つの選択肢があるわけじゃないですか。

 

 

しかし人はそういう選択肢を選びにくいと言うか、最初から「やめる」というものが選択の中に入ってないことすらあるのです。

 

「これをやろう」と人は決めて、調べていくうちに「あれ?これやったら不利だな」ってなる。

あるいは始めていって、やっている途中にこれが失敗に終わるのだと気がついていく。

 

そしたら普通やめるのが合理的選択肢です。

でもそれができないのが人の心というものなのです。

 

コンコルドの誤りとかそういうやつです。既にやろうと決めてしまったから、そういう予定だったから、という理由で断行してしまうわけです。失敗するとわかっているのに。

 

まず、そういう人の意識があるってことを前提において、話を戻します

 

そういう「日本も戦うべきだ」とか「日本も核を持つべきだ」という考えもその心理的要因があると思うのです。

 

なんというか、「日本は核を持つべきか?」という議題に対して、本来なら「持つ」と「持たない」という2つの選択があるわけです。

 

しかし、この議題において「持たない」という選択は選びにくいと思えるのです。

前述の通り、人は「やらない」ということが選びにくいからです。

 

もちろん、あらゆる要因とか、持たない理由、持つべき理由など、それぞれにメリット・デメリットなどを考慮して~とかそういう客観的に合理的に科学的に考えるならばその限りではありませんが、

 

そういう思考ができない、知識がない一般人だったり、ボンボンで生まれてから一度も失敗したことがないあまちゃん政治家とか、そういった無学な人にとってそういうメリット・デメリット的な思考はできませんから。

 

「〇〇する?」って親から聞かれた時に子供は「やらない」よりも「やる!」みたいな。単純な思考に陥りやすい、ということなのです。

 

 

まあこういうとちょっとバカにした言い方というか、実際バカにしてるけど、でもなんというか、それはしょうがないところというか、人としての性質的なところがあるわけですが、とにかく俺はそういうことを指摘していのですよ。誰かが指摘しないといけないことなのです。

 

「お前ら、視野が狭くなってないか?」とか「やらないという選択肢を失ってないか?」と。

 

「やらずよりやって後悔」、といいますが、明らかにやらなかったほうが利益が大きいということは頻出するシーンなのですよ。

 

株とかを考えてみると分かりやすいじゃないですか。諦めないよりも諦めるほうが投機には重要なんですよ。利確とか損切りとか

あとしくじり企業とかいうなんか今ツイッターで闇落ちしているチャンネルを昔見ていたのですが、調子がいい会社が調子乗りすぎて急拡大した結果潰れるということもあるあるだし、

歴史的にも日本が日清戦争で勝ったから、このままアメリカとかとも戦うぞ的な、それでなんか今苦労しているわけじゃないですか。アメリカの犬になってるわけじゃないですか良い恰幅の政治家がドMプレイしてるわけじゃないですか。

 

コンコルドの誤り」が歴史的にも個人的にも多く頻出するシーンなのですよ。

 

そして、実際「日本が核を持つか持たないか」という問題において、俺の場合「今は確実に持たない方が良い」っていう考え方なんですよね。

 

山本太郎の言ってる「敵国条項」というのもそうですよね。日本が武装したら攻撃していいっていう約束になってるわけですよ。そして中露が日本を警戒するというのがあるじゃないですか。ただでさえ長射程ミサイルとか開発しているわけですし、やばいわけですよ。

 

山本太郎さんに全幅の信頼を置いている俺ですが、実際そういうのがあるというのもあるし、

 

そしてこれは俺の意見なんですが、「持つ持たない」っていうのは、世界情勢によるところが大きいと思うんですよね。

もし仮に本当に相手が「撃つぞ!今すぐ撃つぞ!」っていう、そういう局面なら「じゃあこっちも爆弾持つわ!」ってなると思うんですけど、

 

んで、それで、今は日本が核を今すぐ持たないといけないというほど切羽詰まってるんですか?っていえばそうでもないわけじゃないですか。

 

山本太郎さんの言う通り、このまま戦争なんてしなくても日本はチュウゴクやアメリカに侵略されるわけですよね。土地を買い占められたり会社を奪われたりとかして。

 

そう考えると、相手としても核は打ちたくないんですよね戦争なんかしたくないわけですよ。

そういう視点で考えると今は絶対に切羽詰まってないというか撃ってくるはずがないわけですよ。だってそんなことしなくても奪えるんだから。

 

だからなんというか、持つ持たないという問いに対して、ベストアンサーとしては「それ以前に、まず経済政策をして、経済侵略を止めないといけない」っていう答えなわけですよね。

 

そういうふうに視野を広げないといけないよねという話ですよ。

 

なんというか相手が「日本は核を持つべき?」とか「憲法改正するべきか?」という問いに対して、普通の一般人だったり、ボンボンの勉強不足の平安貴族政治家たちは、「うーん、持つべきか否か…」って、うんうんうなってその部分だけ見ちゃいがちだけど、前述の通り経済侵略だったり敵国条項という要素があるわけじゃないですか。

 

なんというか、歴史の授業で「あそこでアメリカと開戦しなければよかったのになー」みたいに思う人がいるわけですが、当事の人としては視野が狭くなっているというか「周囲の人がそう言ってるから」みたいな思考誘導があるわけです。

 

それと同じように、「日本が血を流すべき」とか「核を持つべき」とか言ってる人は思考誘導されてない? 視野が狭くなってない?っていう、そういう自問自答が必要でしょというか、また同じ間違いを繰り返さないためにも、短慮になってはいけないというか、慎重になるべきだと思わないか?

 

なにせ日本は核爆弾を落とされた国なんだから、その歴史をちゃんと直視するべきではないか。

アメリカの場合、戦争しないと生きていけない感じになってるんだから、日本はちゃんとそれに対して警戒しないといけないでしょ。だからこその独立を掲げてる感じなんだろうね。れいわとかまともな人達は。

 

日本が世界を守るべきなんよな。世界のお手本になるべきなんだよ。ユートピアに最も近い、これから理想郷になる可能性が最も高いのが日本なんだよな。

 

まあ、いろいろな意見があって俺はそれを歪めることはできないが、最低でも自分の意見を1回疑うべきだよ。

 

俺の場合、れいわ新選組を何度か疑ったことがあるが、そのたびに「あー、れいわが正しいわ。俺が間違ってた」って客観的な立場から思い直してきた。だからこそ、全幅の信頼があるわけですよね。

雨降って地固まるではないですけど、宗教じゃないんだから。