社会にはびこる自己責任論、
「「社会が悪い!俺が悪くない!」的なことを抜かす輩は、ゆるしまへんでー!」
みたいな。
「世界がつまらないのは、君がつまらないからだよ」的な
「お前が全部悪い」、論。
あるいは、「世界を変えるよりもお前が変わるほうが速い」論
そういうことをいって、人々は政治を見なくなり、
そして政治家はやりたい放題に税金を使ってウッはウハなわけですな。
そういうね、そういうのってどうなんだろうね。
そりゃね。確かになんでも社会の性にするのもどうかと思うよ?
でもね、それはバランスというか、線引の問題でしょ。
どこからどこまでが社会の責任で、どこまでが自分の責任なのか、っていうのは、慎重に考えるべきでしょう。
何でもかんでも自己責任っていうのは、ちょっと大丈夫なのかなって思うわけよね。
それでそう言ってる本人たちだけが損するならいいよ?そういうふうに生きたかったんだからそう生きられて満足じゃん?
でも後から生まれてくる子供達も、その自己責任論って適用されるんだよね。
なんつーか、今可愛い盛りの生まれたばかりの子供達が、将来彼らのように『何があっても自己責任!!』って、理不尽な目に合うと思うと、気が滅入るよね。
なんかさあ、もっと考えないと、そういう子供というか、他人にまで迷惑がかかるよねって。
思考停止でそうやって「自己責任!ふっ、俺かっけ^ー!」みたいに悦に入るのはいいけどさ。それ迷惑になるからね。
それで、何を考えるのかというと、「どこからが自己責任なのか」って話だよね。
さっきも言ったけど、例えば極端なことを言えば、ころんで怪我したのは社会の責任か?って話よ。
ギャンブルで大損したのは社会の責任か?って話。
そう考えると、それは確かに自己責任だよね。ってなる
でもじゃあ例えば、就職難なのは社会のせい?ってなると、そう、それは社会の責任だよねってなるよね。
デフレ増税で企業はあまり人を雇いたくないわけだし。
少子化だったり、ニート増加だったり、所得現象とかも、そういうのって社会の責任だよね。
なんかこう、デフレ増税で行われるあらゆる悪影響は、全部社会の責任だよな。
そして、社会の責任だからこそ、政治が責任を取って対処しなければいけないわけよ。
なんかさあ、「社会の責任して、何か解決すると思ってんの?」みたいな、そういうラノベのキャラがそういう感じの事言うけど、
俺はこう答える。「はい、解決します」
つまるところ選挙、政治への関心を高めることによって、あらゆる社会の問題が解決するのさ。
政治家が不正をしても、罰せられない
本来なら打首でもいいレベルのことをしても、のうのうと国会に居直り続けるのは、
そうやって恥をさらすことができるのは、それを見ている人があまりいないからなんよ。
見るべきだよね。あいつらのチンポを。マンポを。乳首を。ケツアナを。
まあこれは比喩なわけですけよ。隠喩なんですけど。
正直全裸のほうがよっぽどマシなレベルのことをしているわけよ
具体的には、国民の金を、国民のために使わず、自分たちの仲間に配ってるって状態なのさ。
いうなれば、給食費を盗んだゆうたくん、みたいな、めぐみちゃんのリコーダーを舐めただいきくん、みたいな。
それがバレて帰りの会で先生に怒られて泣きじゃくる、みたいな、
そういうレベルのことをしておいて、何も罰をウケず、むしろ「私は良いことをした!」みたいな顔を無様に晒しているのが、今の政治なわけよ。
ホントキモいよね。
全裸の方がマシでしょ?
私利私欲のために国民を殺したってことなんだから。
何十人モコロした殺人鬼とどっこいどっこいの恥というか、非人道的行為なんよ。
そういうのに注目が集まれば、あいつらもすごい恥ずかしがるだろうし、選挙の結果も変わってくるわけよ。
まあ、そういうわけでね。
解決するんよ。全部社会のせいにすれば社会にはびこる問題が解決するわけですね。
まあ、あと、どこから自己責任なのかについてだけど、
結論から言えば「大勢が同じ問題に直面していたら、自己責任ではない」と思うんだよね。
大勢というのは、まあ1万人以上とかそいうレベルかな。
1万人以上ニートがいるならば、それは政府が解決しなければいけない。
1万人以上貧困がいるならば、それは政府が解決しなければならない
1万人以上風邪がいるならば、それは政府が解決しなければならない。
そう思うわけよ。
「いやそれ多いやつが得するやつじゃん!」って思うかもシレンけど、まあね。別に少数派を救うなって言ってるわけじゃなくて、最低限ね。
国が解決する問題は、少なくとも優先するべきものは、人数が多い順から優先していくべきだと思うわけよ。
極端な例を出せば、例えば100万人とか1000万人に一人の奇病とかを、国が上げて研究するってのは、良いことではあると思う。研究費を出しても良いと思う。
でもそれは、例えば今10万人がかかっている流行病に対処しているという前提で行われるべきだよねっていう。
(けして少数派を蔑ろにするなという意味ではなく、多数を救うことが絶対条件だよという感じ)
なんというかさ、例えばある金持ちがそういう、レアな病気を研究するとか、あるいはクラファンとかで資金を集めるとかならわかるけど
国っていうね、ある意味皆の財産というか、皆の保護する役目を背負った存在は、もっとこう、多くの人を救わないといけないわけよ。
そして、ある特定の問題が1万人とかまとまった数いるなら、それは、何らかの社会としての、構造というか、何らかの原因、要因があってそんなに多いって予測できますよね。
例えばニートが多いのは、就職が難しいからハードだからだし、それはデフレが問題なわけっすわ。
会社経営が厳しいのは、デフレが問題だからなわけっすわ。
コロナで厳しいのは、政府が初期検査をきっちりやらなかったのが問題だからっすわ。
というふうにね、
俺は自己責任かそうでないかの線引を、「まとまった人数いるかどうか」で判断すべきだと思うというか、
いやね、別に少数派の問題も救って良いと思うけどね。それが可能なだけの体力があるなら、やるべきだと思うけどね。
とりあえず仮の定義というか、そういうとりあえずの指標を考えたわけだがね。
まあ別の指標があってもいいとも思うけど、とにかくね、何でもかんでも自己責任!だとか、何でもかんでも社会のせい!ってのは違うと思うんよ。
禄に何も考えずに思考停止で、「それが社会的に批判されてるかどうか」だけでそうやって善悪を判断する……のは仕方ないとしても、心まで〇〇○になるな!!というかね。
そういう「空気」に、飲まれるな!!
自我を保て!!
ワシはそう言いたい。