なんかよくこういうやつありますよね。
一度風刺画でみたことあるかもしれませんが、長身の人と低身長の人が、壁の前に並んでいて、高身長の人はその壁の向こうを見ることが出来るが、低身長の人は壁の向こうを見ることができない。だから土台を与えるとか与えないとかそういう感じのやつ、
まずこれ思うのが、そういった言葉の厳密な定義って議論する必要あるかっていう。
それが趣旨の問題かこれ?って思うわけですよ。「公平とはこうで平等とはこうで…」みたいな。そんなん人によって違うだろうし、厳密な定義をしたところで何なんだみたいな思いがあるわけですが、
まあそういう議論?みたいな道徳の問題みたいなのがあるわけですよ
ですが、それに対して皆こう思ってると思うんですよね。
「弱い人に無条件で与えられるのずるくね?だったら強い人の人が損してるじゃん」
「公平に平等にって言っても、それは理想論で土台無理なんだナァ…」
みたいな空気があるんじゃないかと思います。多分そういうことでしょ。皆が言いたいことは。俺みたいに直接言ってるわけじゃないと思うけど。
しかして、それは少し違うんじゃないかと思うわけですよね。
そんな無理にニヒリズム的に現実に絶望する必要もないし、この風刺画自体が間違ってると思うわけですよね。
現実に即している風刺画ではないんじゃなかと思うわけですよ。これは。
例えば、うーんめんどくさいが、図にして説明するほうが分かりやすいと思うんですが。
これが不平等

そしてこれが平等とか公正とかって言われてるやつ。

でも現実はこうだと思うんですよね

そう、弱い人に台を渡しても(貧乏人に補助金を渡しても)、そこまで富豪と同じ目線を得られていないと思うわけですよ。当然じゃないですか。
2枚目の写真で、左の人と右の人の身長が同じですけど、じゃあ補助を受けてる人ってしっかり働いている人と同じ年収になるかって話になりますよね。
生活保護を受けたら年収1000万とか500万とかじゃないですよね。
もしそうだったらそういう医者とかパイロットとか難しい仕事をする人はもっと減ってると思うわけですよね。
だって風刺画の通りなら働かなくても同じ高さになれるわけだからメリットないでしょ
つまり1,2枚目の風刺画を見たら「何だよ、低身長の人だけ補助を受けられてズルいな」って思うでしょうけど、3枚目の風刺画を見てそう思わないわけですよ。現実を見れば3枚目の風刺画のほうが現実でしょっていう。それでそれを見て「高身長の人が損してるなあ」ってなりますかっていう
そして重要なのが、低身長の人も、壁の向こうを見ることが出来る、つまり最低限生きていけるわけですよね。どんなに弱くても全員生きられる。それが重要だから社会保障が必要なわけですよ。
つまり「自分の力で高身長(富豪)になったほうがメリット高いよね。でもいざというときは自分も補助を受けることが出来る」っていうのが正しい理解というか、社会保障の正しい認識でしょ。
つまりこの風刺画の本質とは、「平等や公平」じゃないわけですよ。どう解釈しても全然平等ではないじゃないですか。
弱者に強者と同じ年収になるように与えてるわけでもないし。仮にそうだとしてもその場合強者が逆に損しているわけです。
しかし現実はそうではない。現実は3枚目の画像なわけですよ。
圧倒的に強者が得しているわけです。
この風刺画の本質とは「どんな人でも全員楽しく生きていられるように最低ラインを設定します」ってことなわけですよ。それは平等とか公平とかじゃないですよね。
治安維持のために必要なことってだけじゃないですか。
まあ平等というのはつまり「命の尊さが平等」っていう意味なんでしょうね。
「貴族と平民は命の価値が違う」みたいになってはいけないってことですよ。
だから楽しく暮らせるための最低ラインを定めているわけです。もしギリギリ餓死せずに生きていけるのが最低ラインとかだったら、それは命の価値が同じと言えますかね?っていう。
憲法25条の最低限文化的でなんとかのアレですよ。あと生存権。
それでいいじゃないですか。なんで補助金減らす必要があるんですかねっていう。
どうして社会保障をケチるとかどうとかいう話になるんだろうって話ですよ。日本は信用創造ができるのにな。
そして、アホ政党共によって30年間無意味に自己満足の増税で、不況が作り出されたわけです。
それによって比較的強者側も自力で稼ぐことが難しくなっている、金が無いから人手を減らすしか無い、そしてそのせいで仕事がハードになっていってるから、
だったらこんなんなら働かずに最低限の文化的生活がおくれる生活保護のほうが羨ましいってなってるわけです。
いや、それ最低限だからなっていうね。なんで強者寄りなのに最低限を羨ましがる社会になってるのかっていう。
だから「働いてないのにネットしててズルい」という状態は異常なんですよ。
「働いてないから最低限ラインの文化的生活しかできない」っていう事にならないとダメなわけです。そしてキチンと文化的健康的に働ける環境を作らないといけないわけです。
そして現時点では強者であったとしても、転落する可能性全然ありますよね。
だから「自分の生活を保証するためそういうことをしている人はいて良い」って思わないとダメっていう話ですよ。自身の安全マージンのために
でも今の日本を見ていて分かる通り、コネだけのアホ無能議員が現状を作ってきたからですよね。
しかも生活保護を断られたり打ち切られることもあるっていうから、現状の憲法さえ守られてない。本当に日本の治安が心配だと思うわけですよね。
しかし思うわけですよね。
実際対応する生活保護の受付の人はさあ、それを打ち切ることが日本のためだと思ってるかもしれないが、それで何人も死人が出てるんだろうなって思うと、なんかやりきれないですよね。
お互いに。打ち切った人も打ち切られた人も、どっちも悪くないわけですよね。
悪いのはそういう社会を作った売国奴。人類の敵。日本に寄生する害虫なわけじゃないですか。
でも、生活保護の受付の人は、自分がヒーローだと思ってたが、実は巨大犯罪組織の片棒を担いでいたわけですから。
れいわが与党になって、日本が豊かになったあと、その人は過去を思い出して何を思うんでしょうね。
なーんか、悲しいなぁ。
そういう意味でも、売国奴は最初から存在してはいけない存在だと思う。最初からいないほうが良かった存在が、売国犯罪党、自民党、維新、公明。その他悪法を止めなかった野党の皆さん。いなくなってくれ。存在が。
なんか国会から消えろとか辞めろとかそういうんじゃなくて、最初から、彼らが政治家になるのをタイムマシンとかで阻止するべきなんじゃないかと思うわけです。売国奴全員最初から無くなってほしい。
もう極論を言えば、れいわだけでいいんです。れいわとその意思を受け継ぐような政党だけでいいじゃないですか。
実際今後は、正しい経済政策や外交、十分な社会保障などを前提として、今後意見が食い違う事がある場合、そういう政党が今後生まれてくるんだろうなと。