なろう系と無双系の違い、~なろう系の定義は没入なのでは?

なろう系と呼ばれるジャンルは、無双系と似て非なるものだと思っている。

 

まあ厳格な歴史や定義はさておき、俺の思うなろう系というのは、「没入か否か」という点だと思っている。

 

つまり、作者=主人公=読者、みたいな。

 

そういうね、主人公は俺ですよー!!みたいなのがTHEなろう系と言えるものだと思っている。

 

 

無双系というのは、普通にカッコいい主人公が無双するみたいな。主人公がかっこよくないといけないと思っていて、

 

なろう系というのはあくまで主人公が読者、作者と等身大でなければいけないと思うわけですよ。

 

例えば、スライムだった件っていうなろう系があるけど、アレに対して俺は思っているところがある。

 

それは、主人公が「大賢者」という人格付きのスキルを持っていて、そいつが主人公のかわりに重要なシーンとかで魔法を使う、みたいな、そういう展開があるということだ。

 

別に主人公をアシストするとかじゃなくて、もう大賢者一人で良いんじゃないかな的な、自動的に敵をやっつけたり、味方を蘇生したりするみたいな、もう主人公いらなくね?みたいな感じなわけですよ。そこが不満なわけですよね。主人公がやればいいじゃん。なんでわざわざ?

 

なんかこれで部下から「主人公SUGEEE!!」って言われるから呼んでいる身としては「いやお前じゃなくて大賢者がすごいんじゃねえか!!」って突っ込んでしまうわけですよ。大賢者もねぎらってもらえ。なんかこう主人公が偉そうにしてる割に全然かっこよくない。それが不満。

 

っていうかなんで作者はこういう設定にしてしまったのか…なんでも有りなら普通に主人公がそういう無敵キャラで、だからこそ重要なシーンを本人がやっても良かったじゃん。

 

 

なんでそんな主人公をかっこ悪く書くの?

まあカッコ悪い主人公というのもいるけど、別にそういうわけじゃないじゃん。普通に強キャラ系みたいな感じで描写してるじゃん主人公を。

 

でも、冒頭のなろう系の定義に当てはめるとこれがすんなり腑に落ちると思うんですよね。

 

つまり、主人公=作者と仮定する。そして別に作者は自分をかっこ悪く見せたいわけじゃないんですよ。

 

つまり「自信がない」んだと思うんですよね。等身大なんですよ。だからこそ、大賢者という、確固たる自分の味方かつ有能な味方に全て任せる、

 

俺はハンドルを握らない。だって自信がないから。だから自分の別人格に任せる、そういう心の動きだと思うんですよね。無意識かもしれませんが。

 

まあ勘違いしてほしくないのは、これを俺は「良くない!!」って否定したいわけじゃなく、なんか分かる気がするし、俺ももし作者だったらやってる可能性もあるわ。

 

あくまで俺はこう予想するってだけで他意はない。

そういう願望からそういう展開だと考えると腑に落ちるんですよね。

 

多分この作者は、俺と同じで、重要な局面で色々なものを台無しにしてきた人間だと思うんだよな。なんというか本番に弱い。人に勝つことができない。

 

だからこそ、没入して、このなろう異世界の中で主人公として生きていくと考えた場合

、「大賢者」を作るのが最善だと思うんだよね。自分ではない人格が重要な局面を任せるという。

 

でもさあ、こういうことを、普通の小説を書くとき考えますか?

 

普通、小説を書くとき、自分=主人公って考えないじゃん。

 

でも「なろう系はやる」。それがなろう系とそれ以外のジャンルの最も大きな違いだと考えるわけですよね。

 

等身大なんだよね。没入しているわけですよ。

 

とまあね、こう書くとなんかファンは不満かもしれないが、でも正直こういう方向性を俺は素晴らしいと思っているわけですよ。

 

等身大というのは正しいと思うんですよね。

 

逆にさあ、夢は大きくみたいな、自分より格上を倒すみたいな、そういう「自分の限界を超えてやる」みたいなのもね、まあ確かにそれが達成できるならそうすれば良い。

 

でもそれでデメリットも背負ってるってことをあまり語られないじゃないですか。

 

なんかさあ、大人ってそういうところあるじゃん。

自分ができないことをできると言い、自分がなんでも知っているような態度で話すじゃん。

 

それで過労死とか、人生を台無しにしたり夢を諦めたりさあ。

 

完全に夢を諦めて努力を一切しなくなるよりかは、自分の等身大の目標を少しずつ達成していけば最後には夢が達成することもできるかもしれないじゃないですか。少なくとも完全に夢を諦めるよりかはよほど良い。

 

つまり限界を知る、等身大でやることで、良い結果になることもあるじゃないですか。

 

でも全部ダメ。最初から限界を越えようとして出来ないから自分はダメダメだと思って完全に放棄しちゃうわけじゃん。

 

等身大じゃないからそうなるわけですよね。ずっと嘘を付き続けてるからそうなるわけじゃん。

 

なんかそういう、サラリーマンだけじゃなくて、一定の権力を持っている会社の社長とかもそうだよね。

失敗企業みたいな動画を見てると、たいてい失敗するのって会社のリソース以上に拡大しすぎたってのが原因が多い

 

なんか嘘の報告をして自分の会社を大きく見せたりさあ、

バカみたいに調子乗って自分が王様で何でも許されると思い込んだ結果なわけじゃん。

 

(そして政治家はそうなってもすぐに国が潰れないのが問題だよね。国はつぶれにくいからこそ調子乗ってドンドン政治家が愚かになる。だからそれを止めるために、れいわ新選組しかないんだわ)

 

だからこそ等身大で有るべきだと思うんですよ。

 

そう考えると、なろう系っていうのは、なんかガキっぽいとか馬鹿っぽいとか言われるけど、別に良いと思うけどなって思うわけな。

 

なんかさあ、周囲に自分が良いと思われたいってのは分かるし、実際なろう系でもさあ、ハーレム状態というかね、周囲からは良く思われてるけど内心では等身大みたいな展開あるじゃん。オーバーロードとか本当に露骨にそれじゃん。

 

 

でもそれをね、リアルでもやるってのは、疲れるでしょ。なんというか、ベストを尽くすっていうのは、限界を超えるってことじゃなくて、自分の限界を知ることだと思うんですよ。

 

そのために他人に規定以上によく思われようっていうのは、邪魔な心だと思うんですよね。自分をリソース以上にデカく見せようっていうのは破滅の第一歩だよ。

 

そういうね、日本てそういう外聞を気にする部分有るじゃん。外面や世間体とかさあ、「〇〇ちゃんは大学も出てないんですって!」「親戚の〇〇くんは国会議員になったのに、あなたは…」とかさ。

 

バカじゃねえの? そこは日本の嫌な部分だわ。聞いてるか? 日本の腑抜け世襲議員たち? 自分の実力以上の地位について、日本人を不幸にして楽しいか~?

 

まあ最後は政治批判したけど、正直してもしたりねえわ。

何であんなゴミのために優秀な国民が犠牲にならないといけないんだ。だからこそれいわ新選組しか選択肢が無いんだがね。

 

まあ、それと比較すればほら、なろう系って良いもんですよね。