ゴールがない!!

(215) 034ありっちゃありスパーク梵「金沢の寿司、地区の運動会、おじさんのプライベート」(2023年10月30日) - YouTube

 

アリッチャ有りスパークっていう、オモコロの原宿とライターのおすしさんがやってるラジオがあるんですが。

 

その話で、「男の子がめんどくさい!!」っていう話があった。

 

なんかイベントで子供を集合させるときに呼ぶときに、女の子はすぐ来るのに男の子は「お前いけよ」「えーお前が行けよ」みたいな、そういうつるんでるみたいな。

 

 

わかる

 

こういうやついるよなぁ~。嫌いなタイプのガキ。ショタって幻獣なのかな?

 

まあ言うてね。そういうのわからんくもないというかね。

 

逆に女の子はホイホイ従う性質があるっていってるけど、いうてね。従順すぎてもそれはどうなの?って感じがするというか、

 

男の子も女の子も一長一短というかね。結局特性でしかないというか。それを良くなるも悪くなるも運とか本人次第というか、

 

男の子はめんどくさい、女の子が扱いやすいってのも大人の勝手な都合でしかないわけだし。

ラジオでは言ってなかったけどよく原宿さんが「頑固おやじが守ってるものもあるんじゃないか」的な。それと同じでああいうガキも必要なんじゃないか的なね。

 

まあ、ああいうクソガキは俺も嫌だけども!!(苦い思い出)

 

 

 

そして、俺がお得意のね、ルーツ的な考え方をしたいというかね。

 

こういう性格が明確に分かれてるっていうのは、過去人間がそれで生き残ってきたからそういう正室になったみたいな。性質になったみたいなね。

 

男のガキの、あのなんか、ムカつく感じというかね、あの感じ。

 

アレって多分、「戦士」だと思うんですよね。戦士。

 

「兵士」とか「狩人」とか

 

あの感じは明らかにそういう、戦うことでなんか生き残るための食べ物を手に入れる、みたいな、そういう天性の性質を持っているのではないかみたいなね。

 

そういう才能というか、集団的な才能、そういう空気を持っているように感じるのです。

 

例えばなんかこう、無人島とかで野生動物を狩らないといけないみたいな展開になったとき、女の子だけだったら多分無理だよね。

 

狩猟とか戦いとかっていうのは、あの生意気なクソガキたちが得意とする分野だと思うわけですよ。

 

 

でももう今後は、そういう戦い的なものはないわけじゃん。

 

まあなんか海外がウクライナロシアの戦争とか、日本政府がアホっみたいに武器作って日本を戦争に巻き込もうとしてるところはあるけど、今の時代そういうのは無しじゃん。

いくらクソアホ政府が、バカみたいな打算で戦争しようとしても、もう政府打倒への火花にしかならんと思う今の時代。

 

ただでさえ第一次、第二次世界大戦、広島長崎とかいう、人類のクソアホな前例があるから、今後そういう戦争が起きる可能性はないと思う。

 

……起こらないよな?普通に考えればみんな死にたくないし、起こらないよね。

 

起こるくらいならもうストレイキやデモしかないわな。総動員で。

クソバカ命令を伝達しないようにしよう。

 

福島の汚染放水とかも不可逆的なんだからそうしてほしかったけど、さすがに戦争はね。誰も従わないって感じで。そういうノリでしょ?分かってるよな?

 

 

 

まあつまり、こういう時代なんすよ。

物理的な戦いなんて、もうほぼ起きる確立はないわけですよね。(普通に考えるなら)

 

だからこそ、男の子のそういう、なんか嫌な部分が強く出るわけすよ。

 

旧時代のそういう、勇ましさみたいなのは度外視される時代なんすよね。

 

でも戦いっていうのは形を変えてあるわけで、

 

なんか常識とか決まってることに反対するとか、研究とか、何かを極めるとか、あるいはゲームで無双するとかそういう感じの行いができるには、「戦士」しか無いと思うんですよね。

 

戦うといっても、物理的なものだけじゃないから。

 

 

