骨なし、自分なし、カオナシ

カオナシの気持ちがわかるわ。

 

なんといか、アイデンティティと言うか、誇りといういあ、かっこよさ、だったり、

 

あるいは欲望だったり、自分の人生のテーマだったり、何かこう、100%信じられるもの、信じられるもの

 

 

それがない人間。

 

なんかこう、そういう人が増えているらしいじゃん?

 

 

なんか、「君はなにかになれる」みたいなCMあったよなドラクエの。

 

あれもまさに、それを表しているというか、顔が欲しいって思ってるからこそ、刺さるCMだと思うんだよな。

 

まあ顔がないっていうのは抽象的すぎるが、具体的に言うと、

なんかこう、、ストレスというか、皆同じで皆良い、みたいな、なにか自分のやっていることに疑問を持ち続けながら生きなければいけない、みたいな。

 

 

なんか、アレだ。今思い出したけど、地下鉄サリン事件で有名なカルト宗教があるけど、その信者っていうのは、結構高学歴だっていう話。

 

それで、一般的なイメージでは、そういう人たちは、すごい狂信的で、ハイル!カルトー!みたいな、情熱的な熱狂的な人間、、

 

かと思いきや

 

実は彼らは、自分がない人間だっていう話。

別にそのカルト宗教に熱心というわけでもなく、ただ指示をしてくれるからそれに従っただけみたいな。

 

あまり軸というか、芯を持たないような人が大多数だったみたいな話がある。

自分の顔がないからこそ、顔を作ってくれるカルト宗教にハマってしまう、みたいな、

 

そういうことを例のサリン事件を扱った本で呼んだわ。

 

 

 

それで思ったんだけども。

 

なんかこう、「合理的」ってだけじゃダメなんだろうな

 

合理的ってだけじゃ、なんかつまらないというか、

 

例えば進路とかで100%安定する選択ですってなっても、それを選ぶとは限らないわけじゃん人って。

それが自分にとって、それを取り組むべき価値があるのか?っていう、そういう、何かが無いといけないんだろうね。

 

その点において、なんというか、日本の歴史とか、日本の誇りとか、そういうのって、すごい、日本人に必要なものだよなと。

まあ日本に限らず、それぞれの国でもそうなんだろうが。

 

なんかこう、マヨイがないものじゃん?そういうのって、

歴史の重みというか、伝統というか、誇りみたいなヤツの効能っていうのは、そういう「顔」を与えてくれるってことなんだろうね。

 

まあシンプルにいうなれば、自信がつくってことなんだろうけども。

 

「君は何かになれる」みたいなCMが流れても、

「いや俺は〇〇の子孫だしぃ~?」みたいな、

自分はアイデンティティを持ってますみたいな自信があるわけじゃん。

 

まあそれが逆に傲慢につながることもあるんだろうけどな。

 

カオナシが多いのって、そういう、日本人がその歴史を奪われてきたというか、GHQ的な影響とかも含まれているのではないかと、教育方法なり、就職なり、自虐的精神だったりね。

 

 

 

なんかね、色んな人の話を聞いていると、そのカオナシっていうのは、もう色々なところにいるけども。

そういうカオナシじゃない人間が、なんか成功してるわけじゃん。

 

まあ、議員2世3世とか、大企業の息子とかは除いて、そういうやつじゃなくて、1代で財を成したってやつは、カオナシではないわけじゃん。

強烈な個性を持ってるやつが成功してるわけじゃん?

