疲れ。それだけしかない。
やることをやる。それでいいじゃないですか。
令和を広めるために、それぞれに得意なことや苦手なことがありますけども、効率よく行けるようにそれぞれが考えましょうと。やりましょうと。
自分は人と話すのが得意じゃないので、それ以外のこととか、金とか、動画とかですけども。人によっては対人でやるほうが楽という人もいるわけですよね。すごすぎる。
ストレスを与えて良くなるんだろうか。何かが。こう。そうやってストレスを受ける時間他のことに使えるんじゃないか。
でもまあ、それで良い、それで良くなるところもあるかもしれない、そうやって尻を叩く方向に、そういうのもいいのかもしれない。世界を良くしているのかもしれない。
でも俺はね、なんかもう疲れているわけですわな。もう分かった分かったからと。
具体的に何をすれば良いのか言ってくれよと。
金を出せと言うならそれでいいし、家族に言えというのならそれでいいし、電話ボランティアだったり、もっと直球的な。前菜とかではなく、丼(勝手に改造)
でもやっぱりコンテンツを作るうえで、そういう客引き的なものだったり、あるいは動画時間だったり、そういう不純物を混ぜていかないといけないみたいなことがあるけども、なんかもうね、そういうコンテンツの作り方っていうのはどうなんだろうねと。
もっとこう、一直線に、効果的に、動画の再生数とかだけじゃなくて、こう、広めるということがね。
思うのが別ジャンルで広めるということなんじゃないかなと思うんですけどね。政治界隈だけじゃなくて、もっと分散していくべきなのではないか。
別のジャンル、例えば子育てチャンネルとか、車のチャンネルとか、あるいは漫画とか、ツイッターとか、YouTubeはY公式チャンネルだけでいいのではないか。自分が最初流れてきて見たのも公式チャンネルだった気がする。だからもう他のところにね。
とにかくね、不安もたしかにありますけど希望だけしか見たくないなと。希望もたしかにありますからね。
いやまあね、ブロックすればいいだけの話なんですけども。なんか愚痴りたくなりました。
なんかね、経済オタクっていうチャンネルで、不安を煽る感じの、日本から富裕層が脱出してます、みたいなのがありますけども、まあそうかもしれないけど、そうかなぁ?と嘘ついてんじゃねえだろうな?っという感じで。だって富裕層が多い国って山本太郎が言ってたような希ガス
でもなんかさあ、こいつも哀れだよなぁ? 無限の車輪というか、ハムスターの車輪と言うか。ずっと同じようにして再生数を稼がないといけないっていうのは辛いなと。他の側面の充実感がほしい。再生数とは別の心の栄養がほしい。
なんというか、そう考えるとこのブログは、結構その点で見て、良いのではないか。書きたく成った時に書く。それでいいじゃあないかと。書きたく成った時に書きたいことを書く。なんかこう、令和を広めようという思いもありますけども、それ以外に考えを整理したり、ただ単にぐちを描いたり、えごいずむが必要なんじゃないかと思うわけです。まあ、それが再生数とか報酬とかでも良いわけですけども。
なんというか、れいわの議員とかっていうのは、そういうところがあるんじゃないか。まあ確かに、日本を変えたい、暗黒期をやめたいという思いもあるかも知れないが、正しいことをしたい、だったり、間違えている世の中に従いたくないと言うか、なんだろうね、正しいことをしたいっていうのは人間の最も精神的な欲望の一つだと思うんですよね。食欲性欲睡眠欲の下に、正しいことをしたいというものがあるのではないか。もしくはそれ以上の欲望かも知れないと思うわけです。
人が歩みを止めるのは、間違っているかもしれないという疑念です。間違っているのではないかと思うとお腹が痛くなる。自分は昔から正しいことをしようとしてきたし、できるだけ正しいことを言おうとしてきた。なんというか強迫症なのかもしれないが。別にそういうルールを決めているわけでもないが、作文とかでも思ってないことを書けないところがあるよね。
なんかこう、嘘をついているうちにそれが本当のことだと勘違いしてしまうと思うんですよね。案外。なんかマツコデラックスがなんかそういうことを言ってた気がするけど、嘘の話で受けを取ってたらそれが本当だと勘違いしていたと。そう考えるとこれまでの歴史の中の実際のスパイとかって、進撃の巨人のライナーみたいになったやつって結構多いんじゃないかと思うわけです。そのまま敵の味方になったりとかあるんじゃないのと。それを知ってるからこそ、売国政党は選挙前だけに嘘を付くんじゃないかと思うわけです。常に嘘をつき続けたら信じてしまうかもしれないので。そのベクトルに期待されてしまう。あるいはバックの組織は、それを許さないと思うんですよね。嘘であれ減税を常に口にしていたら、それが本当にやろうとしてるんじゃないか?と。朱に交われば赤くなるっていうじゃないですか。他にも政治家とかがここまで腐敗しているのは、新人が朱に交わって赤くなった結果なんじゃないかと思うわけですよね。
そういう、恐怖感、があるよね。
