何足も遅れて映画バービーについて思ったこと

アマプラでみました

どこでも言われてることだが、映画バービーってむしろ女を馬鹿にしてるよねという話。あるいはフェミニストを名乗る集団を馬鹿にしてるよねという

 

まあ久しぶりに政治以外の話題だが、なんか見ててモヤモヤしたので

 

まあ誰でも見ても分かる通り、ケンが可愛そうすぎるというか、なんか最初バービー、主人公たちの勢力が、ケンを可哀想な感じに扱っていたわけですよね。そして中盤くらいでケンが「これからは俺達の時代だ!」って感じでなんか可愛いわけです。ムキムキマッチョ帝国とかいって自信を取り戻して「良かったねぇ」みたいになるんだけども、それに対して主人公たちは「男社会は許せません!」ってなって洗脳された(?)バービーたちを脱洗脳(?)していくと。

 

なんというか、いいんか?これでという。なんかすごい、えぇ…っていう。完全に加害者に見える

「別に皆満足してるのにフェミニストと名乗る集団が皆を脱洗脳という体で洗脳してますよね」という風に見えるけども、主役はバービー側という。どっちが正義なのかわからなくなる。グランド・セフト・オートだろこれ

なんか人間界に来たシーンで仕事をしている人たちも男だらけで良くないみたいなことをバービーは言ってるけど、でもそれ性別以前にコイツラお前たちの味方なわけじゃん。感謝とかないんか?って重んですよね男女とか関係なく。なんか現実世界でケンの商品が売れまくってそれに対して社長が「私は女のバービーを売りたいんだ!」tて言ってましたけど、それって完全に味方じゃん。それで「男だらけでいや!」みたいなことを言ってたわけですよね。言ってたっけ?そういう態度なわけです。「いやでも女性のお陰で会社も維持できているわけですし、社長も何人か女のときもありました」みたいなリスペクトも言ってたわけですよね。

感謝というか、女性に対するリスペクトがあるのに、ダメなのかという。男であれば何をしようが悪であり、女であれば何をしようが正しい、みたいなそういう態度というか。

なんか「男はこうすれば簡単に騙せる」みたいな展開もね…。

 

明らかに性差別的で。これだけでヘイトを向けられても仕方ないよなと。

「これが男女逆なら燃えてたよね」というテンプレ構文がまさしく使えるよなあ。もし主人公が男で、女性だらけの組織に対して「男はいないの?」みたいに聞いたらどうなる? 「女を夢中にさせるには頭ナデナデすればイチコロだよ。その後わざと他の女と仲良くして争わせるんだ」。みたいにいったら、女はブチギレるよね。

 

この映画は割とそこまでむちゃくちゃでもないんじゃないかと思う、メタ的に見て良い映画なのではと思う(後述するけど)のですが、この部分だけでもアンチフェミ勢から叩かれても仕方ないと思えるわ。

 

なんというか不平等感があるなあというモヤモヤがありあmすよね。っていうか完全に女をバカにしてるだろっていう。女の味方のフリをした敵だろっていう。

 

そう思う原因は、ケンたちが悪く書かれていないってところなんだよね。可愛く書かれている。というか可愛そうで不憫みたいな。なんか自分ならもっとそこら辺は、邪悪に書くのになと。人間の悪意なんて底がないんだから。いくらでもかけますわ。洗脳された(?)バービーもそんな楽しげに書くんじゃなくて、もっとこう、洗脳されたということを印象付けるような感じにしたいわけですよね。いいじゃん映画なんだからわかりやすくて

 

だから俺は分かってると思うんだよね制作者も。「ほら、モヤモヤするだろう?」って感じで書いたのではないか。そう考えるとやりおる。

 

でも、そうじゃない可能性もあるんじゃないかと思うわけです。その可能性とは、敵役を悪く書けないということです。

結局ケンというのもなんとか社の商品だから悪くかけないってのがあるんじゃないかなと推測しました。もしこいつらが本当にヘイトが集まるように描写してしまったら、ハリポタの悪役みたいにいじめられるくらいだからそういった不買活動的なものが起きるのでhないか。なんとか社の社長もそりゃ悪く書けないわなと。男だらけだけど女にリスペクトがありますって書かないとダメですよねっていう。

 

