ルフィの子供時代のエピソード挟むの、すごい天才だよな。
そこから覇気とか覚えたルフィーのその強くなった度合いがすごい。
あの、変態コックが鼻血出して「輸血ー!」ってなってるシーン。
(お前ギャグみたいなテンションでシリアスになるのどうなんだよ…)
あのシーンでルフィーがすごい無双していたわけだけども、アレもいいよな。
ギアセカンドもなんかノーリスクで発動している感じだし。
なんかそれ以前のギアセカンドって、毎回毎回使ったあと疲労していたわけで、なんか見ている身からすると「おい、お前そんなんで新世界大丈夫なのかよ」っていうもどかしさがあるけど、
ホントその弱点がなくなっている上に覇気を身に着けているというね。
でもちゃんと悪魔の実の能力者だから海が弱点っていう描写はちゃんとしているという。
かなり強いけど無敵ではないっていうところが渋いよな。
Steamのnoitaっていうゲームで、むっちゃ強い杖を作って自由に穴掘りながら突き進んでるけど、溶岩に当たると以前死ぬリスクありますよみたいな。強いけども無敵じゃないみたいなバランスというか、緊張感も持たせている感じ。
あと、変態コックと仲間を、自分の腕に巻き付けて船に乗り込むシーンも、すごい良いよな。
俺らはもう子供時代のへなちょこなルフィを見ているわけだし、子供時代はすごい後スキが大きかったし、命中力とかも無かった。
でも今はあんな、仲間を腕でグルグル巻きにして船に乗せるみたいな、器用なことができるみたいな。成長の楽しさみたいなのを感じたよな。
そういうところうまいよな。おだっち
なんか漫画の修行シーンがどうたらこうたらみたいな議論あるけども。修行シーンいらなくね?いやいる。みたいな論争あるけども。
割りとワンピではそういうところはスキップしている感じだな。
でもアレだな。修行シーンって、ちゃんと尺を取って読者にストレスを与えるべきなんだろうか否か。
俺は、なんかひねくれものだから、修行シーンもちゃんと尺を取るべきじゃないの?その方がカタルシスが~とかちょっと思ってしまうんだが。
でも実際のところ、修行って、なんか同じことの繰り返しみたいなところがあるじゃん?リアリティを上げると。
まあ、一応試行錯誤みたいな感じで長く尺を取る事もできると思うのよね。
例えば、「この位置からの攻撃はこうだからダメだ。次はこうやってみよう。ダメだ。今度は~おっ今度はうまくいった、なら次の段階は~」とか
そういう感じで描写することもできると思うし、実際なろうではそういう感じの描写があることもあるよね。
能力の使い方を探るために~みたいな。
どこかで聞いたけど、昔の修行は、熱血、精神論によるものが多いけど、今どきの修行は試行錯誤や工夫がメインになっている、みたいなことを聞いたことがある。
まあ現代っ子の価値観に寄っているというわけだな。実際その方が効率いいと思うし。
まあ、ワンピースの場合は、そういう修行シーンはカットで、
逆に「何故力がほしいのか」みたいな、howじゃなくてwhyみたいな、そういう部分にハイライトが当たっていると思うんだよな。
ストーリー的に、山あり谷ありでたとえるならば、
修行シーンが山であり、それで無双するのが谷なわけじゃん。
ワンピースでは、辛い記憶が山であり、そして無双するのが谷というかさ。
ルフィの過去編において、弱い自分とか、あるいは悪い大人とか、汚い社会とかを見せることによって、読者にストレスを与えているわけです。
その分だけ修行描写はカット。いきなり2年後にスキップして、ルフィたちを強くさせ無双させて、スカッとさせている、みたいな。
そういうやり方もあるんだなと、勉強になる。
あとさあ、話は変わるが、魚人島にいくために水中潜っていく最中に、あの海軍殺しのカリブーが船に乗り込んでくるみたいな感じになるじゃん?
(名前わからないので検索した)
あの海軍殺し、むっちゃすごいキャラデザしてるよな。
なんつーか、目がキモいというか、リアルというか。
なんか、今まで遭遇した他の海賊って、割りといいヤツじゃん?