なんだろうね、この「戦士」という概念というかね。

 

俺は普通に言ってるけども、具体的に言うと、「ゴールまで到達する」みたいな。

 

よく言うじゃん。男は合理的で女は感傷的と。

 

男は目的地に突くことを考えて、なんかこう、唯物敵みたいな感じで、

 

逆に女はそいう空気感みたいなのを捉える力が強いみたいなね。

 

 

まあどっちもどっちであり、男とか女とか関わらず、両方男女どっちの力も必要だと思うけども、そういう傾向があるってだけで。

 

でも今の世界は女の感情的なベクトルのほうが強いと思うんですよね。

 

逆に男の「ゴールまで到達する」みたいな合理的なベクトルが弱くなってると思うんですよ。

 

なんかさあ、日本の、いや海外も含め、政治的な部分とかさ、政治とか裁判とかも感情とかが優先されたりしてそれが良くでる部分もあれば悪く出る部分もあるわけですよ。例えばインボイス増税とかな。

 

他にもポリコレとかLGBTとか、エロ規制とか、なんか感情でなんでもどうにでもなる!!みたいな。そういう力が強いと思うんですよね。

 

でも、改めて思うと、「じゃあお前らはやりたい放題して何がしたいんだ?」みたいな。合理的な側面が度外視されてるよなと。

 

増税して政府収入増大させて、何がしたいの?って。政府の利益が高まったところで、それは国民から搾り取ってるんだからそりゃ日本衰退するでしょ?そしたら政府も衰退するでしょ?自分たちの首絞めて何がしたいの?

 

他にも例えばポリコレ関連とかも、本来はホモれずの権利向上のために活動するはずが、その活動で逆に嫌われてるわけで、肩身狭くしてるわけじゃん。

 

合理的じゃない。逆のことをしているわけでしょ。

 

そういう合理的な側面が薄くなってるというかね。

 

つまり言い換えるなら「ゴールがない」ってことなんですよねぇ。

 

昔から思ってたことなんだが学校や家族ってその最たるものじゃん。

 

俺の親というか、一般的な家庭というかね。

 

学校や家族って、結局のところゴールみたいな目的がふわふわしてる共同体というか。

 

それが嫌だった。

 

まあいうてね。家族がゴールとかそんな事いちいち考えないでしょっていうところもあるだろうけど。俺が異端スカ?みたいなところもあるけども。

 

でもまあ、無理やりゴールを設定するなら「幸せならそれでOKです」とか「将来安泰で健康で」とかさあ。それならそれなりに行動する基準みたいなのがあるよな。

 

適当に遊びに行ったりっていうのもまあ別にいいんだが、なんかこう、「だから何?」っていうかね。子供の時なんかそういうのを無意識的に思ってたというかね。

 

「家族と一緒にいて楽しい~」「遊びに行って楽しいぃ~」とか、それなら別にいいんだけどさあ。

 

そういうのを感じられなくなっていたわけっすよ。なんかもう、将来が不安すぎて。

 

なんだろうね。俺はなんかこう、早熟というか、物心ついてしばらくしてから、遊びというか、娯楽に飽きてきたところがあるからなー。

 

なんかアンパンマンとかサザエさんとかどえらもんとか、なんで毎日見てるのに飽きないんだろうって思ってたわ。

 

だったら、将来が安泰になるように行動する方がいい。ただでさえ色々と「社会に出たらすべての希望を捨てよ」的な圧があったわけですよね。

 

例えば普通にサラリーになるには将来不安なわけじゃん。不労所得が必要なわけですよ。コンテンツの時代なわけですよ。

 

ってのに、先行き不安な「学校」とか「就職」に全ベットする家族やクラスメイトに対して、不信感というか、なんかこう、見下していたわけですよね。

 

まともなのは俺だけか!?みたいな。

 

まあみんな少なからず不安でしょうけどね。子供の自殺率上がってるわけじゃん。バカな売国奴共のおかげで。

 

反抗期とか、中二病とか、いじめとか、そういう問題はこういうことが原因の根幹だと思うんですよね。

 