いや、そういった理由も確実にあるんだろうけど、それを「利用」したのだとしたら、やりおる。と思うわけです。

まあ偶然そうなってしまった、という可能性もあるのだけれども。本気でフェミニストと名乗る集団の援護をするために、こういった逆にバカにするような内容の映画をとってしまったという可能性もある。

 

でもケンや会社のイメージを損なわずに悪役にさせる方法が一つある。それはオリキャラで敵を作ればいいじゃん。映画によくあるオリキャラ。家父長制の権化とか神的な存在が、ケンたちを操っていたっていう設定。それならどうだろう?バービーたちが洗脳を解くシーンとか、座談会的なので地味に解いていったけどさあ・・そうじゃなくてなんか聖なるパワー的なのでそういった邪悪の権化みたいなオーラを解呪したみたいなやつだったら良かったのでは。ビジュアル的にもいいし。

そうせずに、座談会的なものっていうね。リアルに寄せていったという。確信犯なのでは?

 

まあどちらにしても、面白いなと。後世で「あ、これ色々言われてるやつだから見てみるか」ってなって見ても「え?何このクソ映画」ってなる感じが面白いかもしれない。なんかその背景まで知らないと面白さが分からないタイプの作品だわ。AKIRAを今の子が見るとそこまで言うほど衝撃的か?みたいな。でもそれは当時革新的だったんだよ的な。当時の時代背景込みで面白いかもしれない。

 

あと、もう一つ映画以外で言いたいのが、この映画をレビューしているブログとかで、よく「この映画を批判したら、自分も女を差別している側になる」みたいな論理ですよね。それってどうなの?って思うわけです。

なんかよく歌丸YouTubeで「見ているうちに自分が差別してる側に”組み込まれる”」みたいなことをいって映画を評価していることがありますが、第九地区とか。その論理ですよね。メタ的に読者を参加させる的な、自分が殺人犯になってたみたいな小説がありましたけど。ホラーで言うところの自己責任型的なギミックというか。

 

なんか、しゃらくせえなと思うわけですわ。

まず差別していいでしょ。いいでしょっていうか、仕方ないでしょ。差別自体は心の動きなので、仕方がない。例の聖人が「レイプする想像をしたら、もうそれはレイプしたのも同然!」みたいなこと言ってましたが、そんなの仕方ないでしょ。そんなの男女どっちもやるでしょっていう。

差別が悪いんじゃなくて、暴力だったり差別的な法律だったり、あるいは公人が差別的な発言をすることがダメなわけです。他人にあたえる影響力が高すぎるからそれはダメだけど、思うこと自体は仕方ないでしょそう思うことを縛ることなんてできませんわ。実際に行動したりしないんだから許してくれよと。

 

そして、差別が悪いんだとしたら、バービーが性別で人を差別してたのはええんか?と思うわけですわ。まあこれは制作者はわざとやってる節があるけども、バービーが現実世界に来たシーンで、社長や労働者に対してまあそんなあからさまな発言はしてなかった記憶だけどもそういった態度だったわけですわ。

 

もちろんそれは前述の通り別に良いんだけども。だって男を差別すること自体は現代で許されてることじゃないですか。逆に女を差別することは非暴力であれ社会通念上許されてませんけどね。

社会的にそういった通年じゃないですか。おじさんはいくら悪く言っても良いみたいなノリがありますよね。それが良い悪いとかじゃなくて、ギャグとしてコミュニケーションとして通ってるっていう。ハゲとか勃起とか、そういった男性特有の生理現象はギャグとして消費して良いけど、生理とか出産とかをバカにしてはいけません的な。ホモは面白いけどレズはちょっと、みたいな。淫夢なんてもはや文化でしょ。一方でクッキー☆が衰退したのもそういった差別意識なんじゃないですかね。

まあそういった、無自覚に差別してるってことを批判すること自体はできるでしょうけども、なんかそういう風に成ってるんだから仕方がないで済ますしか無いよね。だってそれは人の心の自由が産んだものなので縛ることができないよね。もちろん法的に差別とか公人が差別発言とかは許されてないわけですが、一般人がそれを守ることは本当に必要なんだろうか。必要というか、可能なのか? 身動き取れなくなるのではないか。

