消費税という存在は「共産主義」的ではないか?

クソバ総理大臣っていう、売国屋さんをされている方がこういってました

 

「消費税は公平なので廃止する予定はありません」

 

ここで思ったのですが、「誰もが同じ待遇を与える」という意味での「公平」って、本当に良いものなんだろうか。

 

なんかこう、カッコつけるコメントがあるじゃないですか。

「公平平等ってお花畑だよね(知識人ぶりたいお年頃)」

「ひぃとはぁ~こうへいどぇはないぃ~」(ルルーシュ

 

そういうことをいうやつって、公平という言葉には胡散臭さみたいなのを感じているかもしれませんけども、

でも基本的に「公平は良いものである」という概念が前提としてあり、その上で「できたらいいけど…でもそれはお花畑でしょ」みたいな論理展開をしている風潮じゃん。

 

 

でも、根本的に「公平って本当に良いものなのか?」という疑問がある

 

つまり「みんな等しく同じ待遇ではある」ということだよね。ここでいう公平って。

 

でもそれって冷静に考えてあり得ることなんでしょうかねと。

 

なんというか倫理的にではなく物理的に考えて、みんなが同じって、なんというか、難しい。

みんな能力なり興味関心やら状況環境は違うわけでしょ。給料やら税やらに限らず。「同じ」っていうのは、難しいところがあるよね。

 

まあその一方で、ほぼ全員が普遍的に持つ「同じもの」も存在すると思うけどね。

 

例えば「生きたい」という欲望だったり、基本的人権だったり、自分から不幸になりたい、死にたいと思っているやつなんてあまりいないわけでしょ。痛いし。

全員が共通して持つものと違うものがあるわかじゃん。

 

 

つまるところ、「みんな同じで良いもの」、そして「みんな違って良いもの」ものがあり、そして「同じであったら不具合が出るもの」「違っていたら不具合が出るもの」があるわけです。

 

なんというか、一言では割り切れないよね。「みんなが同じだから全部うまく行く」だったり、「みんな違うから全部うまくいく」とは一言では言えないよね。

 

この世に存在するあらゆる要素に対して、それぞれの特性があるわけだから。

 

 

その上で、消費税に戻るけど、「みんなが同じ量の税を払う」っていうのは、この点で言えば「同じだったら困るもの」なわけですよね。

 

だってそれはソ連とかを見れば分かるですよね。

 

ソ連の失敗の一つとして言われているのが「みんな給料が同じだから頑張らない」っていう理由じゃん。

 

これは前の例を元に言えば「同じだからこそ不具合が出るもの」なわけです。

 

「給料と消費税は違うしょ?」っていう疑問があるかもしれないが、「全員の待遇が同じことは良いことである」という根拠を持ってして、あの売国屋さんは「消費税は公平なので廃止する予定はありません」って言ったわけだろ?

 

でもすいません、それは理由になりません。っていうわけです。

 

「公平という理由を元に廃止しない」っていったわけだけど、この点で言えば「公平」自体がよくないものなわけですから。

 

なんというか、俺の目には「公平」というなんとなく一般的に良さそうに思える概念の威光を借りて言ってるように思えるわけです。

 

でもそれ根拠薄くないですかね。

 

神学者とかが「これは清書に描いてあることですから」「カミサマが言ったことですから」って言ってるのと同じなわけですよね。

シンジロー(ビニール)が「今朝起きたらおぼろげながら浮かんできたんです。やれ…と」っていってアホな法律を通すようなもんですね。

 

 

そもそも、「税がみんな同じことが良いことである」っていうのならば、「給料も同じ」でないと公平とは言えませんよね。

 

例えば、オリンピックとかでも男女とかで分かれてますけど、それは男女で力の差があるからなわけじゃないですか。

 

でももしここで何かの技術で、女も男並みのパワーをデメリット無しで手に入れられたとしたら、別に同じでもいいわけでしょ。

そうじゃないから、女は力が弱いから分野が分かれてるわけじゃないですか。

 

ボクシングの重量級とかも同じ考えでしょ。

 

つまり、中小会社も大企業と同じだけの力を持っていれば、税は同じでもいいじゃん。

税が同じってことは、負担できる力が平等にあるってことですからね。

 