みんな本当は気がついている。そのストレスの原因は、「ゴールがない」「目指すべき場所がない」「希望がない」ってことだと思うんですよ。売国奴が30年コツコツ増税してくれておかげでね。

 

だからゲームが楽しいんじゃないか。

 

ゲームっていうのは「ゴールがある」し、ゴールに到達するために「レベルアップできる」からな。

 

現実でも、たしかに勉強をしてレベルアップはできる。

でもゴールが不安なんだよね。

ゴールに到達してもつまらなそ~ってみんな思ってるんだろう。

もし勉強して超能力が使えるならいくらでもするわ。

でも、いい会社に就職できます!がゴールって…つまんな~。

 

だからこそ、西友とかプロゲーマーとか、そういうのにみんな目指すんだろうね。楽しそうだから。

 

楽に稼げるならまあつまらない仕事も良いって選択をするやつもいるだろうけど、増税でどうせ何処も苦しいなら、自分が楽しいことをしよう!

せや声優だ!!プロゲーマーだ!!っていうね。

 

まあ、実際、それを目指すことが楽しいなら別に良いと思う。

実際は声優は茨の道で、有名声優が「声優にだけはナルな!!」とか言ってるけど、それを目指すのが楽しいなら別にいいじゃん。

 

でもさあ、一番悲惨なのは、「楽しそう」で目指して、自分には合ってないと後悔するパターンだよな。

 

そりゃさあ、実際に体験してないことを、実際に試してないことを、一発で挑戦していっぱつでビッタリ自分にあってるってなるやつは稀だと思うんだよな。後悔するのが普通なんだよ。

 

だからこそ、制度として体験学習を強化するべきだと思うんだよ。学生のうちに、各種職業がどういうことを擦るのかだったり、自分が他と比較してどのくらいの実力なのかとか知るべきだよ。

その職業が自分にあってるのかを確かめる期間を、数年じっくりヤり続ける必要があると思う。必要なら数十年とかでも良い。そのぐらい重要。

 

つまり、「ゴールを見つける」っていうことをね、やるべきだと思うんだよまずは。

努力するのはそこからでしょ。努力の方向がわからないんだから。

 

 

なんかよく、勉強を子供にさせる理由として大人が言うのは、「勉強しないと将来できる職業の幅が狭まるでしょ~だから勉強しなさい」っていうのがあるけどさあ、

 

なんかそれちゃうと思うわ。逆だと思うんだよ。最初に職業を決めて、そこから勉強擦るべきだと思う。

 

だってそれしないと、なんのゴールもなしに、フラフラと努力することになるじゃん。そんなのやる気でますか? あなたしたいですか?なんの意味のない努力を。

 

賽の河原なんだよ。それは。

 

結局、子供が「何で勉強する必要が?」って大人に問いただして、大人が適当なことを答えるのは、バブル崩壊のトラウマをこの年代の大人が持ってるからに過ぎないんじゃないか?

 

だから「勉強するのは将来のためよ~」って適当な説明を擦るんだよ。

 

それは感情論からくる理論であって、合理的でないんだよね。

 

合理的に考えるならば、子供にそう言い聞かせるよりも、政府に「増税やめてください」って言い聞かせるほうが、現状を打開できたはずだ。

 

でもしない。なんかバブルの頃って、大人たちはあまり触れられたくないみたいな空気があるよな。嫌なものからは感情的に遠ざけるべきだと。

 

なんか前、タクシーの運転手に、「バブルの頃とかどうでした?」って聞いたら「ハハハ」ってはぐらかされたからな。誰もあまり話そうとしない。

 

だから、「バブルに戻るにはどうすればいいか?」「そうか、インフレ対策をしなかったからハジケたんだ」「バブルを維持するためには、適切な経済政策が必要なんだ」っていう、そういう合理的な動きムーブが生まれなかったんだろう。合理よりも感情を優先したわけだな。

 

そういう感情論が、今の社会、色々なところでまん延してると感じる。

 

もちろん感情論も必要不可欠だけども。