なんか昨今のテロ事件について色々と論争がある。
なんか爆弾で、国民を苦しめる嘘つき老人を殺そうとした事件だ。
まあ起こるよねそりゃ。
あんだけ好き勝手「増税増税!!」っていってれば誰でもキレるし、
その中で「行動」を起こすやつだって出てくる、当然のことだ。
そして、ツイッター上で論争も起きているわけですよ。
まあつまり、
「テロは仕方なかった、だって政治が悪いんだもん」派と
「いやどんな理由があろうがテロを肯定的にするのはダメだろ!」派が争ってる感じっすね。
加えて、その争いの中で、今注目されてるのがこれ
あるインフルエンサーが
「テロが起きた理由を根本的に解決すべきだ!そうすればテロは起きない!」っていうツイートに対して、
「いやそうしたら「問題解決にはテロを起こせば良い!」って流れになるだろ!テロが起きる国にしていいんか!」って反論しているわけだね。
まあね、どっちの言い分も分かるわ。
でもまあどっちよりかというと俺は
「テロを誘発するような信頼のおけない政治をしたやつが悪い」派なんだがね。
正直さあ、イマの日本、テロが起きないのが不思議なくらい平和だし、
むしろテロとか暴動が起きたほうが政治が良くなるんじゃないか、という思いがある
昨今のフランスの、年金受け取り年齢を2歳引き上げしたっていう、日本基準からすればちょっとしたことで暴動が起きるっていう、それを見習ってほしいと思う。
むしろ、暴動が起こらないからこそ、今の政治は舐め腐ってる行動を連発してるわけじゃん。
デフレに増税したり、国民に嘘ついたり、不正したり、宗教とズブズブだったり、野党が仕事しなかったり、原発の管理、放射線の基準だったり、就学金が借金だったり、予算配分が頭悪かったり、自己保身に走って国民を守ることをしてこなかったわけじゃん。
そして、それを許したら、自分たちだけじゃなくて、これから生まれる子どもたちも、社会のハンデを背負うことになるわけじゃん。
自分だけの問題じゃないんだよ。自分が我慢すればいいっていう話じゃないわけじゃん。全ての人の問題じゃん。
すべての人が不幸になるっていうか、ジンセイっていうゲームの難易度を上げて、リタイアを出す確率を上げるようなことじゃん。
例えば、実例として、ごく一部だが、
勉強ができるのに不況でトラックの運転手になるしかないっていう人とか、
あるいはカネがないから風俗で働くっていう人もいるわけじゃん。
子供は将来に希望を持てないから自殺するわけじゃん。
そういうことを、今生まれた可愛い子どもたちに背負わせるって、それって残酷なことですよね。
おそらく、今政府の権力の暴走を許したら、彼らが大人になるときにもっとひどくなってると思うんだよね。
今でさえ、消費税19%とかふざけたこと言ってるわけじゃん。
10年後とかには、このままだと、これが30%、50%、とかどんどん侵略してくるわけじゃん。
消費税以外にも色々と国民の命をないがしろにしているわけだし、海外からの侵略とかも経済的にとか物理的にとか心配だしさ。
「あの時に止めていれば…」ってなる状況になって、気がついたときにはもう遅い、これから時間をかけて直していくしか無い、みたいなことが確実なわけよ。
そう考えると、完全にトロッコ問題じゃん。
国会議員せいぜい3桁程度を恐喝するか、国民1億5千万人を殺すか、そういうわけじゃん。
答えは分かりきってるわけじゃん。
金持ち権力者生まれも裕福な老人をこれ以上甘やかしてどうすんだっつー話よ。
だからこそ、テロリストに同情的であり、殺されかけた老人に対する情は一切ないわけですよね。
それだけのことをしてるわけじゃん。
例えばさあ、
死刑囚は法律で殺されるわけだけどそういう人に対して可哀想って普通は思わないですよね。
それは死刑囚が許されないことをしたからじゃん。
それに、死刑囚許したら更に犯罪が誘発されるからじゃん。
それと同じっすわ。
多分、今回のテロを批判する人って、暗殺対象の老人のやってることを把握してないってことだと思うんですよね。
なんかこの人って、すごい影が薄いって言われてるからな。
なんか一見柔和というか、優しい印象を抱くけど、やってることは実際大量殺人だからな。この人の緊縮財政によって多くの自殺者を出してるわけじゃん。
これが例えば、ガーシーが暗殺されそうになったとかなら、「まあ…」みたいに思われる気がするけど、
でもやってることはガーシー以上の極悪人なわけですよね。
だから、正直「ねえねえ、チビッた?チビッた?ねえ今どんな気持ち?暗殺されそうになった感想は?ねえどんな気持ち?」っていうのが、俺の気持ちなわけですよ。
まあ、
つまり俺は、テロ暴動を一部好意的に見ているということである。
だから、良識ぶった人に「テロを肯定するのか!!」って言われる立場にあるわけだが。
まあね、もちろんテロはいけないことっすよね。
法律的には、100テロが悪い。
「何があろうとテロはいかん!」っていう意見も、「そりゃそうよ」って思うわけだし、テロとか起こさない方が良かったに決まってますよね
まあ最善をいうならば、テロを起こすくらいなら、れいわ新選組に対してジンセイを賭けて奉仕するとかさ、周囲に広めるとか、
テロを起こすコストや覚悟とかを考えれば、そのくらいできるっしょ?
もっとこう、平和的に、今の政治を直していこうって、それしかないよなって。
むしろテロとかまともな政治ができなくなる恐れがあるからな。
でもさあ、
別に、一つのものに対して、複数の意見を持ってていいよね。
何か一つのことに対して、賛成か反対か、どちらか一つの意見だけじゃないとだめ!!みたいな、そういうルールは無いよねって話よ。
つまり俺がたまにいっている、ロウ的にはアウトだけど、カオス的にはセーフみたいな、
俺の中の法律的にはアウトだが、俺の感情的にはセーフみたいなね。
心が2つあるってやつだ。
なんかこう、泣いて馬謖を斬るっていう言葉があるけども、
あれはおそらく、ロウ(自分のルール)的なものを優先した結果、仲間を切るっていう判断をしたわけじゃん。
でも一方、カオス(感情)的には許してやってもいい…っていう感情が合ったことは否定できませんよね。
ある一つの事柄を見て、一部分は許さないけど、一部分はしゃーねえよな…ってね。
あらゆるモノは常に多面的なものだから、1と0で判断できないものじゃん。100ダメとか100良いとか、そういうものばかりじゃないんだよっていうね。
俺はそういう事を言いたい!前の山上さんの事件も同じことだな!!