いやいいヤツではないけども。普通に悪人ムーブめっちゃしてるけど。
でもギャグ的な補正がかかっているというか、この世界の海賊ってなんか陽気なやつが多いから、そういうピリピリした感じじゃなかったじゃん。バギーとかアルビダとかフォキシーとか。
でも航海が進むに連れて、ガチの犯罪者的なピリピリした感じの海賊が増えてくるわけですよね。
その代表格として、カリブーがいるわけですよね。
このキャラデザ、すごいよなと。
むっちゃ悪人悪人しているというか、実際無抵抗の海軍殺してるし。
それで、このキャラがすごい重要な役目をしているというか。
このマジモンの悪人に対して、麦わら海賊団は手玉に取っているわけですよね。
視聴者的には「うわ・・怖すぎるこいつ…やべぇよやべぇよ」ってなってるのに、メンバーたちは「弱いなこいつ」ってなっているわけですよね。
それもまた、なんか成長を感じるわけですよ。
なんかでみたけど面白い作品を作る上で必要な要素の中に、「強さ」を表現することだと言うことを言ってる人がいて、
例えばすごい強いエピソードをもりもりに持っている最強キャラがいるとして、そいつの強さを使うことで別のキャラに泊をつけることができるわけですよね。
その最強キャラを倒すことで、倒したキャラの強さを表現したり、認められたりとか。
そういう役目を持っているよなこのカリブー。
まずキャラデザも怖いし、実際キチガイムーブを噛まして、読者に「こいつやべぇ」って思わせておいて、それを麦わらたちが圧倒することで、ルフィたちの強さを表現しているわけです。
なんかなろう批判的な点として、敵が弱すぎるみたいなことをよく言われるけど、そういうのってもっとこう敵を憎たらしく描くことによって改善されたりするんだろうか?シランケドも。
あと、それとは別に、他にもリアル海賊シリーズとして黒ひげがいるよね。
黒ひげ、こいつすごいいいキャラだよな。
ガチで実質エース殺しという視聴者から恨まれるほどのことをした悪人でありながら憎めない部分もあるという。
そしてかつ、白ひげから能力奪ったし底知れない部分もあるという、なんか裏の主役みたいな感じだよな。
よく殴られるし、めだかボックスの球磨川禊と似ている部分がある。
なんかさ、黒ひげってなんかテーマとして「リアリティのある海賊」だと思うんだよな。
ワンピースはジャンプ作品だから、そういう、お子様でも楽しめるようにジャンプ補正がかかるわけじゃん。
序盤で斧手のモーガンがゾロに切られた時、コマ外で見えなかったけど「うわーこれグロいことになってる」みたいに想像できる感じになってたけど、実際斧手のモーガンは生きてるわけじゃん。
そういう、グロシーンみたいなのは極力作らないというのが、ジャンプの空気感なわけじゃん。海賊も陽気なやつが多いし、麦わらたちは海賊とか言いつつも略奪とかしないし、そういうギャグ補正というかトゥーン的な補正が入ってる世界じゃんワンピースって。
でも黒ひげはちゃんとしたリアリティのある海賊みたいな。
一応海賊っぽい陽気らしさはあるというか、ワンピースもそうさ存在するとか、そういうロマンを追い求める心はある一方で、普通に策略で他人を貶めたり、サッチを殺して悪魔の実を奪ってるわけじゃん。
悪いこともちゃんとするという。
麦わらたちは、なんか人を殺させることって無理じゃん。海賊と言っても。一応主人公なわけだし。
「海賊なのに略奪しないとかw」みたいなツッコミがあるわけじゃん。
そのバイアスを、黒ひげが受け入れている感があるよな。
「麦わらに略奪とかは無理なんで、黒ひげが変わりにやってくれるんで!」みたいな。
ある意味、理想の海賊だよな黒ひげって。
一応ルフィたちも理想の海賊像ではあるんだが、光と闇的な感じで真逆のベクトルみたいな。
そう思うのが、黒ひげ以上の悪い雑魚海賊というか、覚悟とかない海賊とかの存在ですよね。
なんか空島編の「空島は実在する!」って言っていた当たりの、無抵抗のルフィとゾロをボコってた海賊たちみたいな。
そういう、軽蔑すべき?海賊たちと比べて、黒ひげは明らかに別格なわけじゃん。
まあそれでいて、同じ醜悪度合いというか、空気読めない嫌いなキャラでもあるわけですけども。
なんか悪であることを受け入れているというか、球磨川禊とかは実はいいヤツだったみたいな感じで終わったわけですけども、こいつだけは最後まで悪役のままでいてくれるみたいな信頼があるよな。ムスカみたいな。
いやー良いよね。黒ひげ。魅力のある悪役。
Dの一族なだけはあるよね。Dってなんなのか知らんが。なんか特別なアレらしいじゃん。