理屈ではなく感情で判断したいよね何事も

なんかの自己啓発本に、「迷ったら理屈ではなく感情で判断せよ」的なそういう格言があったんですわ。

 

理屈で判断するよりも感情のほうがより高精度に良い選択を選びやすいのだと

 

俺は感情より理屈の邦画良くね?と思っていたわけだが、つまりは、「理屈は意識を利用して物事を判断するが、感情は無意識を使って判断するから、より高精度なのだ」と。

 

なんか、ちょっと分かるわ。

 

正直経験上、感情で選んで於けばよかったってこと割と多いかもしれん。自他問わずそういうことって多くない?

 

例えば俺の経験ならば、まあ学校とか嫌いだったわけよ。

そして今はその学歴とかに関係ない覇権にいっているわけよね。

 

いや学校いらなかったんかーい!みたいな。

 

その他にもなんか人の第一印象みたいなのって当たってること多いなって。

なんか怖いなって思うやつは、割りと怖い部分があるというかなんというか。

俺のおばあちゃんとかもなんか一見優しそうだけど、なんかどこかで怖いなって思うところというか冷たさみたいなのがあるというか、でもまあどっちも本当なんだろうなみたいな。

 

嫌なやつとかも大体第一印象で分かるよね。

 

そういうのって、理屈というよりも感情みたいなものだと思うわけよ。

 

あとさあ、なんかニュースとか、コラボ問題とかお尻彫りえもんとかもそうだけど、なんかアイツラって、理屈だけで行動してるよなって思うわけよ。

利益がどうだからこうするのが最適って、なんか意識だけで判断していて、なんか魂というか、感情みたいなのを一部売り飛ばしていると思うわけだおyね。

 

そして、一方で感情でそいつらを許さんだとか、感情的に人を助けたいって思ってるやつが結局最終的に得しているみたいな。

 

 

結局感情のほうが強いというか、まあ理屈が全部間違っているわけじゃないと思うけども。

 

 

それに、何かを選択するってことは、今後その選択が人生につきまとってくるわけじゃん。

 

例えば絵が好きな人が、絵以外の普通のサラリー万をしていたりしていたら、「あのときこうしていれば」的なデバフが今後の人生につきまとうわけじゃん。

絵師を選択していれば、好きなことを選んだわけだから、そういう人生のブレなさというか、そういうのがあるわけじゃん?

 

やっぱり好きなものこそ上手なれっていうやつじゃないですか

 

なんかスキを仕事にすると辛いみたいなことを言ってる人もいるけども、そういう時代じゃないからね今は。

 

そういう人は、普通の仕事をしながら片手間に絵を書き続けて、少しずつ有名になって、少しずつスキルを伸ばして行けばいい、そうすればいずれなんか本をだせるくらいまでになるみたいな、そういうSNS時代なわけじゃん。

 

まあやっぱり好きなものでもやりすぎると嫌いになるからな。好きなものをスキと言えるように常にそうして生き続けていけばいいじゃんね。

 

 

 

 

そして、俺はどうなのかというと、それができていないように感じるわけよ

 

俺は動画か絵かどちらも両方やっている状態なわけだけども、やっぱり絵のほうがいいんじゃね?絵に集中するべきなんじゃない?って思うわけよね

 

動画もさあ、たくさん投稿していって、多少なりとも再生数がつく、そしてニコニコのクリショウがもらえる、ということ自体には面白さを感じているわけですが、動画を作ること自体は面倒くさいなと思うわけですよん。

 

まあ動画もさあ、自分が考えたネタを発表するプラットフォーム的な感じに思ってるから、そういう舞台的なものだと思ってるから、

 

たとえるならば、演劇のネタを考えるのはスキだけど、自分が役者になるのは苦手だなっていう感じだな。理屈屋と現場ヤのちがいみたいな。

 

 

 

まあそれでも、動画を作るのがラクならば、別にそれでも良いかと思うわけですよね。別に醤油を取ることがスキではない人も、醤油を取ることができるわけじゃないですか。そのくらい簡単に作れるならば俺も文句はないけど、

 

でも動画作成は結構、ショートのやつでも2時間くらいかかるし、物によっては、なんかこの構成どうすっかなって迷ったりしてそれ以上かかることもあるわけですよね。

 

そう考えるなら最初から捨てて絵に全力投球するべきあんだろうか?