負け上手こそが最強という持論

 

俺は、このまえ記事で、スマホの英語学習アプリで英語を勉強してるって言ってたじゃないですか。

 

それでね、新しい単語が出たら、もちろんその単語のことを知らないわけだし、間違えるじゃん。

 

それと、新しくないとしても、なんか覚えにくい単語ってあるじゃないですか。

 

つまり間違えるじゃん。勉強って、そういう間違えることが勉強の本質と言ってもいい。

 

そして間違えたところを何度も繰り返す。それの繰り返しじゃないですか。勉強って。まあ記憶とも言うけども。

 

そういえば、話は逸れますが、昔俺が「勉強って記憶が重要ですよね」って言ったら「いや勉強は暗記じゃない!!」みたいにムキになられたことがあったんですよね。

 

いや記憶じゃない?勉強って。

 

記憶しなかったら何も始まらないじゃん。

 

もちろん新しいものを導き出すっていうのは、記憶力じゃない、別の頭を使うかもしれないけども。

 

でもその分野についてどんどん知識を吸収、記憶していけば、なんか別のことしている時にふと色々な発見が出てくるものだと思うんですよね。

 

まあそういう小話を挟んで話は戻るけども。

 

ともかくね、間違えるわけですよね。何度も。

覚えたと思った単語も間違えるわけですよ。

 

その時、俺はショックを受ける。

 

「ああ、俺はこんなにも記憶力よわよわなのか」と。

 

許せねえ。許せねえよ。

 

俺はよわよわじゃないんだ!ってね。

 

でもその感情こそが、その傲慢こそが、自分を堕落させている。そのことに何故気が付かない!?

 

勉強は間違えることだろ!!当然のことにショックを受けるな!!神になったつもりか!!

 

 

まあ、まとめよう。

その学習をするときの意識としては、3パターンある

 

1,一瞬でわかる

2、少し迷って分かる

3、全くわからない。

 

1について、一瞬でわかる。

 

これがベスト。全部これになるように英語の学習をしている。

英語学習アプリとしても、そういう問題は次から「あっ覚えたんなら次からは省きますね」ってなる。まあ簡単な単語は出題しても時間の無駄だからな。

 

 

2について、少し迷って分かる。

これがダメ。

迷うっていうのは、そういう「正解したい」っていう意識があるからじゃん。少しでもスコアを高くしたいっていう

 

でもねえ、あなた、あなたはスコアを高めるために英語学習をしてるんです?

っていうと、そうじゃないでしょ。英語を学習するためにやってるんでしょ。

 

だから、迷ったら即座に「もうどうにでもな~れ」って適当に押す、これがベスト。

 

 

 

 

もっとも最適なのは

1、一瞬でわかる

2,即答えを見る

 

この二択にするということ、つまり迷いという選択肢を消すということ。

 

これが癖にすること。

それがベスト。

 

1か0か、この点に関しては白か黒か、どちらかにするほうがいい。

その中間のグラデーションはダメ。その選択肢を外すべきなんスよ。

 

 

なんというか、勉強が嫌いって思ってる人って、「迷い」が嫌いって人が多いのかなって気もするわけよ。

 

つまり答えをみずににずっと考えてる状態。

 

これは精神や体に負担がかかって、脳が「あっ、ダメだ勉強、」って思って、やりたくなくなるわけよ。

 

だからどんどん勉強しなくなっていくっっていうスパイラル。できないから嫌い、嫌いだからやらない。っていう。

 

なんというか、その気持わかるわ。プライドが許さないんだよな。

 

なんか、あとちょっとで思い出しそう!みたいなのを、何分もかけて思い出しても、そんな得にならないのよね。

 

それよりもどんどん答え見て先に進む方が得。あと気持ちいい。

 

問題はそのプライドを捨てきれるか。最初にそれができるかが問題だよな。

 

なんかさあ、せっかく先生とか、塾とか、そういう他人から教えてもらうみたいな環境があるんだからさあ、そういうテンポというか、コーチ的な感じで、自習をコーチングしてもらうべきだよなと少し思った。

 

 

まあね

これは英語学習をの話だけども、でもこれって別のことにも言えるなって。

 

コンコルドの誤りですよ。

 

ダメだと思ったら撤退するしかない。

そうやって損失をなくしていくことによって、最終的にすごい積み上がっていくものじゃないですか。なんというか功夫的なものが積み上がっていくものじゃん。

 

 

でもね、なんか社長とかでも、その一つ一つの判断が重くなってくるよね。

 

一般人でもさあ、なんかaかbかで選択肢があって、50%で死ぬみたいなことってあるじゃん。

 

ダメだと思って即撤退ができるっていうのはね、まあ確かにその通りなんだが、もっとベストを尽くすならば「やる前」にそれが正解かドウかみたいな判断が重要だよな。

 

その上で俺は思うことがあるんだが、

 

例えば、aかbか、っていう選択肢には、色々な条件があるわけじゃん。

 

aは成功率は低いが、成功したときのリターンがデカい、

bは成功率は高いが成功したときのリターンが低い。

cは好きだけど成功する展望が見えない、とかさあ。

 

そういうね、客観的なデータも大事だけども。

 

「感覚的な」判断も重要だと思うんですよね。

 

つまり「好きか嫌いか」で、判断しても良いのかなって思うわけよね。

 

なんか理論的にその選択がベストだと思ってても、嫌いってことあるじゃないですか。

 

「え~やらないといけないの~」ってことあるじゃん。

 

そういうの大事にするべきだよなって。

 

そういうのに従っていったほうが、より豊かな人生を歩めると思うわ。

 

それができなかったのが闇バイトでしょ。犯罪行為でしょ、多分。

 

いや闇バイトは客観的なデータ的にも悪手だと思うけどな。

 

まあね、でもその本人にとってはその闇バイトが「やりたいこと」だったみたいな、そういうニュースを見たな。なんか反社の人に必要とされてて、嬉しくなってやってしまったみたいな。

 

なんか日本はそういう、感情で動く感じの性質が強いなと。良くも悪くもね。

 

いや海外のほうが感情で動いている気がするけど、なんかこう、日本はすごい自分の内側を見ている気がするわ。海外は外側を見ている気がする。

 

日本は自分を変えようとする自己責任論に陥りがちだけど、海外は世界を変えようとする他社責任論になってる気がするわ。良くも悪くも。

 

例えば吉田松陰とか、ヤベーやつだけど、自分の信念に従って生きたすごいかっこいいやつじゃん。こいつ以外にももっとこう、自分が損するのに信念だけで動いたすごいやつ歴史上でいっぱいいるじゃん

 

なんか一族皆殺しにされるのに、お殿様に嘆願したみたいなやつだったりさ。そういうのが江戸時代とかにいたらしいよ。詳しくは忘れたが。

 

なんかさあ、自分の利益のために、自分のプライドを捨ててなんかこう、悪いことしてでものし上がってやるみたいなさあ、

 

「なぜ木村政彦力道山を殺さなかったのか」って本で、力●山が木村を陥れて勝ったみたいな。そういうやつってなんか、可哀想だよな。

 

他者を陥れて勝つみたいなやり方さあ。

オレオレ詐欺とかそういうね、金の為なら何でもやるみたいなさあ。

 

そんなんで力でないだろ。バレたら袋叩きにされるしな。昨今のネット社会。

 

あれ?何の話だっけ。なんか最初のテーマからすごい外れてる気がするわ。

 

なんかアレだよね。自信を持って生きたいよな。失敗しようが。

失敗しても「うんこー!!」ってならずになりたい。