オモコロとはゾミアなのではないか。

 

最近オモコロに再度ハマってるわけなんですがね。

 

昔見た記事でこういうのがあった。

 

読まずに愛でろ!第二回積ん読王決定戦 | オモコロ (omocoro.jp)

 

この記事で紹介されている本の中に、ゾミアに関する本があったわけですよ。

 

ゾミアといえば先日の記事でこういう動画を見て感銘を受けた。みたいな

日常の全てがゾミアに見える。派閥に属さない会社員も、あのSFも。【ゾミア3】#231 - YouTube

 

そういうことで知ったわけですがね、これがファーストコンタクトかと思ったら。

 

それがかつて自分の人生の中で一度あってたんだみたいな、そういう伏線回収。

 

それがね、なんか良かったね。ここにいたのか!みたいな。

 

まあ正直それだけなんスけども、実際オモコロってゾミア的なところがあるよなと。

 

いやいうてね。めっちゃ働いてるというか、忙しいとは思うんだけどね。なんか動画投稿も週3日やってるらしいし。他にも色々と仕事があるんだろうけども。

 

完全なゾミアというわけではなく、ぞミア的精神というか、それが見受けられるなと。

 

そもそもゾミアとは何かというと、簡単に説明するが、

 

例えば人は稲作をして文明は進化したわけだけど、何故農業ならば他の食物もあるのに、なぜ稲作なのか。なぜ麦なのか。

 

それは税金を取り立てるためにそれが必要なわけですよね。じゃがいもとかだったら管理がうまくイカないっていう。

 

つまり管理社会によって文明は進化したわけだが、その大小として人々は自由を失ったわけですよ。

 

ですが、それに真っ向から立ち向かい、稲作とか仕事とかそういうのを捨てて自由を得た人たちのことをゾミアというらしい。

 

そういう、国に属さない人たちは記録に残ってないだけで世界中にいるわけですよ。

 

そういうね、管理されることに洗って自由を手に入れる、こういう思想って現代においてかなり重要になってきたなって。そういうところに感銘を受けたわけですよね。

 

つまり、不真面目になろう、と。怠けろ、と。

誰か自分以外の意思に動かされるなと。

 

でも怠けすぎると死ぬので、死なない程度に怠けろと。

 

もしくはなにか達成したい目標があるなら、それ以外のどうでもいいものは捨てろと。

自分の目的達成の行動以外なら、何をやっても自由だと。

管理されるなと。そういう主義なわけです。

 

そういうライフスタイルというか、精神性というか主義。

 

断捨離と似ているのかもしれない。精神的断捨離。

 

断捨離は実際に物質を捨てるが、ぞみあは精神を捨てろと。精神と言うか、仕事とか責務を捨てろと。そしたら自分が好きなことに集中できるじゃん。

 

自分以外のものに手綱を渡すなと。囚われるなと。好きなことだけを見ろと。

 

そういう観点からしてみれば、オモコロとはゾミアなのではないかと思ったわけですよね。

なんかYouTubeで富野監督が「ゼレンスキーはニュータイプなのではないか」みたいなよくわからんことを言ってたわけなんですがね。

 

そういうノリで「オモコロはゾミアなのではないか」と、言うわけですがね。

 

まあゾミアってなんか高尚なものみたいに話してますが、実際のところはただただ「怠けている人」みたいなニュアンスだからな。

 

でも正直、このクソみたいな増税増税労働動労死刑死刑教育教育の、この現代社会で「怠ける」ということがすごい必要なスキルであると、そう言いたいわけですわ。

 

 

 

そう思ったのは、直近で投稿されたオモコロウォッチのこの回ですよね。

 

【031】罪人は首を切るきん ―ニュース!オモコロウォッチ! - YouTube

 

この回で会社内でなんかラジオを邪魔してくるやつがいるわけですが、それがすごいライブ感が合って面白かった。

 

こういうね、面白さというか、ライブ感というか、枠の囚われなさっていうのは、なにかこう、努力してやるようなもんじゃなくて、逆に「怠けて」なされるものだと思うというかね。

 

いや別の言い方をすれば、もし会社が普通のなにか仕事をノルマを達成してお金をエルみたいな仕事だったとしたら、怠けるという特性がデメリット効果もあるわけだけども。

 

でも面白さというものを追求するならば、怠けるというデメリット効果がこういうふうにプラスに働くみたいな

 

なんかルール無用感というか、面倒くさいからいいやみたいな、そういうノリがね。面白いわけじゃん。

 

原宿さんもそういうキャラで売ってるわけじゃん。

 