無論それに対して「ハゲ馬鹿にするのは性差別だよな」みたいにツイートしてアンチテーゼを上げることも差別同様に自由だけども。有名人がそういう事を言ってバズる未来が見えますわ。

 

話は戻るけど、この映画を批判したら自分も邪悪になるぞ理論、それってええんか?って思いました。だってこれ…ねえ。

 

もし仮にこの映画が、ケンサイドがあからさまに邪悪で暴力で女を良いように扱ってるんだとしたら、「これを批判するってことはお前も暴力で支配したいのか!」って、そう言えますけども。

実際はむしろ女の方をバカにしてる(ようにみえる)わけだから。むしろ良いと評価してる側が女性のアンチになるという、これも一種の仕掛けにハマってるというか、

歌丸の言う「差別に”組み込まれる”」ギミックにハマってるのは”さて、どっちでしょうか?”、という、そういう事も言えてしまいますよね。

なんかそう考えたらバービーってすごい映画かもしれないわ。

こういう読者参加型のギミックっていうのは最初にやった人はすごいというかインパクトがあるけど皆が真似されていくうちにチープに成っていくところがありますけどさあ、例えば犯人は探偵だった! 主人公が悪役だった!とかそういうのは最初にやった作品はインパクトがあるし後世に語り継がれるけど真似されてチープに成っていくよねっていう、

そういった種類の映画として見たときに、「視聴者が差別に加担してしまう」タイプの映画としては、そう来たかぁ~っていう。見方によって全く逆に反転するような感じはドンデン返し的な感覚ですわ。

最後らへんの謎空間での会話シーンの内容も、ある意味でフェミ(と名乗る集団)へのアンチテーゼとも言えるし、逆に女性応援的?フェミニズム的?とも言えるし。

 

あと思うんですけども、ネットでよく騒いでいるフェミニストを名乗る集団って、なんかちょっと、皆彼らに対して優しくするべきなのかもしれないな、と。そう思ったよね。この映画を見て。そっとするべきなのではないか。

そう思うほどに、なんか意外とこの映画って、フェミとアンチフェミの架け橋になりえるのではないか。なんか原爆と絡めるミームとかで第一印象は最悪だったんだけども結構良い映画なのではないか

 

前述の通り、「この映画は女をバカにした映画なんじゃね?」、あるいは「バービーの商品を穢したくないからこうなったんじゃね?」 という仮説を建てたわけなんだが、しかして、そのどちらでもないとしたら?

 

どういうことかというと「フェミ(と名乗る集団)から叩かれたくないし、アンチフェミからも叩かれたくない」という思想設計。つまり見るものから見ればどちらとも取れるという風に作ってあるのではないか。

 

つまりフェミと名乗る集団からすれば、この映画は女性賛美的な映画であり、アンチフェミからは逆に女をバカにしている映画であると。そうすることでどちらからの支持も得ようとしているのではないか。そういう説。

そしてそこからもう一ランク上がってもう一つの説、「フェミ(と名乗る集団)とアンチフェミの架け橋になろう」という思想をもってこの映画を作られたという説。

 

前述の通りケンが可愛そうに見えるという、そしてバービーたちがなんか邪悪に見えるという、そういう感じで「自分を客観的に見ろ」、的な側面もありつつ、アンチフェミ的にはメタ的に見て「なんか映画的に悪く書かれててバービー(女)側って可愛そうだな」と思える可哀想になってくる感。あるいはしょうもなさ。こんなので一部の人は満足してしまうのかというか。

フェミ(と名乗る集団)に対してもなんかが伝わってるのではないかと思うわけですわ。なんかラストもなんか諭すような感じだったし。

創業者?が出てきてそういう感じの事を言ってたけども。ここらへんフェミ(と名乗る者たち)やLGBTへのアンサー(マジレス)になってるよな。「いや、あんたらなんか色々言ってますけど、そんなことしなくても誰に何の許可を取らなくても自分がやりたいようにやればいいやん」っていう風に聞こえる。「誰の許しを取らなくても自分の意志さえあれば人間になれるの?」っていうセリフとか(だからツイッターで言わんでもお前が実力で社長になればええやん家事が嫌なら主婦やめればええやん)、「人類が男社会やバービーを生み出したのは現実を乗り越えるため」みたいなセリフとか(お前が守るために働いてる男が敵とか間違ってるだろ)。結構まともなこと言ってるよね。ここはそこまで無茶苦茶じゃなくねと。もっとフェミ(と名乗る集団)の味方をするなら、プリキュア的な女性賛美「女は皆プリンセス」「女は強いのよ」的なことを言うと思うんだよな。ここでそういう諭すようなことを言うってことは、思想としては割と「お前らおかしいよ」「目を覚まそう!」的な立場なんじゃないか。そう推測する。

