リアルな死を俺らはまだ知らない

長崎広島の原爆投下

 

〇〇大地震、〇〇津波、〇〇戦争

 

 

そういった大量に犠牲が出る事件、あるよね。ニュースで聞くよね。

 

そこで、文字にして、何万人が死んだ。何人が重軽傷、という文字はかなり軽い印象を受ける

 

どれだけ後世に残そうとしても、死ぬというものは結局創作や妄想の中でしか表現することができず受け取ることしかできない。

 

それに、辛いからそのことを人は普段考えないようにしている。

 

一方、ゲームやアニメ漫画の世界の死は、そこまで重いものじゃない。

 

結局のところ、メインキャラが死んだところで「ここで殺すのか!作者すげえ!」「推しが死んだ…!」とか、そういう受け取り方しかできない

 

でも実際の死は違う。

 

例えば原爆一つとっても、

 

当時その場所に住んでいた人全員、

 

そうきくと悲しい気持ちに成る。

 

だがそれは果たして正しい認識なのか?

 

俺が思う原爆投下の正しい認識とはこうである。

 

 

赤ちゃん、妊婦、温かい家族、思い出、将来有望な若者、優しいおじいちゃん

 

そういったものが原爆によって消滅、

 

いや消滅するだけならまだしも、後遺症を話ズレって死ぬまで苦しんだり

 

そういった人が確実に、そして大量にいるという事実。

 

教科書やニュースには、「何万人が死に~」とか簡単な言葉で片付けている。

 

いやそれを聞いて、例えば原爆ドームとかで、泣いているやつ、内心悲しんでいるやつ、もいるだろうね

 

でも知らないんだよ。実際の死を。

 

俺はそれが恐ろしい。

 

過去にそういうことがあったということもそうだが、

 

油断しているということも十分驚異に値する

 

例えば、

 

クマを射殺して可哀想といってくるやつとか、

安易にウクライナ侵攻で降伏しようだとか

 

その人にとっての死とは、イメージとして、

単にゲームの敵キャラみたいにそのまま消滅するみたいな。

 

またあるいは、もっと残酷にイメージできる人でも、なんかゴツい迷彩服の兵士の腹や頭に弾丸が当たるとか、あるいはそういった人たちの欠損だとか

 

 

でもさあ、本当はそうじゃない。

 

何も知らない無垢な幼女。

お母さんとお父さんが大好きで、

毎日お母さんに寝る前に本を読んでもらっていたり、

 

生まれてから何日も立ってない赤子、父と母はそれを見て笑顔になり、おじいちゃんおばあちゃんもそれを祝福している

 

そういった人間が、欠損したり、家族を失う。

 

あるいはレイプされる。若い女だけじゃなく、赤子の穴を使い、内臓にチンコが達して苦しみながら絶命する。

 

あるいは放射能によって全身を苦痛とともに生き続けなければならない。生き延びても自由に歩くことはできない。

 

それが本当の戦争、死、原爆、なんだよな。

 

死ぬのは兵隊だけじゃないだよ。

 

筋肉ムキムキの死んだ目をしたいつでも死を覚悟しているような男たちだけじゃなくて、

 

そういった、若い女の子、将来有望な少年、温かい家族、幸せだけしか知らない人もそうなるんだよ。

 

 

 

なんというか、自分も含め、世間にとっての犠牲のイメージとは、結局のところ軽いものでしかないんだなって。

 

チェンソーマンとか進撃の巨人で大量虐殺が起きたシーンとかも、正直まあ、面白いなとか思っちゃうわけで。

 

別にそれが悪いとは全く思わないが。

まあ、娯楽は娯楽だし。

 

だがリアルと創作を区別できてないところって、多少あるよな。一部の人にとっては。

 

あるいは正常な人でも、とっさにそう思っちゃうかもしれない。

 

だがそうでもしないと、やっぱり、心が持たないのかもしれないな

 

実際その現場を見てしまって、心が壊れてしまう人なんて、いくらでもいたらしいし。