目標は超えるものではなく”下回るもの”

 

よく言うでしょ。

 

 

「やらないで後悔するより、やって後悔するほうがマシ」

 

 

なにかチャンスが巡ってきて、やらなかったら「あのとき挑戦してたら今ごろ~!」ってなる。みたいなさ。

 

 

まあ分かるよ。

 

 

すごい自分の人生の分岐点的なところで、迷ったりするけれど、

 

やっぱり人生成功しないと、極論生きてる意味ないし。

 

 

でもちょっとこれ、反論したい部分も半分くらいあるんすよね。

 

 

というのも、「いやそれ全部に対してではないよな」って。

 

まあ当たり前ですけどね。

 

やらないで後悔することもあれば、

やって後悔するほうが、この世を地獄に変えてしまうことだってあるんだよね。

 

 

まあ適当にあげると、受験先だったり、部活だったり、就職先だったり、結婚相手だったり、家選び、旅行、挑戦、色々あるわな。

 

 

 

そして、多分、「やらないで後悔すること」って、人生の3%以下にも満たないと思うんだよな。

 

大抵は、97%くらいの大部分は、「やって後悔すること」だったり、特に「別にやらなくてもいいもの」だったりすると思うんだよね。

 

 

その代わり、前者の「やらないで後悔すること」って、かなり自分の人生を左右するものだから、慎重に考えたほうが良いと思うけども。

 

 

いや、そうかな?

 

別に、慎重にならなくても、気楽にやればいいんじゃね?って思うけどね。

 

なんというか、途中で降りてもいいんじゃね?って思うんだよね。「あれ?これなんか違うな」みたいになったらすぐ辞めるみたいなさ。

 

結婚とか仕事とかも傍から見ていたら「なんで離婚しないの?」「なんで辞めないの?」ってなる。

 

けどまあ、そんな合理的に生きられるものじゃないか人間って。

 

 

 

 

まあともかく話は戻るが、

 

 

「やって後悔すること」はまあ分かるじゃん?

 

事故ったり、人生の負債を負ったり、それらのマイナスをへらすということは分かる。

 

でも、「別にやらなくてもいいこと」をやるって、別にコストは少ないから別によくない?ってなるよね。

 

でもこれって、断捨離みたいなもんで。

 

やらなくていいことをやらなければその分、その余力を他に時間使えるわけだし。

 

確かにコストは少ないかもしれないけど、その油断がすごい釣り積もって、全体としてすごい負債になるような気がするんだよなぁ。

 

時間的な意味で無駄ってだけじゃなくて、リソース的な意味でも。

そういう、人生で苦労できる量は限られていると思うんだよな。

 

学生の頃、「やらない」を選択し続けて怠けてた分、おとなになって本気になることもできると思うんだよね。

学生の頃「やる」を選択し続けて苦労したら、大人になって「ああ、やりたくないなぁ」ってなることもあると思う。

 

 

 

 

 

 

 

まあそれは置いといて。

 

まあそれに関係することなんだけども。

 

今行ったのは、1か0かみたいなことじゃん?

 

でもそういった二者択一的なことじゃなくて、もっとこう、量的な判断みたいなものもあるわけじゃん?

 

 

1か0とかじゃなくて、何々を10やるか、それとも50やるか100やるか、1000やるか、みたいな。

 

まあ具体的なことでいうと、勉強時間だったり、筋トレだったり、スポーツだったり、

 

どのくらいの量やるかみたいな。スキルを磨くために一日にどれくらいやるかみたいな。

 

 

 

この問題にも、前述のような、「やらないで後悔する方がマシ」理論が適用されるのではないか、とふと思ったのですよね。

 

 

 

つまり「100やろう!」と思うとするじゃん?

 

そして実行して100までいくと、さらに101やりたくなるじゃん?

 

そんな感じで200くらいやって、さらに300、500,1000とかやるとするじゃん?

 

それですごいへとへとになるわけじゃん?

 

でも目標を超えたわけだから、すごい達成感あるわけじゃん?

 

 

 

これって結構、マイナスの出来事なんじゃないか、と最近思うようになってきた。

 

 

目標って、超えるものじゃなくて、下回るものなんじゃないか、と。

 

まあもしくは、ぴったりやる。みたいな。

 

あまり超えちゃダメ。

 

まあ、101、とか110とかまでなら許容範囲ではあるんだけど、そこまでいくと感覚がガバガバになって、200くらい言っても‥かまへんかまへんみたいになってしまうから、できれば100ピッタリのほうが良いと思うんだよね。

 

 

じゃあなんで超えちゃダメなのかというと、限界までやると、それって「本気」じゃん?

 

全身全霊というか、今自分が持てる体力全てを使って、やるわけじゃん?

 

 

でも、「本気」って、毎日出せるわけ無いじゃん。

 

 

すごいやる気があるなら、毎日本気を出す生活ができるかもしれないけどさあ。

 

いやだとしても、毎日本気を出したら、どこか体を故障するかもしれないわけだし。

 

 

別に本気を出さなくても、毎日やってれば人は成長すると思うんだよね。

 

いやむしろ、全てのリソースを使ってしまったら、その脳の中に学習したデータを、効率よく分析というか、吸収できないようなきがするんだよね。

 

 

まあそれは感覚的なことだけども。

 

 

 

それともう一つ思うものがあって、

 

こうやって、毎日目標を超える生活をしていたら、目標とか意味なくなるじゃん?

 

というか、目標がどんどん上がっていって、毎日のハードルがすごい高くなっていくわけじゃん?

 

それで、ある日限界が来て、目標を超えられなくなったら、すごい凹む。モチベーションが下がる。

 

結果、続けられなく成る。

 

 

いやそれだけじゃない。

 

PCDAサイクルって知ってますか?

 

計画を立てて行動して、それを反省してまた計画を立てるのに活かす、みたいなやつ。。

 

そういうビジネス的な定石があるんですけど、ここに当てはめると、

 

1、目標を設定する

2,実行する

3,反省して次の目標を設定する

 

になるわけじゃないですか。

 

 

でも、毎回目標を超えると、3の反省して目標を設定するのところで、正しい判断ができなくなると思うんだよね。

 

そういうのって自分のメンタルとか精神状態とかと相談して、無理なく設定する感覚的なものだけど、限界を超えてしまうと、その感覚がぶっ壊れるわけなんだよ。

 

そう、無理なくが重要で、毎日できるか?という前提のもと目標を設定すべきなわけで。

 

目標よりももっとやりたいと思ったら、もっとやりたい!こんなんじゃ足りないと思ったら、目標をもっと上に上げれば良いわけで。

 

 

つまるところ、以上の理由から、

 

目標を上回るものじゃなくて下回るもの

 

という結論に達したわけですよね。

 

 

つまり、常に余裕を持とう!ということ