暇空茜のハンター解説動画、
俺はハンターハンター最新追ってないので、この動画は自分が見てないところの解説をしていたから、最近まで見てなかったんだけど、
でもつい昨日、「あっ、別にいいやネタバレされても」ってふと思ったんですよね。
だってハンターハンターって難解なところあるし、解説みて楽しむ的なところもあるじゃないですか。アリ編とか。
だし、正直ここ数年は見るタイミングが無いような気がするので、今見ても本編見る頃には多分だいたい忘れてるだろうなと思って、暇空の解説動画見たんですよ。
それで、その解説シーンの中に、ヒソカが他のキャラにお願いされるみたいなシーンがあったわけですよね。(URL参照)
それで、ヒソカが「俺と旅団、どっちが勝つと思う?」って質問に、「旅団が勝つ」って相手が答えて、「合格♡」みたいなシーンが有ったわけですよ。
なんで敵が勝つって答えてヒソカは満足したかというと、ここで「お前が勝つ」って言われたら媚を打ってると思われるから、旅団が勝つと言うことによって「こいつは本心で会話してくれるんだな。気にいあった♡」みたいな。
そういうシーンらしい。
このシーン、なんかナニカに似てると思うんですよね。
そう、宮崎駿と一般人との会話ですよ。
なんかどこかで聞いた話なんだが、(多分岡田斗司夫)、宮崎駿って結構普通の公園とかに出没するらしい。なんか普通に歩いているおじいちゃんみたいな感じでいるらしいよ。
そして、そこに一般人が「あっ!宮崎駿だ!!会話してえ!」ってなる気持ちはわかるけど、当たり障りのない「応援してます!」みたいなこと言うくらいなら何も声かけないで!みたいなことを言ってたわけですよね(うろ覚え)
なんか、宮崎駿に限らず、そういう有名人ってこういうところあるよなって。
例えば、平沢進とか、なんか最近「僕のイメージが崩れるから勝手にMADとか二次創作とか作らないで」みたいなこと言ってたし、なんかこう、気楽に触ってはいけないというか、あまりミーハーに声掛けするのは相手に迷惑でもあるよなみたいな。
まあ、ミーハーに声かけていいタイプの有名人もいるけどさ。特に芸人とかは声かけられる方が嬉しいみたいな人がいるけど、一方でこういう人もいるわけですよ。
そのきもち、すげえわかるな。
自分も声を欠けられたくないタイプの人間というか、他人が怖いじゃないですか。
「え?!誰!?」みたいになるし、怖えよ。
ツイッターとかでもたまに有名人にいいねされても、「いいねされたぞー!」ってツイートしにくいよね。相手はなんか気楽にやってきたのに、そんな声高に言われても…ますますいいねしづらく成るじゃん。相手のことを思うとね。
まあ宮崎駿は、そんな声をかけられたくないって思ってないかもしれないけどさ。
なんか下手に「私はあなたの味方です!」なんていうと、「はいはい、俺が有名だからそういうんでしょ」みたいに相手に思われてむしろ悪印象だと思うというか
逆に相手を否定するほうが「おっ、この私を批判するとは…こいつ見込みがあるじゃないか、」って思ってくれると思うんですよね。
そこで思ったんですよ、。
宮崎駿に、なんと言ったほうが気に入られるのか会議。
いや、というよりも、「俺が個人的に宮崎駿に言いたいこと」だな。
多分この人に限らないことだと思うけど、本心で言ったほうが良いと思うんですよね。
そういう仮初の事を言ったところで意味がない。
それに、この指摘に対して「あっ、そっかー」って相手が納得すれば、皆得することだと思うんですよね。
つまりどういうことかというと、「いつまでそのやり方にこだわってるんだよ」ってことなんですよね。
例えば、サブスクですよ。
ジブリ作品、アマプラでも、専用サイトとかでもいいから、ネット公開してくれよって思うんですよね。
それでジブリの資金源に成るぢゃんって思うんですよ。
聞いたぞ。ジブリってなんか資金面において苦しいみたいな話をさあ。
一作品一作品魂込めて本気でやってる分、お金がかかるみたいなことを言ってたし。
ハヤオは「あっこの部分話のテンポ的に無い方が良いわ」とか言って脚本をグシャグシャにするとか、そういう損の切り捨てと言うか、お金の判断ができるみたいな話を聞いてるのに、なんで頑なにサブスク的なことしないんだろうなって疑問なんですよね。
それが1つ目。
そして2つ目として「今後原作だけを作って負担を減らすみたいなことってしないんだろうか」みたいなね。
正直これは、本人のスタイル的にやることは無い気もするんですが。
なんかこう、宮崎駿が、最初に原作と成るだいたいのシナリオというかストーリーを作って、その後はもう部下に任せて、ところどころハヤオが修正させる、みたいな。
漫画でいうところの。原作と作画に分かれるみたいな、
なんか岡田斗司夫の話を聞いてると、宮崎駿はかつての勢いはなくなってきているみたいなことを言っていて、やっぱり重労働だからとか年だからとか、あまり無理はできなくなってきているみたいな。
じゃあその負担を減らせばいいじゃん!それで全部解決じゃん!って、そいう指摘なわけですよね
そうすればハヤオの負担は減るわけだし、残りの人生楽して作品を残すことができるだろうし、ジブリもたくさん作品を世に出せて復興できるやん!って思うんですよね。
でもさあ、それだとジブリの良さっていうか、ジブリ特有のあの感じは出せないのかなとも思ってしまうわけですよ。
なんか千と千尋とかの細かいあの動作とか、すごいリアルというか、すごかったじゃないですか。
宮崎駿はそういうのすごいこだわる人らしく「おい!女の子はこういう持ち方しないだろ!」って怒ったこともあるくらいだしな。
あっ、じゃあさ、そういうメソッド的なのをちゃんと具体的に教本的な漢字に形に残して、それを参考してもらえばいいんじゃないかな。
っていうかそういうことってジブリ内でやってるのかな既に。なんか新人教育とかでそういうことしてそうな気もするけど。
いや教本にしたところで、それで全部宮崎駿の作画をマスターできるっていうのならば苦労はないだろ。
まあ、これって富樫のハンターハンターにも同じことが言えるよな。
富樫は作画を他の人に任せたくないというプライドがあるらしく、だからこそ連載が遅れまくっているらしいし。
あと、ベルセルクの作者も無駄に書き込みが多いから過労状態だったらしいしさ
やっぱり名作を作れる人っていうのはそういうところあるよな。
異常なこだわりがあるとうか。
まあでも、素人考えで勝手なこと言ったけど、こういうのって「そんなこと分かっとるわい!それができれば苦労はしないんじゃ!」みたいな感じのことかもしれん。
なんかこういうのって、変えようと思っても変えられないものなような気もするんだよな。
それで仮に楽に作品が完成したとて、それはジブリと言えるのだろうかみたいな。
正直、俺だったらそういう楽をしまくる選択を取ると思うわ。お金は大事だしな。ブランド力があるからある程度は売れるでしょ。
そしてその分作品が劣化したとしても数打てばいずれは名作を作れると思うわけですよね。
その点、庵野秀明ってすげえよな。シンエヴァのクソ感とかウルトラマンとか仮面ライダーとか、観客の目を全く気にしていない感がある