成人式って浴衣キますよね。
浴衣っていうか、和服。
特に女子。
あとは七五三とか。お祭りとか。
そんな年に数回程度のイベントにきる晴れ姿なわけだけど、前々から思ってたことなんですけど、和服って全然萌えないなって。
和服よりも、ベトナムの民族衣装、アオザイのほうがエロいなって。
そう思うんですよね
まあ、アオザイと比較すると分かるんですけど、和服って体の線がでないし、布が厚めだし、肌をほぼ隠すし、全然エロくないわけじゃないですか。
それで思ったんですけど、女子の和服よりも男子の和服のほうが、なんか良いな…って思ったんですよね。
なぜかというと、男子の和服って、地味な色じゃないですか
女子は柄があってピンクで赤で~って派手派手な感じだけど。
このハデハデさが、なんか邪魔だな…って思ってしまうんですよね。
なんというかさ…和風のものに対する自分の期待って、そういうところなんじゃないかって。
和風って、そういう派手なイメージじゃないから魅力を感じないのではないか。
和風とは、地味なイメージがあるわ。
地味な和服に魅力を感じる
そう思って、「和服、地味、女」とかで検索したら、まあまあ魅力を感じる着物が出てきたんですよね。
まあ強そうなババ…大人の女性が来ているから、可愛いより強そうが先に来てしまうわけなんだけども。
若い子が着る地味な浴衣こそ至高というか、落ち着きを感じるよね。
そうそうこういうのでいいんだよこういうので。
派手派手な浴衣じゃなくて、もっとこういう落ち着くことこそが王道というか、
柄つきのピンク浴衣なんて邪道だなって。まあそれがほとんどなんですけどね。
他にも畳とかもそうじゃないですか
畳のほうが落ち着くってよく言うし
食べ物でも味噌汁を飲むと落ち着くとか。
なんというか、和風って、細く長くって感じがするわ。見た目より実益的な。
機能美というかなんというか。
服以外にも食い物とかもそういう健康重視的なやつじゃん?和風って。
なんかそういう、地味で実益的なものが下地になっているからこそ、歌舞伎だとか能みたいな派手目の文化が注目されたんじゃないかというか、
あと落語とかも地味目の文化だけど、あの落語の人のあのニュアンスがどうとかとか、そういう細かいのも、地味で毎日同じものをやっているからこそ、細かいところが分かるみたいな。
なんかまとめると地味なんだよね。なんでそんな地味なことを気にするんだ?全然同じじゃん。いや違うんだよみたいな。
そういう門外漢には違いが全くわからないところを話しているところがあるよな
そんなあまり派手さとかそういうのを求めない精神性があるよな。
言い換えるなら、外交よりも内向というか
海外はすごい、抱き合ったりキスしたり、派手に笑ったり泣いたり怒ったりする感じで、言わないとわからないから主張しないといけない嫌なことは嫌と言えみたいな文化だけど、つまり陽キャ的だけど、
日本はなんか、それとは真逆のイメージがあるわ。言わなくても、分かるよね? 空気を読んで下さい、この違いもわからないのか? 郷に入っては郷に従えみたいな。
繊細というか、他人が好きな反面、怖いというか、すごい小動物的な警戒心あんだよな
日本人は恐怖を感じるホルモンが海外に比べて多いとか前の記事でも言ったけど。
でもなんというか、だからこそ日本って海外にあこがれているところあるよな。
同時に海外も日本に憧れているところがあるようにみえるけど
なんというかすごい対極的というか、ここまで真逆にプラスとマイナスみたいにきれいになるかねっていう。
だからこそ惹かれ合ったり、嫌悪し合ったりしているところある。
特に俺が思ったのが、アメリカの男と日本の女の相性って良いさそうだよなっていう。
海外の男は日本の女が人気らしいし、逆に日本の女も海外の男が人気なところがあるらしいし。
日本の女はすごい頼れる男を求めているけど、昨今そんな日本男は希少というか争奪戦じゃん?
逆にアメリカ男は弱い守りたい女を求めているけどアメリカ女って権利を主張したりフィジカル的にも強気なやつが多いわけじゃん?
まあ男女の関係以外にも割りとそういうところあるよな。良くも悪くも。
特に海外の文化が日本に入ってきて、すごい染まっていったらしいし
明らかに責めと受けが、文化や性格から確定しているんだろうな。
でもまあ、それってもしかして元々そういうのを求めていたんじゃないかと。いい意味でも悪い意味でも。
なんというか、地味とか散々行ったけど、同じ人間だからな日本も海外も。
外交的になりたい!キスしたい抱き合いたい!!豪遊したい!!っていうのを抑えてきた部分はあるんじゃないのではないか。
そういう傲慢さだったり我儘になりたいという欲求はやっぱりあるわな。
だからこそ、なんかこう、「日本人最高!」みたいなコンテンツあって、それが一大ジャンルになっているところがあるよな。
そしてそれは俺としても「え?そうすっか?そんなことないっすけどね~(デヘヘ)」みたいな感情になってしまうのだけど
でもこれ行き過ぎるとヤバいな…っていう予感はしているんですよね。
俺がすごいわけじゃないじゃん。
それなのにそんな肯定感を受けるって、これエナドリみたいなもんだろ。
もう行き着くところまで行くと、コンビニとかで「外国人は悪人!」って決めつけている、ろうが…人間になるじゃないですか。
だからすごいブレーキが働くんですよね。
「いやいや、そういえばこっちが喜ぶと思ってんだろ?騙されないぞ」ってな
だからこそ厚切りジェイソンという批判スタイルのやつが受けていたところもあるなじゃにか。