人生相談回とかでも「名作を見ないといけないという強迫観念がある」みたいな質問に対して「いや知らないって今熱いよ。名作を知らないほうが面白い」みたいなことを言ってたし。

 

(まあでも、すごいオモコロって見ててすごい頑張ってるけどな。そのうえで怠けてるというかやりたくないことはやらないってスタイルに見える。)

 

 

なんかさあ、YouTuberとかでなんか特にVtuberとかにいがちなんだけど、頑張りすぎて逆に成果が達成できてないと言うか、雰囲気的なものがだめになってるやつっているじゃん。

 

なんか頑張りすぎて引くみたいなさあ。

 

なんかこの前、Vtuberのイベントみたいな配信というかね、ピーナッツくんが主催するイベントで、新人Vを紹介しようみたいなコーナーで、なんかすごい熱心に何かを連呼するような人が出てきたわけっすよん。なんか熱血キャラ的な設定七日知らないけど。

 

それを見た時にさ、「ああ頑張ってるなぁ」みたいなね。共感性羞恥的安ものを感じたわけですよね。

 

なんかそういうのをダメだと思える感覚って大事だと思うんですよ。

 

卯月コウとかも言ってましたけど「なんか頑張って言葉と言葉の間を産めることってしなくていいんじゃね?」みたいな。

「多少何も言わない時間があってもいいんじゃね?」みたいなことを昔言ってたわけですよね。

 

なんというか、友達ってそういうもんじゃん。友達って常に何か連続でトークしないとダメっていう枠じゃないじゃん。コントやお笑いとかじゃないんだから。

 

でもなんというか頑張る系のそのゾミアでない精神を持った人は、一瞬でも無言の時間を作ったらダメみたいな観念も持ってて、それで失敗しそうだよなみたいな。

 

なんというか卯月コウもその意味でゾミア的な精神というかね、いやぞみあと言うか、「頑張りすぎたところでそれがなされるとは限らない」みたいな。

 

普通の人は「頑張り=成果」、だと思うし、実際そう思うのは分かると思うわけだがね。「いや違くない?」って思えるのはセンスがあるというかね。

 

あと月ノ美兎とかも「自分がVtuberをやるときに無理やりテンションを上げる系のキャラは嫌だなと思った」みたいなことを言ってたわけですよね。

 

結局自然体が大事というか、つまり怠けなんだよね。怠けが大事になってきているわけですわ。

 

なんか昔「楽と楽しいは違う!!」みたいなことをいってた人がいたわけだけども、それに対してなんか反感みたいなのを感じていたわけですよ

 

つまり「楽しくなりたいなら楽にやろうとするな!!もっと努力しろ!!」みたいなそういうね。熱血的というか、「明日野郎はばかやろう」みたいな。

 

でも俺はそれに対して「いや楽でないと楽しくないだろ」って思ってたわけだよね。

 

俺はなんか昔怪我して、その古傷のせいで固まってるというかひきつりがあるというか、体の一部が疲れやすくなってるから、それでなんかもう、省エネモードなわけで、なんか何でもかんでも楽なことしか出来なかったことも関係していたのかもしれないな。

 

そもそも生きてるだけで偉いんだから、もうなんかこう楽にやりたいっていうことを「頑張ってない!」とかいって否定するのはダメだろ。

 

そういうやつはだいたい自分があまり頑張ってないからな。

 

そういう偉そうな上司、権力、社会に対するロック、反骨を、オモコロだったり、色々なものから感じているわけですよ。

 

 

 

追記:

最近みた無料公開のアニメでぞミアを感じた。

【公式】Sonny Boy 第1話~第12話 【アニメタイムズ開局2周年記念!】 - YouTube

このサニーボーイというアニメ、個人的神アニメだと思ってるのですが、序盤で能力者を管理したい生徒会の連中がスマホを能力者に渡すシーンがあるわけですけど、それに対して「いやいらない」っていうわけですよね。

 

そう!これがゾミアなんですよね。ゾミアってこういうところがあるから。

 

俺なら「まあ受け取るだけなら…」で受け取るだけ受け取るけども、なんか色々と面倒事が来て「えぇ~」って思うだろうが、

 

ゾミアって最初からこういうの受け取らないから。

 

まあでも、逆に賄賂を受け取るだけ受け取って、自分の不利な条件は全部無視するっていうのも、それもまたぞみあだね!

 

山本太郎の昔のエピソードで、なんか番組で未開の部族的な人たちと合う機会があったが、なんか賄賂的なものを受け取るだけ受け取るけど、絶対に相手の交渉には乗らない。だから土地は渡さないっていうエピソードがあった。

 

アレ好きだわ。人生の参考にしたい。