でもこの映画はあまりそういった女性弾圧されるような展開というのはほとんど無いわけなんだから、そういった女性へのエールみたいな言葉は違和感があるからそういう事を言ったのかもしれないが。最初からバービーは救われているというかプリンセスであり満足している存在なわけで。そのうえでグランド・セフト・オートしてるからやり過ぎ感が出てくる。谷がない。序盤の体の劣化しかしかないわけです。

なんというかこの映画の(メタ的に)憎めない部分は、谷を作るために男性を過剰な悪にするっていう展開がないところなんだよな。可愛げがあって、それを馬鹿にするっていう。むしろ女側バービー側が悪役だろっていう。

 

 

そしてなんで俺がバービー側に俺が優しいのかというと、作中で憲法改正するとかしないとかいうワードが出てきて、反射的に「するなッ!」って思ったわけですわな。まあバービーランドがケンランドに変わってもねえ。コンセプト崩壊だしあの世界はそれでいいんじゃないのかという保守的な思想で、まあ良いんじゃないのって言う。あの世界はバービーのものだろ。それぞれの文化というのがあるから。という心理になりました。ここらへん制作者は憲法改正反対派だからこういう風にしたんですかね?まああっちの憲法とかよくわからんけど。なんかそこで好印象を受けたよね。政治的な主義の話だけども。

でもここのバービーサイドムカつくんだよなぁ。悪役的な感じというか…これ絶対わざと悪く書いてるだろっていうか…。ケン側は可愛く描かれてるよなぁ明らかに。歌とかもあるし。ここでケンがかったとて、なんかそのほうが収まりがいいかもしれないな映画として爽快感があるかもしれない。胸がすく思い。ざまあみろ。

 

だから逆に、バービー側が可愛そうと思いましたわ。メタ的に悪役として描かれてるじゃんバービーが。絶対制作者に嫌われてるだろ。バービーもとい女性のことを悪く描きすぎだろという。

 

かつケンも可愛そうな存在だよなと。なんか終盤で「バービー好きぃ」みたいな感じになるけどバービー側は「いやそういうの求めてないから」みたいになるわけですわ。ハリポタのハリーとハーマイオニー(またはルーナ)がくっつかないことに憤慨している自分にとっても「なんで?(殺意)」ってなる。まあこういうことってリアルでも男女でよくあることだけどもその場合別れればいいだけでしょう。でもこの世界のケンはバービーしか相手がいないわけですよね。だからもう一生心を許せる相手がいないっていう。バービーはたまにごろにゃんする的な感じでもなさそうだし。ロボットなんだよね。鋼鉄の心臓。女同士で満足できるっていう。男が嫌いなように見える。そういう人を相手にするしかないという呪われた運命。もうこれケン同士で愛し合うホモになるしかないだろ(?)。フェミ(の名を借りた亡霊)に対抗できるのはポリコレだけだろ。というのは冗談で、まああの世界のバービーの住人たちは好きなときに人間になれるっぽいから救いはあるよね冷静に考えると。ケンは全員出ていったほうが良いのでは。いやでもリスクがあるよな。バービーランドでは不老不死なわけだから。どちらにしても、地獄。だから結局ホモになるしかないのでは?でもダメなんだよなぁ。多分ケンはバービーしか愛せないという設定っぽいから。やっぱり呪われてるじゃないか。でも可哀想が可愛いという感じで、安易に幸せになるとケンの魅力がなくなるかもしれないな。ちいかわみたいなもん。

 

なんだろうね。なんか昔自分もフェミ(の名を語る集団)に対して「は?フェミありえないんだか?」って本気で切れてた記事を書いたような気がするけど、なんかもう最近は皆寂しさで狂ってるだけなんだなぁと思いました。

