よくこういう話をツイッターとかで見る。
「〇〇国が〇〇国に対して侵攻!」「〇〇国が〇〇国に支援!」
「〇〇国の税金が〇〇国に流れた!」「〇〇国が〇〇に経済制裁とか」
「〇〇は良い国だよ」「〇〇国の民度は酷い、高い」
とか、○○国はこうだ!とか、〇〇国はこうだからいいわるい!だとか、〇〇国は実質犯罪組織だとか。
国々って人は言うけどさあ。
よく考えてみると、国と一言で言っても、いろいろな側面があるよな。
ざっと考えてみると以下のように
政府
国民性
イメージ
経済
食文化
サブカル文化
地形
人口
戦争
歴史
とかさ。
まあよく言われるのが、政府と市民は違うってよく言われるよね。
まあ当たり前なんだが、同じ土地にすみ、同じ民族で、本来なら味方同士であり、仲良くしないといけないよね。政府と市民は。
それぞれお互いがお互いを思いやっていくほうが、国としてとても強いし、それが最善でありベスト。
だが、実際のところ、だいたい敵対しているというか、よく思ったないじゃん?お互い。
まあ、政府が100%悪いと言っていいと思うけどさ。原因は政府にあるよ。
まあ、仮に市民が悪いとしても、それをいい方向に変えていく役目を政府が担っているわけだよ。だからこそ強い権限を与えられている。それが役割なわけじゃん。
でもさあ、政府っていうのは、その国が作られた当時ならば、多分責任感とか、使命感とか、「俺たちが市民を引っ張っていこう!」「守っていこう!」みたいな思いがあったと思うんだよね。
だってその国を作ったのはその政府なんだから。
でも代を重ねていくにつれて、「いや市民が政府のために働くのは当然だよな」だとか「税金の金は俺たちの金w」「親がやれって言ったから政治家になったけど正直国のためとかどうでもいい」みたいに、堕落していくわけですよね。
まあそれは会社とかでも同じことだよな。創業者がすげーやつで、代を重ねるごとに劣化していく。
まあ全員が全員そうじゃないし、見た目上そう見えなくする努力はしているんだろうけど(まあ人からどう見られているか気にせずにドン引きな言動を取っている老人もいるわけですが)不正投票で自らの地位が盤石だと勘違いしているがゆえのことなのでしょうね
日本含め海外の動きを見ているとそう感じるわけですよね。
だいたい政府と市民の方向性というか性格というか、同じ国でもそれが全く異なっていて、だいたい政府は増長していて、市民は別にまあいっぱいいるし人それぞれだけど、大まかの国民性みたいなのがあるよなって。
よく言われるのが、T国は、政府はもう独裁国家そのもので危険だけど、市民はおもったよりまともな方じゃね?
K国は…政府も市民もよく知らんけどよく「民度の低さが異次元的」って言われていて恐ろしい。
アメリカは、政府は強い合理主義だが、市民は格差が酷い弱肉強食的で困ったとき誰も助けてくれないから個人が強くなるしか無いとか家族愛が強いとかパリピだとか同調圧力が日本とは別のベクトルだとか
日本は、政府は老害がはびこっていて、市民は良い人が多いイメージだし実際良いというか他人に対して同情的というかだから詐欺師が横行しているみたいな。
実際どうかはわからないけどそういうイメージがある。
まあ、それはおいといて、
今、「政府はこうで市民こうだよな」って言ってきたけど、
とは言っても、当然だけど政府にもいいヤツもいれば悪いやつもいて、市民にも悪いやつもいればいいやつもいますよね。
まあ当然だけど、全員が全員同じ思想を持ってたら、それはロボットだからな。
LGBTとかポリコレとかもロボットを作ろうとしている作業なわけで、現実的じゃないわけで、いろいろなやつがいるよねっていう当然の話しなわけで。
でもその中で共通するというか、傾向というのもあるのも事実なわけだよね。当然だよね
同じ環境にいたら、似通った特性をもつことは理にかなっているわけで。実際そう。
集団としての雰囲気というか特性があるわけですよね。まあ国に限らず会社とか学校とかチームであれば何でもそうだよね。
人それぞれって言ったり、一纏めにしたりどっちだよって思うかもしれないけど、両方じゃね?