そして、間違えてることから目を背ければその間違いの数がどんどん膨れ上がっていき、ツケが抱えきれないわけです。売国奴たちのそのリミットは刻々と過ぎていく。そして自民党やその周辺野党議員が、ただの権力を持たないおじさんと戻ったとき、地獄を見ると思うとです。世界が敵に回るという感覚。味わうわけですよね。俺は夢の中だったから逃げられるが、彼らは逃げられない。別に拷問とか物理的な痛みではなく、精神的な耐えられなさの前に、狂うと思うとです。可愛そうだね笑 まあ、頑張れ爆笑。世界が敵だぞって。それこそが地獄、なんじゃないか。財産も没収されるから、引きこもることもできない。もしくは刑務所で引きこもることになるんじゃないかな。看守とかからも、「ああ、この人が、多くの人から財産を奪い、私腹を肥やしてきた元議員なんだな」って、思われることでしょう。そんな余生を送ることになると、人は狂うのかもしれない。今も怪しいと思う。いろいろなものが脳みそから漏れているような気がする。人にとって大事なもの、自尊心だったり、何かを大事にすることだったり、そんな人が自分や誰かを大事にすることってできますか? 自傷するしかない。
何か、そんな奴が平穏に生きようとしたら、歪みが生まれると思うんですよね。どこか意識の空白だったり、トラウマが生まれてくるんじゃないかと。時間とともに膨れ上がるものなんじゃないか。自覚せずとも
まあ、そういうこわさがあるよね。間違っているというのは。信じていたものが間違っていたという。
だが、正しいことをできるだけやろうとするのならば、その不安がなくなります。私はそれを思って、できるだけ正しいことをやろうとしていたのでしょうね。弱いですから、その恐怖から逃げようとしていたわけです。
そして正しいことっていうのは、間違えないっていうことじゃないと思うんですよね。未来永劫、もしくは過去において常に正しいことではなく、この瞬間、できるかぎり正しいと思うなら、”とりあえず”それでいいと思うわけです。
そして未来において間違っていると思ったら修正すれば良い。そういう境地ですよね。昔の自分はそうではなく、未来においても正しいことを今やらなければいけないと思い込んでいましたが、そうじゃないわけですよね。むしろそうするとエネルギーのロスが起こる。今考えて正しいと思うことをやればいいし、その後考え直してやっぱり正しいと思ったら、それは正しい確率が高いと思うわけです。そういう瞬間瞬間の直感を大事にしていきたいね。というよりも柔軟性。仮置きしておき未来に委ねるという。
正しさというのは理なわけです。誰かが捻じ曲げられるものでもなく、常に合理性が存在する。そしてその合理性の中に、本人の感情というものが含まれる、というかそれが8割なのかもしれませんね。世界のルールと同時にエゴイズムを大事にしようという話。人の命は地球よりも重いわけですから。自分を大事にしようと。
だからこそれいわを推しているわけです。正しいと思うわけです。他の政党よりも。正しさの権化だと思うわけです。山本太郎も、他議員も、自分が間違った世界で生きていきたくないからやっているという意気込みを感じるし、合理性ですよね。そういう正しいことをしたいという欲のために動いている組織だと思うわけですよ。
そして他の政党の支持者のコメントなどを見ていて思うのが、俺も彼らにとっては同じように見えているのではないか、という不安。俺は、彼らを見て、「いやあいつはヤマトユダヤ友好協会の理事をしていたのに、なんで支持するんだろう?」って思うわけですが、相手も俺を見て「なんでれいわなんか支持するんだ!カレーを食べてたのに!」とか考えているのではないかと。鏡写し的な感じで、俺もなにか間違えてるのではないかと不安になるわけですが、
まあ客観的に見て100%正しいとは言いませんけど、未来や心が読めるわけではないですかられいわが100%よくしてくれるとは言えませんが。でもまあ確実に、客観的に厳しく採点したとて、確実にNo.1。圧倒的に他政党よりもマシと言えるわけです。そう思うのはやはり、前述の通り、正しさ、合理性によるものなわけですよね。感情的に「正しいから!」とかそういうムキになって言ってるわけじゃない、そうするとただの鏡写しですからね。
「結党からずっと消費税廃止を言ってるわけで、そうなれば経団連連合から援助を受けられない。もし売国政党ならそんなことしないよね。楽な方に流れるよね。でも流れてないということは…?」という客観的事実、合理性があるからこそ信じられる。ここらへんは自身の感情とは別に切り離されているからこそ安心できる部分だよね。だからこそ他人というものは必要なんだろう。絶対的に自分を信用できるとするならそれはもう、神なのではないか。精神強者は全てのジャンルにおいて最強ですから。スポーツでも学業でも精神で勝ってれば後は信じて努力し続けることができる。でもそうではなく揺らぐことがあるので、合理性というものを積み重ねることで安心できる。合理性は真実ですから.そう考えると、感情的にも安心できると思うわけです。
まあ前述の通り、不安要素、不安を煽るようなサムネイルとか、そういうのがあるかもしれないが。そうやってチラチラ見て不安定になるよりも根っこを持つべきなんじゃないかと。れいわ議員たちは直接戦っているわけで、その点で敵を見なければいけないというところもありますが、対して一般国民、小市民有権者である自分は、れいわの芯の部分がブレなければれいわだけを今は信じて見ていきたいなと。