外界から隔絶された~い!!夢の世界にいきたーい!

普段自分は、dアニメストアで気になったアニメを見ている(ラジオ的に聞き流している)わけあんだけどもね。

 

最近はワンピースを追うために流しているわけなんだけども。(今はエース処刑編のところを見ている)

 

そのdアニメストアで、実写があるということをご存知ですか?

 

ミュージカル「少女革命ウテナ~深く綻ぶ黒薔薇の~」

アニメや映画版のウテナはないが、何故かこれはあった。

 

少女革命ウテナ、良いよね。

 

自分はリアタイで見ているわけじゃないんだけど、なんか意味不明な感じが良いよね。

 

意味不明というか、なんか、この世界観って、幻とか結界みたいな感じっぽいんだよな

作中で明言されているわけじゃないんだけど、明らかに物理法則がおかしかったり、「居心地の良い場所で王子様ごっこしていなさい」みたいなここが現実ではないかをほのめかすセリフがあったりするわけですよね。

 

ほぼ確定でこの世界は何らかの幻というか、王子様を中心に回る世界みたいな感じなんだよな。

 

それって結構、割りと好きというか、箱庭的なものって結構好きというか。

 

ビッグオーダーっていう、えすのサカエ原作(未来日記の作者)のアニメとかも、最終的にこの世界は幻ですみたいな終わり方なんだけどもね。

 

それも好きだな。

 

まあ、あんというか、いわゆる夢オチって結構忌避されるというか、禁じ手みたいに言われることがあるし、自分もときに寄っては「えぇ・・・夢オチかよ興ざめだな」って思う気持ちはわかる。

 

でも世の中には雰囲気アニメってあるじゃん?

 

やっぱりウテナとか幾原邦彦のアニメって、雰囲気アニメじゃん?っていうか雰囲気しかないわけですよね。むしろ雰囲気さえよければそれでいいわけですよ芸術というのは。

 

なんというか、その雰囲気アニメと幻の世界という設定って、相性が良いなって。

 

今思い出したがポポロクロイスというRPGで、天国みたいなエリアがあるんだけど、アレも好きだな。ゆめにっきみたいな感じの場所があるわけですよね。

 

あとゆめにっきも結構好きで、夜こっそり親にバレずにプレイしていた。

 

 

 

なんというか夢って、良いよね。

明晰夢、完全に夢を支配できるのなら、眠っていたいと思う。

でも恐ろしい夢を見てしまわないか心配で制御しきれないところもあるからな。

 

なんかさあ、引き込もれるなら夢の世界に引きこもりたいよね。

 

俺の中で夢の世界というのは、傷つかない世界というか、ふわふわしているおふとんの中の世界というか。

 

ウテナとかの世界観もなんか、全てが予定調和であり、そういうふわふわした感じがクセになるというかね。

 

閉じた世界というかなんというか。

 

自分が昔のアニメが好きなのは、そういうところもあるよね。

 

昔のアニメって結構、夢の世界みたいな、そういう外の世界(現実)とは隔絶された、内側の精神の世界みたいな雰囲気がしていて好きだな。

 

前記事にした桃華月潭とかも、そういう雰囲気があるよね。

 

 

なんか具体的に、その雰囲気がどういうところかっていうのは説明しづらいが。

 

だが、あえて無理やり説明するならば、

つまるところそういう閉じた世界、夢の世界っていうのは、「体内」なんだよね。

 

人間の体、生き物の体っていうのは、その中で一定に保つシステムがあるわけじゃん?

血中の酸素濃度を調整したり、外から病原菌が来たら退治したり、一つの生き物の中にに住んでる細胞とかあるいは微生物とかは、お互い協力関係にあるというか、和というか、

 

それが夢の世界、精神の世界、閉じた世界のように感じるわけですよね。

 

それに対して、外の世界、現実の世界はどうなんだ?

