育児に悩み、人生に惑う親たちに贈る「他人を羨んで苦しいときの心の処方箋」|ウーマンエキサイト(1/5) (excite.co.jp)
自分は、可愛いものが好きなので、育児動画とかよく見るのですが、まあたまーに、そういうのあるよね。
なんか親が何かをさせたいみたいな、何かをさせるためになんかさせるみたいな。そういう年端も行かぬ、何も分かってないような子にみたいな。
なんかアレさあ…良くないよな
赤ちゃんレースとかも、なんか倫理的に大丈夫なのこれ!?って感じがするわ。
大人の勝手な、さあ…レーンに乗せてさあ
だからなんか大人たちをいたずらに焦らすのとか、レーンから外れてハイハイするのを見てると安心するわ
いいぞもっとやれっていうね
まあ、それとかは、なんというか、まだそんなに、俺がそういうニュアンスを感じ取っているだけだからマシだけど、世の中にはそういう人がいるし、実際誰しもそういう気持ちはあるよな。
自分の子供がもっと有能で偉くなってすごい仕事をして…って、そういう感じの。
まあそうなることに越したことはないが、それ目的で産んだの?みたいな。
なんかさあ、子供の進路を親が勝手に決めるとか、将来の夢を大人が却下するとか。
そういう親っているよな。まあかなりレアな部類だと思うけど。
まあこういうとダメな親だなって思うかもしれないけど、自分の子供がユーチューバーになりたいとかいうと、「それはダメだろ!否定するのも親の責任!」とか言っちゃうコメントとか幻視するよね。
まあそこまでいかなくても、なんかそういう成分ってあるよね。親って。
なんかそういうプレッシャーみたいなのを感じるよね。
このURLの親もまさしくそれだな
周りの子がしゃべってるのに自分の子は言葉がしゃべれないとか、成長が遅れているみたいな。
なんかさあ…こう…可愛がってやれよって思うよな。成長するのはいくつになってもできるけど可愛がることは今しかできないみたいなところあるんだからさあ…
こう思うのは、なんか実際、親戚の家で、赤ちゃんがいて、そいつがなんかすごい場を支配していたみたいな。そういう感覚を覚えたからなんですよね。
なんかこう、こいつだけは信頼できる、こいつだけは裏表がないみたいな。なんかそういう、ジャギのなさっていうのはこういうことなんだなみたいな。
まあ、その時の自分は、なんか「なんなん?」っていう、そういうツッパリ的なぶぶんがあったからそんな可愛がるとかせずに無視していたけど。
なんというか、妖精的というか。親が子供を可愛がるっていうのは、こういう感じなんだなっていうのがわかった気がするわけですyね。
あと、もう一つ思うところがあって、俺は赤ちゃんなんだよね。
全然大人になれないし、むしろ世間一般で言う大人という概念って、クソだなって思う部分があるわけですよね。
世間一般で言う大人っていうのは、落ち着きがある人だとか分別がある人みたいな感じだけど、結局のところ「人格」だとか、「権力」でしかないわけじゃん。
なんかみんな本当は大人じゃないのに、大人のふりをして、それで威張ってる権力を貰っているみたいな。
子供が大人のふりをしているのが、大人の真実の姿なわけですよね。
昔自分は「大人は常に正しいことをする存在」みたいに捉えていたけど、実際大人を見ていると、「あれ?こいつ…自分と同じじゃん」って思うところがあったわけですよね。
だから一生人は大人になれないし、一生赤ちゃんや子供のまま何だと思うわけですよね。コアの部分は。
故に、なんというか、自分のそのピュアな部分を垣間見れるから、赤ちゃんを見るのが好きだな。
なんかこう、そういうところがあるのかもしれないな。可愛がるっていうのは。自分が可愛くないと的な。よくそういう歌詞あるじゃん。
まあ話は戻るけど、なんかこう、良い親っていないのかもしれないな。全員子供なんだから。なんかこう、俺は大人だって思ってなんか生きるよりも子供だから子供なりにできることをしようみたいな。そういう人の育児動画が好きだよね。大人という人格に支配されてないみたあな。
なんかこう成長レースみたいなのもなんか大人という人格がそうさせているみたいな。
それになんか、こう、知能っていうのは、測れるものじゃないんだから。
IQとか知能指数とか一般的な平均的な成長っていうのは、人が勝手に作ったものでしょ。
なんかこう、そいつがのめり込めるものを見つけてあげることが必要なんじゃないかなって思うわ。
そう考えると、今の学校教育も、もっと他にやりようあるんじゃないかなと思うわけですよね。
俺的には、型にはめる教育が必ずしも間違っているとは言えないと思う。だだが、少なくとも今の教育は間違っていると思う。
「皆同じ!!」っていう教育は必ずしも間違っているとはいえない。
だが、万人にとっての基本となるものなんだから、もっとこう、練られてしかるべきじゃないかなと
例えば、昔は特定の宗教の勉強をしないと上に上がれないみたいな、そういう歪んだ気持ち悪い教育があったわけなんだから、二の舞いにならないようにするべきなんだよね。
今もそうじゃん。例えば何方程式を覚えないととか、実生活で何の役にも立たないことを覚えないと、いい仕事につけないとか。そういう評価基準になってるわけじゃん。
それって昔のそういう宗教を暗記するみたいなそういうやつと何が違うの?
「聖○○が、○○の戦いの時、天使がオリてきてなんといったかうんぬん」みたいな、そういう宗教のどうとでもなる物語のクイズが、今の学校であったら、それに対してお前らは文句言うくせに、
なんで今の多くの者にとって意味のない数学の深掘りとかに対しては「その計算式は車の内燃機関で使われてるから万人が学ぶべき」みたいな論になっちゅあわけ?
そうじゃなくて、もっとこう、基礎的な計算などあらゆる学問の核となる勉強や記憶をしたり、あるいは健康のための知識や習慣だったり、政治や経済が活発になるようなことを教えたりするっていうのならば、それはもう万人にとって必要なことなんだから。「同じ」でも良いと思うんですよね。
もっとも自分の命を守り、社会が強くなる知識ならば、それは学校で全員が教わるべきだと思うけど。
それが成されていないのは、おそらく「大人」という人格が合理性を歪めているんだろうね
「いやこの知識はある技術で使われているから学校で教えないと』云々みたいに、
いやさあ、別にそれは専門的知識で、おとなになってからも学ぶことなんていくらでもできるんだから、他にもっと必要な知識があるだろ、優先順位があるだろって思うんだけど、
「大人」という人格が「いや、今のままの方法が一番良いんだ。だから変える必要はないんだ!なぜなら俺は絶対に正しいからだ!間違えたくないからだ!」って、合理性を歪めているんだよな。見てるとそう思うわ。
「お前」が考えろよ。「大人」でじゃなくてさあ
みんな「大人」の人格に支配されて、自分で考えられなくなってるわ。
そこらへんが子供といえば子供なんだけど。