よく「〇〇ってこうだよな」「〇〇っていいやつが多いよな」「〇〇は民度が低い」とか、そうやって大別する話題よくあるけど、それは半分あたっていて半分間違っているわけですよ。
まあ、そんなわけで、同じ国と言っても、いろいろな側面があるわけですよ。
今行ったのは人にフォーカスしただけだけど、他にも気候とか地形とか資源とか色々あるよね。
そう考えると、国って言う言葉は、すごい広い概念だよなって。主語がデカいじゃないけども。
でもさあ、正直言って、普通の人は、というか誰しも、そういう事を考えられないよな。
情報量が多すぎるわけですよね。膨大な側面があるから。
だから、普通は人は国のことを語るときに、イメージで語ることが多いよな。
よく「男は〇〇だよな」とか「女はそういうところあるよな」だとか、男女を画一的に語る風潮があるけどそれと同じですよね。
まあ実際そういう傾向があるかもしれないけど、人だからそんなわけないというのは、自明の理なわけじゃん。
まあだからイメージだけで語ってしまうよね。国のことを。
まあ知っての通り俺はT国が嫌いだし、K国も恐ろしいわけですよ。
それはおそらくイメージが先行している部分もあるわけですよね。
まあ実際やらかしているという実績がすごいあるからな。許されないことを多くしてきて、その多くが納得いく罰を受けていない。
なんかこう、動物的というか、会話ができないというか、猿ガキが国の運営をしているという感覚になるんですよね。
でも当然まあ全員が全員悪いやつじゃないってのは分かってるんですよね。
そりゃそうだ。一人一人違うわけだし。
善良な人間もいっぱいいるはずなんです。親切にしたりしている人もいるだろうよ。
でもイメージが悪すぎる。
どうしても嫌悪感があるわけですよね。
ワンピースでも、そういうこと言ってるやついたよな。
「理性では全員が全員悪くないって分かってるけど、どうしても嫌悪してしまう、差別してしまう」って
そういえば自分の親戚が、アメリカが嫌いと言っていて、自分はアメリカにそんな悪いイメージがなかったので「いやそんなことないでしょ」みたいなことを思っていたのですが、今確かに彼のことを共感できるなと思いました。
まあそんなわけで、「差別は良くないよ!」みたいな意見を聞くたびに「感情的に」という意味なら、無理じゃんって思うわけですよね。
歴史を見ると、差別が良くないのは、「黒人を差別する法律を作る」とか、制度によって合理的な理由なく差別するのがいけないとか、あるいは差別に伴って暴力を振るうだとか、
そういう非合理かつ物理的な側面から差別することがダメってことじゃないですか。
でも感情的に差別することによる弊害って無いじゃん。
あと別にそれは個人の自由だろっていう差別とか、例えば〇〇人は雇いませんとか、〇〇人はアパート貸しませんとか、そういうのはその人の勝手なわけじゃん。
それって個人個人の嗜好の問題なんだから。
それを差別だっていって避難するのは、無理があるでしょって思うわけですよね。
差別しないと今のアパートの例みたいに毎夜パーティーで騒音被害とか、実際に被害が出ることだってあるんだからな。
だからこそ、「差別は良くない」って言っている人は、その差別の定義とかしっかりしているんだろうかって思うんですよね。
「差別禁止」が、なんか個人の自由を奪う理由になってしまうんじゃないかというか、
差別はいけないことだとしても、限度があるというか、ラインがあるというか…
「差別は良くない」という主義に引っ張られて、合理的思考ができなくなるところもあるんじゃないかと思うわけですよね。
社会主義が、その主義に引っ張られて最後に国が崩壊したようにさあ…
〇〇だから良くないよ〇〇だから悪いよっていうのは、その理由まで考える必要があるなと思いましたわ。
最近のトレンドだと、AV新法とか、ポリコレとかLGBTとか、インボイスとかインボイスとか
思考停止で、「コレが正しい!」「これが悪い!」じゃねーんだよ。サイコロを振って政治をするんじゃねえ。それでどれだけの被害が出ると思ってんだ?
考えろよちゃんと。全員が幸せになれるルールをさあ…。そのための役割が政府なんじゃないのかよ。そのために巨大な権限があるんじゃないのかよ。
お前らは楽しいだろうな。自分勝手にルール作ってよ。
思い込みで何でもかんでも好き勝手キメられていいよな。
犯罪も死放題だし。
でもゲーム気分や正義気取りでもこっちは生活がかかってるんだよ。ほんま本気でまともにならないと痛い目見るのはお前らやお前らの子供や孫なんだからな。
そう思ってますよね全員。
ゆでガエル理論で少しずつやればバレないとか思ってるんだろうけど、その理論間違いだって有名だぞ。普通にカエルは茹でられる前に逃げるらしいね。
さて、どのタイミングでカエルは逃げることになるんだろう?