敵がいっぱいいて、お互いを殺し合う。

 

この関係性と似たものが、日本と海外だよ。

 

日本は海で外界と隔絶されている。だから海外と比べて優しい物が多い。(ゴミもいるけど)

でも海外は違う。多くの人種だったり国だったり利害や敵対関係があり、それによって多くの悲しみがあるわけですよね。

それによって、より強い個体が生き残る、という利点があるのかもしれないが、閉じた世界だって自主練習で強くなれるじゃないですか。

 

そういう意味でも俺は、閉じた世界のほうが好きだな。

 

なんというか、閉じた世界というのは、例えるなら外界と隔絶された世界、

村にたとえるならば、それぞれの村に風習なり雰囲気なりが違うわけですよ。

だってその村はあまり外界と関わりを持ってないわけですからね。

 

その現象が作品ごとにも顕著に起きていることがある。

 

作者があまり他作品と協調しないというわけで、その作品が独自の個性を持っている事が多いわけです。

 

まあ、キャラの書き方だったり、多少は他作品と協調している部分はあるわけですけどね。例えばウテナとかだったら、少女漫画みたいな絵であり、それは他作品とあまり違いはないわけですが、内容については独自のものがあるわけですよね。

 

 

でも、最近はそういった作品って少ないじゃないですか。

話の作り方とかにもテンプレとかがあったり、ジャンルとか、戦闘や銃撃戦、絵の書き方だったりもよくある展開みたいなのがあるわけですよね。

 

まあそれが悪いというわけではないですけども。

 

多少は同じでいいと思うし、仮に全部テンプレ使用不可だとしたら、もう独自の設定みたいなのを全部一から作らないといけないってことになるわけですからね。

 

なんというか、5割以上テンプレでいいと思うけど、多少のオリジナリティをモテ!みたいな話というかなんというか。

 

なんというか、例えば新アニメとか新連載とか、大体同じじゃん?皆。

 

ジャンプとか見ても、バトルモノスポーツものギャグモノだったり、大体決まってるじゃん。

 

なんかナルトの最初のほうも、なんかナルトが最初落ちこぼれだったけどあるきっかけで無双しますみたいな話で、凡庸だなというか。

大体の新連載ってそういう感じじゃん?

 

まあ漫画ソムリエ的には違う印象を持つでしょうけども。

でも連載が進むに連れて面白くなってくるなと。

 

なろうとかも最初はテンプレだけどだんだん面白くなってくるものとかもあるし。

 

 

 

なんというか、この、最初はつまらないけど面白くなっていく現象、みたいなやつ。

俺は今気がついたが、それって前述の例えを使うならば「自分の作品が自分固有の結界になっていく」みたいな感覚だと思うわけですよね。

 

言い方を変えるならば「自分の作品が自分の体内になっていく」みたいな。

 

面白い作品っていうのは、そういうところがあると思うんですよね。

面白いというか、興味をそそられる作品みたいな。

 

なんか、つまらない作品っていうのは、外界からパーツを寄せ集めて作ったみたいな感じじゃないですか。

これどこで見れるなみたいな、そういう作品ってあるよね。

 

なんか皆が絶賛するような作品にもそういう個人的に「つまらねーなぁ」というものがある。

 

そういうのは独自色が強いというよりも、共感力が強いからだと思うんですよね。

 

例えば鬼滅の刃とかは、多分親御さんに共感できる部分があるからこそヒットしたんだと思いますけども、

でも正直その他はテンプレだからなぁ。炭治郎なんて、なんかすごいテンプレ的な感じがするというか、読者に好かれようとして外界に合わせた感がするんだよな。

作中設定的には本人は善人だし、本気で相手を思いやっているという設定なんだろうけども、

作者がそれを信じていない感じがするというか、どうも嘘くさい感じがするんだよなぁ。というか絶対作者炭治郎好きじゃないだろ。

この人は多分、こういう完全無欠な善人は存在しないと本心では思っているはずだ。(断言するのは怖いが)。編集のアドバイスで作ったキャラだろうね。

もっとこう、リアリティのあるキャラならば、もっと闇と光のバランスがあるはずだみたいな感覚がアリそうな気がするんだよな。

炭治郎の闇の部分とか、鬼に適正があるみたいな設定も描かれていたし。

 

ハンターハンターのゴンに似ている部分があるよな炭治郎って。

作者が「こんなやついねーだろ」って思って書いているタイプの主人公。

 

 

まあでも鬼滅の刃は水柱の過去編の部分がなんか良かった感じがする。

前述の言い方をするならば「そこだけ作者の結界があった」みたいな。

それはおそらく作者が水柱というキャラに愛着があったからだと思うんですよね。

最初水柱を主人公にしたかったみたいな話を聞いたし。