ナニカから影響を受けるということ

0478 誰もが憑依される危険性を持っている 映画『JOKER』の影響を心理学的に考えるスタートライン - YouTube

 

この人 名越貴文というユーチューバーというか、精神科医みたいな人、面白いことを言ってるんですけども。

 

なんかこの動画では、「人はあらゆるものから影響を受けるが、ある特定の場所や状況に置かれると、その適正のある人が「開花」してしまって、良くも悪くも今までとは別人みたいになることがある」みたいなことを言ってるんですよね。

 

 

それ、わかるなぁと思う。

 

 

なんかさあ、その場にいなくてもわかった気に成ることってあるじゃん?それって全然分かってないよねって話

 

例えば、世界最高峰の美術館とかで、モナリザは超人気の絵らしいけども、モナリザを見たことない自分としては「いや直接見なくても別にいいじゃん。いつでもネットでモナリザって検索すれば見れるじゃん。なんでわざわざ直接見に行く人がいるんだろう?」って疑問に思うじゃん。

 

でも実際のところ、俺としても、「いや、でも、実際見に行くとやっぱり写真で見るのとでは違うのでは?」と思うところがあるのですよね。

 

まあ、別にそんなに感動しない可能性もあるけど、でも直接イクのと写真で見るのとでは、全く違うというか。

 

そういう経験を今までしたことがある。

 

例えば、劇団みたいなやつ。四季とかは行ったこと無いけど、何かのプロレベルの劇を見たことがあるけど、明らかになんというか場の雰囲気が違うよなってのがあった。

 

まあ会場の臭いとかもそうだし、空気的なのがね。そういうのがある。なんかすごいワクワクする感があるよな。

 

映画とかも何回も見に行く人がいるっていうのは、そういう場所の力が無意識的にわかるからだと思うんですよね。

 

つまりこの動画で名越さんが語っているところの「聖地」みたいなものなのかもしれんな。

 

例としてJOKERという映画を見た人が実際に事件を起こすみたいなことが起きているみたいな話の例があるけど、それも同じく、ジョーカーと同じ境遇の人が、ジョーカーを見て、「あっ、俺ってジョーカーなんだ」って思い込むみたいなね。

 

まあそれはダークサイドではあるけども、サニーサイド的なものも身近にあるわけですよ。

 

それがミームとかだったり、あるいは作法とか、常識とか、場の雰囲気とか、

 

前にもなんかで行ったけど、そういうのがあると。

 

 

それで、思ったのですけども、俺がいつも見ているニコニコの淫夢とかって、なんかそういう聖地的な部分があるなと。

 

なんか、アレなんですよね。聖地といっても、人を変化させて、別のものに変質させようとする聖地ではなく、なんというか、アンチ聖地的な部分があるのではないかと、淫夢に対して思うのですよね。

 

 

なんか淫夢っていうのは汚れじゃないですか。穢れ。

汚いものなんですよ。淫夢って。

 

なんか、その汚いものっていうのは、なんか世の中に無数にある聖地、ミームを、否定しているように感じるわけですよね。

 

あんというか、魔除けみたいな感じなんですよ。

 

魔除けのためにそういう汚れが必要なのではないかと。

 

いや否定というよりも、逃げ場所みたいな。そういう感じがしますよね。

 

まあ俺がそう思ってるだけかもしれないですけども、少なくとも俺にとってはそうだなと。

 

淫夢こそが、なんか真実を語れる唯一の場所みたいな。

 

まあ淫夢以外にもなんjとか、そういう場所は他にもあると思いますけども。

 

なんか、普通に生きていく中で、聖地というか、そういう「人間を変えようとする流れ」みたいなのは、頻繁に遭遇するわけですよね。

 

例えば就職勉強結婚子育てもそうだし、

会社とかの社風とかもそうじゃないですか。

 

自分で考える余裕を与えずに、そうやってみんなに合わせて生きろよ!みたいな空気があるじゃないですか。

 

それもまた、JOKERと同じく、人を変化させようとするもの、聖地だと思うんですよね。大枠で見れば

 

だからこそ、そこから逃げ場所が必要なのですよ。

 

淫夢動画だけ、正直に何でも言って良いんだ。

 

なんかさあ、そういう、作品にコメントつけるみたいなシステムっていうのは、割りと作者に何でも言って良いみたいな流れっていうのは、否定されるじゃないですか。

 

まあ、作者がやる気を無くすからそれでいいと思うけど。

 

例えばVtuberとかさあ。Vを否定するコメントは叩かれるわけじゃん。

Vtuber同士の会話にツイッターで絡むと、リンチじゃないですか。

 

なんかそういう、統制的な空気みたいなのを、淫夢は壊してくれる、みたいな俺の勝手な、期待があるのですよ。

 

 

まあ、仮にそういうのがなくても、少なくとも自分の中では正直でありたいよな。

 

なんか皆から好かれている人間だけど、こいつキモいな~とか、こいつ俺は好きじゃないなとか、なんか仮面被ってる感じがするよなっていうやつ、いるじゃん?

 

そういうのって、表面上はもちろんそんな事言わないけど、内心でも「こいつは良いやつなんだ」って信じ込んじゃってることあるわけじゃん。

 

そういうの別にいらなくね?

俺が嫌いなら自分の内面だけでも嫌いでいいだろ。

 

 

なんか、アニメとか、有名人とかユーチューバーVtuberとか、「こいつかったるいな~」って思うけど、なんかダラダラと見続けることあるじゃん。

 

 

そういうのやめたいよね。

 

そういうつまらないと感じるものをダラダラ見続けることって、結局のところ内面においても「これは面白いなんだ…!これから面白くなるかもしれないんだ…!」って自分をごまかしているんですよ。

 

まあそれを外側に出すというか、ファン相手に言うのはただの嫌なやつだけども、自分の中でなら「つまらねえな~」って思ってもいいじゃん。

 

俺もそういうことよくあったな昔。

なんか自分に引っかからないつまんねーアニメを見続けていたわけですよね。

 

なんかそういう我慢して生きてきた子って多いんだろうな。

現代社会とか、そういう同調圧力によって自分をなくしたやつが多いわけだし

 

前述の名越が提唱する「聖地」っていうのは、そういう意味でまったく珍しくない、そこらへんにありふれているものだと思うんですよね。

 

ただその聖地は、一気に変わってしまうわけじゃなくて、幼少期から徐々にその常識に染めていくという違いがあるわけだけど、

 

そういうのやめたいよね。

もっと時間を効率的に使いたい。もっと自分に正直に生きたいよね。

もっと器用に