何週間前から俺はブログでも日常でもれいわ新選組を推しているわけなんだけどもね。
このれいわのリーダーである山本太郎。
この人さあ、同じ人間とは思えないくらい、思想が素晴らしいというか何と言うか
俺と全く違うんだよね。精神性が。
いやね?全部が違うってわけじゃないよ
なんか俺と同じ世界感の部分もあるわけよ。
例えば、人間は本来働かなくていい好きなことして生きていけるならそうするべきっていう、そういう部分も俺と同じ部分だなって思える部分もあるけどもさ。
でもなんというか、普通だからって、国会議員になりますか?って話ですよね。
すごくないですかこれ。
なんか俺と全く違うのはこういうところなんですよね。
まっすぐなんですよね。
なんというか、力強さがある。
いわば戦車とか、台風だとか、そういう、目の前に何があろうがドンドンと先に歩いて行くっていうね。
そういう感覚っつーか匂いっつーか。
この人の昔の芸能人の時代の映像を見たんですが、なんか凄かったな。
まあ全く合理的な説明はできないんだけども、なんかこう、才能がある人の顔つきをしていたわけですよね。
なんか、アレに似ていた。
昔、なんかこう、オタクみたいな、そういう集団がクラスにいるじゃないですか。そういう調子乗って、クラスを盛り上げてくれるスタイルの人、
なんかこう、クラスのリーダー的な人がいるじゃないですか。
そしてその気質はなんというか、それは全国レベルというか、TVに出るくらいまでのレベルというかなんというか。
そういう人って、俺とは全く違うなって。
まあさあ、俺も昔は彼と似たようなクラス内の立ち位置だった時代はあるわけよ。
なんかクラスの中心になって、笑いを取るみたいなさあ。
小学3年以下だったっけかな?
そういう盛り上げるサイドの人というか。
でも俺は、その時、俺自身の笑いの実力がまだまだ未熟だと自分で理解していたわけよ。
だから自分で自分を「こんなものか」ってバカにしていたし、それにこんなことをして何になるんだろうって思ってたクァ絵です。
それに、内心彼らも俺のことをバカにしているんじゃないかっていう疑心暗鬼があったわけですよ。
いや、まあ、相手らも別にどうでもいいと思うけどな大半は。
なんかさあ、俺だけ糞みたいな精神性だったわけですね。
ピュアな彼らの精神と比較して、俺だけが老人だったわけです。
なんかこれは、親とのちょっとした角質はあるものの、別に全然良好だった家庭からして、生まれつきの性質というか、DNAで決定された正確だったのかもしれないが。
でももし、ここで俺が勘違いし続けて、クラスのリーダーに居続けるとか、本気になって芸を練習して自分が満足する笑いを取れるまで成長するとかすれば、俺は山本太郎みたいな立ち位置に慣れたのかもしれないと思うわけです。
でもそのことに対して俺はさほど興味をもてなかったわけです。他人の評価よりも実力を重視したい派閥だったからな。
でもまあ、賢いのは山本太郎の行き方だと思うけどな。
彼はもう、多分、一種のバカみたいないい意味で、だからこそ、芸能人として生きることができたし、原発事故の件も黙っていられなかったからこそ、国会議員になって日本を救おうとしているだなって。
それは多分、最初の道からして、彼が正直にまっすぐ生きられたからできたことなんだなって。
俺の方は、頭良く器用に生きようとして、それが過剰になりすぎて逆に不器用になっていた部分があるよね。
曲がりくなってたりポッキリ折れたりして、もうなんか目的地を見失ってるんよ。
なんかさあ、俺みたいにねじ曲がった生き方をしていたから、彼のようにまっすぐに歩くことができなかったのかもしれん。
まっすぐさ、まっすぐさが必要なのかな俺も