女として欠けた部分を満たそうとしているように見える。でも人間ってそんな完全なものでしたっけ?完全を目指すにしてもやり方が間違ってるように見えるし、一方でアンチフェミとしてもそんなさあ…売国ウンコ寄生虫議員より兆倍マシなんだからそこまで叩かなくてもええんちゃうという感じなんだが、まあお互い妬ましいだけなんだろうな。だからもう全員ふたなりになるしかないんよ(?)適当)

 

なんだろうね、フェミ(と名乗る人たち)って、男をバカにして下に置くことで自分が優位に経とうとしていて、それに対してフェミアンチの方も、同じように異性を馬鹿にするっていうそうなってしまうよなっていうなんかこう争い、競争原理みたいなのがあって、争いがなくならない理由だよな。自分が劣っていることが耐えられないという。でもそれは分かるわ。バファリンの50%は妬みでできている

 

その争いの火種っていうのは、社長とか大統領とかスポーツ選手とかがほとんど男っていうことなんだろう。それによる劣等感(+モテない+ブサイク+ネット環境)という理由からフェミ(と名乗るものたち)は生まれたのではないか。

でもそれが女が劣ってるという理由にはなりませんよね。容姿とか共感性とか性的魅力とか性感帯とか男より優れてるところはありますよね。ファッションとかも女性が優遇されてるし、実質的に女性にしかなれない職業もあるじゃないですか。

 

でも逆に男が、女性が優遇されてる部分に対してフェミ(と名乗る人たち)みたいな運動がなぜ起こらないのかというと、自分に自信がないからなんじゃなかろうか。女性の場合は容姿が良かったり、悪いとしても性的魅力が最低限あるから、そういう自信からフェミ的な運動に発展する自信、推進力があるけど、男性はそうでもないので「いや俺達ブサイクなんで…そんな資格ないんで…」っていう風に自信がない。だからこそ女性専用車両とかだったりとか親権だったり合理性を排除して女性が有利な法律が放置されてるわけで。

 

そこらへん女性が優れてるところでもあるし、男性もそれに見習うべきだと思うわ。人権、人が生まれつき誰しも持っている権利っていうのはそうやって勝ち取るものではないか? いや、しかし本来は勝ち取らずとも持ってるものなんだよな人権とは。だがしかし社会がアホなので勝ち取るしか無いという風に成っている。

そういう意味でフェミニズムは生まれたわけだし、もといフェミ(と呼ばれる集団)っていうのは、必ずしも悪いものではないのか? 男もそれに同調して、「やったれやったれ!でも男も同じくらいの権利をくれよ!」って乗っかることが重要なのではないか。それはそれでフェミと呼ばれる人たちは文句言ってきそうだけど、でも男女平等的にそれは否定できないよなぁ? 「女がその位もらえるなら、男も同じくらいもらえるよね」っていう。それができなければ何の正当性があるのですか

男のエロ本を排除したから女性向けBLも排除されましたっていう奴がありましたけど。どちらかの権利を削られたらもう片方もそうなるっていう例がありましたよね。同じく片方の権利が上がればもう片方も上げられるんじゃないですかね。女性枠が増えるならその分男性枠も増やせばいいじゃないというノリ。まあそれには不況を脱しなければいけないわけだが。

 

つまり何が言いたいかと言うと、結局差別は辞められないわけです。老若男女関係なく。男が女を下に見るのも女が男を下に見るのも、あるいはその逆も。

でも「それはいけないよ!」とか「良いだろ!」とか「いやそれはやりすぎだよ!」とか声を上げることは意味がないこととは思えない、間違ってることだとしても有意義なことだと思うわけですわな。

フェミ(的な活動をされてる人たち)やフェミニズムだったり、あるいは逆にアンチフェミや、男女平等的な事を言ったり、あるいはこの映画バービーだったりとか、そういう歪んだ価値観だったとしても世の中に出していくしかない、プラスプラスでやっていくしかないんだろうな。「これは良くないから削除!検閲!」とかってするとそれまでの流れ、歴史が無意味になるじゃないですか。

そしてそれ故に、別に偏った価値観でもいいから自分の考え、感性を自身を持って出していくことが大事なんじゃないですかね。間違ってると思ったらその瞬間間違ってたわって言っていいし。

