「何かを好き」と考えている間、俺はそれを好きになれないのかもしれない。比喩的な意味ではなく

昔、自分はサンリオのあるキャラが好きだった。

 

まあどのキャラがとは言わないが、フェイクも入れておくとして

 

とにかくそれが好きだった。

 

だがある時友達からこう言われた。

「お前〇〇好きなん?」

 

その瞬間、俺はなんか恥ずかしくなったのである。

 

だが、恥ずかしさ抜きにして、今こうもおもった。

 

「あれ?なんで〇〇好きなんだっけ?」

 

なんというか、考えることによってそれに対する感情が消える気がする。

 

見れば見るほど掴みどころがなくなるというか。

 

なんというか、明確な理由を俺はほしいのかもしれない。

 

「好きだから好き」なのではなく「こういう物理的な理由があるから好き」という。

 

掴みどころのある理由が必要なのだ。

 

だから俺は友情は嫌いで、恋愛が好きなのかもしれない。

 

友情というのは理由がないからだ。

そして恋愛というのは、性欲という確固たる理由があるからなのである。

 

そして、前述の「(理由もなく)〇〇が好き」という状態は、俺の中で表現すると「狂気」なのである。

 

狂気というか、幻想なのである。

 

なんというか、その理由もなく好きという感情には、何ら根本的な理由がない、とてつもなく意味不明の行動。

 

例えば誰もおしっこを飲むこともしないし、道に寝そべることもしない。だって理由がないんだから。

それと同じく、理由がないのである。だから狂気なのだ。

 

そして「結婚するための条件は馬鹿になること」という格言がある通り、一般的に見ても恋愛というのはバカなのかもしれない。恋愛というか、プラトニックな愛は狂気なのである。だって理由がないもの。

 

一般的にプラトニックな愛というのは、つまるところ「この人のこの顔が好き」だとか、「この人の世界観がすごい」とか、カッコいいとか、尊敬するとか、そういうことなんだろうなと思うわけです。悪く言うならば身近に生きている芸術作品を見ておきたいということなのです。多分。それは理由があるから、正気だよね。

 

なぜこのような考えなのかを考えると、そのほうが騙されにくいからというか、損しにくいからなんじゃないか。

 

例えばカルト宗教自民党を信仰するおばさんおじさんとか、DV彼氏に依存する彼女とかを見ていれば分かるよね。理由がなく「好き」というだけで応援するからかけがえのないものに寄生するウジ虫が耐えないわけですよね。自民党議員とか。

 

理由が必要なんだよね。そのほうが確実。まあときには直感でとかいうやつがあるけども。それは時間がない時限定でしょっていう。時間があるなら確実な方法を選ぶべきだろ。

 

 

まあそんな感じで、そして、先ほど「性欲の伴った恋愛は、理由があるので正気である」ということを言ったが、しかし、それすらも味方を変えれば狂気なのかもしれない。

 

なぜならば自分はオナニーをし始めてしばらくした頃、こう思ったのである

 

「オナニーって

、なんで気持ちがいいの?」

 

こうなるともう終わりなのである。

オナニーの快感について考えると、それは快感ではなくなるのである。

 

先ほど自分が言った通り、「(理由なく)〇〇が好き」という状態から「なんで〇〇が好きなん?」と聞かれて「あれ?なんでだろう」と理由を聞かれた時点で、なんというか好きかどうかがわからなくなる、という現象。名前をつけるなら、ケセランパサラン現象として、

そのケセランパサラン現象が性欲に対してもあるからなのである。

 

なんというか、構成要素としてオナニーをすると寒い感じがするというか背筋がゾワゾワするという感じがするわけだが、その感覚はなくなることはない。しかしなぜその感覚と「気持ちいい」という感覚が結びついているのか、分からない。

 

まあ、やり過ぎというか飽きたというのもあるのかもしれあにが

 

なんというかゲシュタルト崩壊したみたいな感じ。

 

なんで自分はこれが好きなんだろうという疑問がのこるのである。

 

だが、その理由が分かるのである。

 

それは使命感的なものなのである。なんというか、俺の才能的なものによるものなのかもしれないが、この感覚に付随する、「理由」が「生命として子孫を残そうね!」みたいな使命感である、ということがこの時俺には分かったのである。その時は性教育とかあんまなかったわけだけども。なんというか、集団の属する自分、みたいな感覚があった。

 

そして俺はその感覚に唾を吐くことを選んだのである。

 

「は?勝手に決めるなし」という感じだ。

 

なんかキモくないすか?本能。勝手に決めるなよ。誰が上か教えてやるよ。

 

あと、なんか子どもを作ったら主人公がそいつになっちゃうわけだし、あと生まれてきたらきたでそいつを大事にするしかないっって思ってたから、そういう負担もあるわけだし、そしてそれで怪我したりしたら可愛そうだし。

 

だから相当の覚悟がいるんだよね。子孫を残すっていうのは。

 

なんというかこの「生命として子孫を残そうね!」っていう感覚を、そういうふうに年端の行かない子どもに教えるっていうのはさあ、ちょっと本能クン、お前最低だなって思ったわけです。

 

まあ別にそういうふうに人格的なものはなく設計されたものではなく、単にダーウィンの進化論的にそういうのが生き残ってきたのは分かるわけですが。

 

まあとにかく、普通の人はこの「子孫を残そうね!」っていう指令を無意識に受け取っており(寄生獣)、それによって人類文明が続いてきたわけなんでしょうね。

 

だからなんか、前「子どもを残したらもう自分の役目は終わったでしょ」みたいなことを言ってる人がいたんですが、それを聞いて俺は「え?なんで子孫を残すことが自分の使命だって思い込んでるの?誰もそんなこと言ってないよね?」って思ったわけですが、つまるところこの「指令」があるからあいつはそういうことを言ったんだろうなと思ったわけです。

 

そして、それを認識することができるのが俺の才能だと思っています。

つまり私はある意味での天才であると言えますね★