「正義の反対は、また別の正義」って真実ではなく面白ネタだよな

野原ひろしの名言。「正義の反対は悪ではなく別の正義」

 

これね。なんかこう、違う感。

 

違う感がないですかね。

 

なんかこう、これを真実だと思ってるやつとか、ちょっと危なくない?って思うんスよ。

 

まあね。確かにそういうところもあるけどもさあ。全てがそうじゃなくて、明らかに悪VS正義っていう構図もあるわけじゃん。もちろん正義VS正義のそのパターもあるんけども。

 

なんか、そういう「俺らは単純化してません。悪と正義という二元論に陥ってません」みたいなニュアンスを感じるけど、逆にそういういやつみたいに、全てが正義VS正義だと思うってのもまた単純化してるよなって。

 

全てが同じ正義VS正義なわけじゃにじゃん。明らかな悪もいるわけでしょ?強盗とか無差別殺人とか拉致とか。

 

なんかこう、だから、なんかニコニコ動画とかでそういうコメントが流れになってきたら、なんか、「こいつらバカで~」って思っていました。

 

なんかさあ、気持ちよさで言ってるところあるよな。気持ちいいから言うっていうね。

良く考えずにさあ。

 

例えば「死んだ魚の眼をしているね」とか流行りませんでした?アレさあ…、なんか傷つくと思うんだよな。なんか、死んだ魚の眼をしてる原因を聞かないといけないのに、そんなこと言ったら「死んだ魚の眼をしているお前は悪い」っていう方向になるじゃん。

 

あと「お前は橋の下から拾ってきたのよ」っていうのも。気持ちいいから言ってるでしょ絶対。相手のこと考えずに。気持ちよさだけなのよ。なんとなくだけなんよ。

 

そういうふうに、人って、考えずになんかこう、行動するところがあるよな。だから哲学って大事だと思うんですよね。孤独に考えることが大事だと思うんですよ。

 

あと、ニコニコ動画で思い出したけど、あの、FF9の実況を見てたんですよ。そしてスタイナーがジタンたちと友好的になっていくにつれ「成長したなスタイナー」みたいな感じのコメントの流れになってたけど、「いや成長かこれ?」って思っていました。別にジタンを認めたり友好的になることがイコール成長とはならんだろ。

 

なんかさあ、ジダンたちが悪いやつかもしれないというか、ジダン=正義っていう思いがあるから、ジダンと仲良くすることは正義みたいなさあ。っていうか普通に悪いことしてたよね。序盤になんか姫盗んでただろ。そのゴカイが溶けることが成長っていうのか?

 

なんか、そういうやつを経て、なんかこう、集団というか、人が多ければおおいほど賢くなるっていうのは全てにはてはまらないよなって。流れみたいなのがあるよな。

 

なんかダチョウが「みんなが走ってるなぁ…せや!わいも走ろ!1」っていう感じで特に何の意味もなく何となく移動してるらしいじゃないですか。あれ笑えないと思うんですよね。

 

 

国会のバカみたいな国民犠牲にしてもしょうがいないよねみたいな空気と同じで、多くの人が同意することが真実とは限らない。

 

なんかこう、面白さとか、気持ちよさとか、そうするほうが目先の利益になるからとか、そういった間違った要因で人々は間違った情報を流布することもあるよなって。

 

棄民党とかもさあ、過去30年異常、「迷ったら棄民党!!」っていう流れになってるわけじゃん。実際何をやってるのか知らずに。

もう、30年の失敗の重みをね。考えるべき。

 

じゃあもう、だからもう、今後は「まよったられいわ新選組!」っていうふうにするべきだわ。なんか同じように何かを盲信するのならば絶対れいわが良い。

棄民を信じて他人を苦しめるより、れいわ信じて自分も他人も救うほうがええだろ。

 

まあ盲信するって言ったらアレだけどさ。山本太郎さんも「れいわがダメだと思ったらサポーターさんは他に移ってくれてかまわんよ」って言ってるんだよな。

 

山本太郎さんの目的が権力ではなくて、政治の浄化なわけだから言えることなんだよな。こんなこと他の政党は言えないよ。なんか逆にれいわ新選組への信頼が高まるっていうね。

みんな求めてるのは国会の浄化なわけで。