そういう神的な視点にたつと、議論として有利にたてるからおすすめ。もうそんなこと言ったら自分の意見がない気がするけども。

じゃあ自分の正直な意見としては、論理的に整合性が無いけど容姿が良いとか権力があるだけで何でもワガママが通ると思ってるやつはムカつくよねぇ~間違ってることを言うやつは許しちゃいけない性分なんだというか妬ましいというかでもよく見ると人の顔なんて気持ち悪いんですよね女であれ。その人の個性が刻まれてるわけですから。でも結局平和の維持のためには全員がワガママを主張するしかないよねっていう。特定の集団だけがワガママを主張してきたからこそ権力というものが生まれてきたわけですし。根本的にそうなんですよ。だから今のまま何百年か行くと多分まんであらぬものは人にあらずになってくるんだろうな。あるいは金持ちであらぬものは人にあらず。これはより深刻だな。そうならないように選挙しかないよねっていう。

 

 

なんというか、あとルッキズム的な問題でもあるよな。外見ブサイクにはまるで人権がないかのようにそう思われるのはまだしも、法的というかシステム的にもそういう風に不合理、理不尽な風に成ってしまうっていう。就職とか裁判とか。見た目で全部判断される、という問題。ブサイクは人にあらずという。そういった不具合があるからこそ人権というものが生まれたのではないですか? 心の綺麗さ、心の美人さ、心のイケメンさで判断されるべきだよな。といってもまあ、仕方ないことなのだろうが。ある程度の差別はあるんだから人が介入する以上。だからこそシステム、日々の改良や研究や話し合いしか無い。

 

だから結局、余裕の無さが元凶なんだわ、不景気が悪いんです最終的に。それさえなければ男女は愛し合えるんです。愛し合う二人はいつも一緒。だから選挙、れいわ新選組ってことです

 

 

 

 

あと、前に見た動画で、「日本の学校教育は男と女と分け隔てるようにできている、制服が男女別々だったり、出席番号とか。故に誰に言われずとも自然に男女で別々にチームを作り、男女一緒にいると冷やかされたりする、そういった”男女に溝を過剰に作る”社会こそが元凶なのでは?」みたいなことを主張する人もいて、革新的だが、一理はあるかもしれないなと思いました。トイレや更衣室とかは必要だけどそれ以外で男女で過剰に分けるのって必要か?という。だって仲良かったのに男女で切り分ける空気を作ることで疎遠になった奴とかいると思うんですよね。あの独特の空気感。教室内に男と女の2つの派閥がいるっていう。それっておかしくないですかちょっと。だったらなんでそれ以外に金持ちと貧乏人とか、一重と二重とか、くせ毛と直毛、猫好き犬好きとかで分けないんですかね。これの反論意見として「生理的に違いがあるんだから違うのは当たり前でしょ」ってのに対しても、じゃあアレルギーとかも同じく生理的な問題だが、それに対して「いやあいつアレルギーだからアレルギー持ち同士で遊んだほうがいいんじゃないの?」とはなりませんよね。同じく女子の生理とかに対してもあるからって溝を作るのって必要ですかという。そういった身体的にではなくジェンダー的な溝というかちょっと男子~とか。女子と遊べねーよとか。なんかそれさえなければ異性に対してもっと気楽に接することができ、恋愛とかだけじゃなくて普通に友情とか交友関係とかも単純計算でニ倍になるわけですから。いろいろな意味で視野が半分ってそうとうな機会損失ですよね。意外と深刻なのでは? 無論経済政策が一番の元凶ではあるんだけどその次の次くらいには元凶ではあるのかもしれない。国民性としてコミュ障なのか? だから日本が好きなんだろうな。親近感がある。でもまあ、良くないことか。

日本的な「我慢こそが美徳」的なのも良くない、そのせいで自己責任論で無駄な犠牲が出ているわけだし。ここらへんは海外に見習うべきところだな。バブルのときには定時前に退社して会社の金で飲んでたみたいな話はあるけど、やっぱりそれでもある程度一線は引いていた、真面目に働いていた部分はあると思うんですよね。それでいいじゃん。海外ならそうはいかないわけだから。国民性的に100怠けるわけだから。一線を引ける時点で日本人の国民性は優れてると思うわ。早くそうなりたいだよね。積極財政れいわ新選組