だから、税が同じなら給料もみんな同じでないと公平ではないわけですよ。

 

けど実際そんなことないわけでしょ。

そうなったら共産主義なわけだし。

 

なんというか、消費税の考え方、「社会の責務を平等に等しく負担しましょう」って、明らかに間違ってるんだよな。

普通に考えて「俺がやってるんだからお前もやれよ!!」って通用しないよね。現実的に。

人には得手不得手があるわけだし、好き嫌いで職業を選んでも良いわけだろ。

 

明らかに「公平」っていうのは全てに当てはまることではなく、どちらかといえば間違っていることが多い概念じゃん。

 

なのにどうして消費税という一分野においては「いや、みんなが同じのは良いことだ!」っていう思考になってしまうんだろう?

 

それって共産主義ですよね。

 

その一方で、バカ売国奴が利することにおいては「いや、私の持ってる権力既得権益はあなたのために使いません。これは平等じゃありませんよ」ってなるんだろう?

 

 

 

「公平=良いもの」というイメージは、間違ってるわけですよね。

もし公平なら、あなたが不得意なものも他の人と同じようにやらないといけないし、自分のリソース以上の税を負担しないといけないわけでしょ。それが消費税なわけだけど。

 

極論を言えば分かりやすいが、生まれたばかりの赤ちゃんに対して「はい、億万長者が払っている税金をあなたも払いましょうね。だって公平は良いことですから」って言いますか?

 

「負担を分担して困難を乗り越えよう!」って時に、大怪我している人に対しても「はい、じゃああなたもみんなと同じだけ労働してね。だってこれが平等でしょ?」ってなります?

 

人それぞれ能力が違ってて使えるリソースがあるわけでしょ。

 

こういうと、内実、「公平」「平等」というのは、多くの場合において全く良いものではありませんよね。むしろ今の説明において悪いイメージがついた。

 

そうやって、公平とか平等という言葉の響きに惑わされて、消費税は良いものだとイッてしまう。そういう理屈に反している行為をするところとかも、まさしく共産主義的でしょ。それがイデオロギーとか皮肉で言われてることなんだろうけど。

あいつらだって、「共産主義は良いものだからどんな犠牲を出しても良い!」って言って実際やってみたら共産と言いつつも自分たちは特権階級だったわけだろ。

 

ウンコバ総理も「公平は良いものだから消費税は続けます」って言ってるわけだよね。

 

政治家が先に立つのは、分析や合理性とか、憲法とか、国を守るとか、そういうものであり、それを蔑ろにして消費税とか保身とかを優先して、公平とか適当なこと言ってるのが自公維新なんだよね。

 

なんであの売国屋さんは「公平だから~」って理由が使えると思ったんだろうね。

アホだから?

 

まあ分かるわ。小学生の頃、書きたくない作文とかで適当に理屈をつけて、自分でもアホなこと言ってるなと思ったけどマス目を埋めるためにどうでもいいことを言ったわ。

 

まあつまり、総理は小学生レベルってわけだな。

 

いや総理だけじゃなくて、今の政権自体が小学生、親の期待に添えるためだけにAIのべりすとレベルの駄文をこさえるシンジローレベルなわけっすね。

 

 

大事なのは平等ではなく、「最低ラインを作ること」なんだよなぁ。

どれだけ事業で失敗したり、不運な環境にいたとしても、安定してやり直すチャンスだったりを与えるし、一定以下の環境にはならないように国が支援します。っていうのが大事なわけでしょ。

「どんだけ落ちても下限を作りそれ以下にはなりません」「そして頑張れば上に行くこともできます。皆から尊敬されます」それこそが正解だと思うわけだよね。それが皆の求めている答えだろ

 

そしてその最低ラインをリソースが許す限り引き上げていくということ。それが憲法25条や15条なわけでしょ。それがみんながイメージする真の平等なわけじゃん。

それが権力の存在する目的なわけじゃん。

 

 

なんというか、聖書やないねんから、「自●党にしか~」とか「税を平等に負担」みたいな単なる言葉とか、単なるイデオロギーに惑わされずに、それがどういう作用をもたらすのかを考えないと。

 

やる気のある政党に変えるしか無い

だから27日の選挙はれいわ新選組しかないんだね。比例はれいわって書けよ。頼むから。