 

結局勝つのは信念を持ってるやつなんだろうなって気がするわけよね。

他の会社とは違うやり方で年収何億円、みたいな会社があるわけじゃん。

 

 

でもまあ、そうじゃない人間が大半。

 

例えば日本の政治よ。

YouTubeの解説動画とか色々見てると、国会の大半の人が、そういうカオナシだと思うんですよね。

 

なんかこう、二世三世世襲制で、無理やり政治家にならされた人間。

コドモの頃から親に人生を決められた人が老人になってもあまり変わらないなみたいな。

 

まあ、カオナシなのはいいとして、カオナシがそんな責任ある役職につけるっていう現状が、すごい恐ろしいよな。

 

っていうか責任とか重圧とか、本人たちも御免被るみたいに思ってるんだろうね。金がもらえるから席に座ってるだけって感覚の人が大半なんだろうな。

 

小泉進次郎も、レジ袋有料化したけど「いや僕のせいじゃありませーん」みたいに言い訳してましたよね。

野々村議員も「僕は社会を良くしたかっただけなんですぅ~!」みたいな絶叫会見してたし。

 

そういう責任逃れ見てると、ああなんかコドモと同じだって思うわけよ。大人なのに。責任を担う国の重要役職なのに

 

 

 

 

 

 

まあね、俺もさ、なんか偉そうなこと言ってるけどそのカオナシに含まれる人間ではあると思うわけよ。

まあでも俺はカオナシの中でも、頭がいい(と自分で思っている)個体だからな。

 

なんかこう、カオナシでもカオナシなりに、なんかこう、哲学すれば良いんじゃないかと思うわけよね。

 

別に家や家系特別だったりとか、親がすごくなくても、才能がなくても、なんかこう、じゃあどうするかって哲学すればいいと思うというか、

 

多分今足りてないのは哲学だと思うんですよね

新しいものを取り入れるのではなく、今持っているものをどう扱うかみたいな。そういう思考が重要。

 

「自分はいらないのではないか?」とか

 

そしてその哲学で、俺はこう思った。

 

自分がやるのと、他人がやるのとは全く違うことだ。

自分がなんかのスキルを会得するのと、他人が同じことをするのとでは全然違う。

 

つまり自分がやるっていうことが重要。

 

自分がやることで、自分の見てる世界が全部変わるわけじゃん。

他人がやってくれるのは確かに楽でいいけども。

でも他人主導権を取られるってのは気に食わないし、自分のそのスキルが別のスキルと結びついて大きなアドを取ったり、またあるいは思考にも影響があるわけじゃん?

 

だから、「偉人が自分の親よりもうまい絵をかいたら、父親は筆を折った」みたいなそういう話を聞いた時、「ええ~?なんで子供ができれば自分はいいやって思考回路になるのん?」って思うわけですよ。

 

息子の能力が一億だとして、自分がせいぜい1000とかだったとしても、その一億と1000は比較できないものじゃん。その1000はそいつだけのものじゃん。

 

なんというか、本物の天才が100の量のレベルを持っていて、俺はその足元に及ばない、1~2くらいのレベルでも、そんな絶望する必要なくないか?と思った。だって1もってるだけで楽しいじゃんというか。0と1って全然違うわけだし。

 

 

 

そういうね、やはり「俺こそが特別」っていう感覚を持っていたわけですよね。

そういう感覚というか思考をくれたのは、哲学なわけじゃないですか。

 

あとはまあ、別に、今俺が主人公じゃなくても、俺は長生きして、主人公が引退した時に勝てればいいやって感じですよね。

主人公は自分が強いからこそ慢心するわけじゃん。絶対どっかで努力しなくなると思うんですよね。でも俺は違う。努力し続けるからなと。

 

それとまあ、別に勝たなくても良くない?って思うわけですよ。彼らが培ったものは、俺にとっても利益があるものなわけじゃん。文化構築なり、科学の発展なり、そういうのって俺にとっても利益があるわけで、だからこそ別に、勝たなくてもいいかなと。

 

まあ、そういう哲学をしてきたから、俺はカオナシの中でもまだマシなのかなと。

というか厳密には俺はカオナシじゃないような気がしてきたわ。

 

今でも普通に魔法とか超能力とか使いたいし。使って無双したいし。

こういうやついる? いねーか、はは。

 

まあね、多分自分の人生がこれでいいのかって思ってるやつは、本来カオナシじゃないと思うんだよな。

 

だからね見つけるべきだよな。オリジナルを