今の日本を予言していた【三島由紀夫の人生】 - YouTube
You Tubeのトップに来たからなんとはなしにみただけなんですがね。
なんというか、この人って今まで、なんか切腹したやべー小説家、みたいな、そういうイメージだったけども、まあ実際ヤベーやつであることには変わりないなとも思うんですがね。
でもなんというか、この人の人生だったり考え方だったり周囲の人だったりを見てると、なんというか、人々の心の支えでもあったというか。カリスマを感じるなと。
まあ右翼的な、愛国的な人というか、なんかそういうのって馬鹿にされがちだけども、というか実際馬鹿ではあると思うけども。
でもそのバカの性質が、なんというか、考え無しのボンボンノータリンっていう、今の政治家のようなベクトルではなく、情熱を持って色々と考えた挙げ句、一度決めたらとことん突っ走るみたいな、そういうタイプのバカというか。
なんか、こういうやつって必要だよねって。
生きててほしかったなと。
そういう好意的なものを俺は持っている。
なんというか、漢らしいというか、この人を信仰する人がいたというのも分かる気がする。
まあそりゃ、彼の言うことに100%賛同できるかどうかは別としてね。
具体的には、
なんかYou Tubeのどこかのコメントで、彼の主張を分かりやすく書いてくれた人がいんだけども。
この動画のコメントに、現代訳みたいな感じで書いてくれた人がいたんっだけどもね。
三島由紀夫は「天皇に権力を持たせないと日本は終わる」ということを言っているわけなんですけども。
まあ確かに。天皇がすごい人格者ならそれもいいと思うけども、でも悪い人が天皇になったらどうなるんだ?っていうね。俺的にそういう疑問がやっぱ残るよね。
つまりよく言われる、絶対王政において、その王様が善人ならその国はすごい発展するけど、悪人だった場合全員が地獄を見る、みたいな。
だからこそ民主主義なり選挙なりが必要、会議なり話し合い、国会が必要。その方が安全。
でもその分何かを決めるにも時間がかかりますよ。みたいな、そういう話あるじゃん?
王様が善人なら絶対王政こそがベスト。でも歴史的に見て必ずしもそうじゃないから民主主義が必要だと。
三島由紀夫の言うことは、天皇が、絶対的に人格的な、徳の高い人である、という前提であるわけなんだよね。
俺なりに推測するが、
何千年も続いてる人格なわけじゃん。天皇って。
人格、と表現したが、イメージとか。
割りと天皇って人格者ってイメージがあるじゃん。
いわばイマジナリーフレンド的な、皆で共有する人格を、天皇に求めている、すごい求めている。
なんかこう、重圧というかプレッシャーと言うか、その雰囲気を利用することことなんだろうと。
もしそのイマジナリーが、せいぜい数年程度のものならば破綻するかもしれないが、何千年も続いているなら…と。そういうことなのか?
いや、違うのかな。
俺は意訳して「天皇に権力をあたえる」と表現したけど、彼が言うに、「ある程度の権力を天皇が選んだ人に与えることができる」みたいな、そういうことを言っていたわけだけども、
つまりそういう、国会とか議員とか、民主主義的な権力以外に、天皇というもう一つの権力を置こう、みたいな、
そういうね、権力を分散させる、的な目的もあったんだろうかね?
まあ分からん。
まあね、とにかくね。今天皇制廃止とか言ってるやつは、どうなのかと思うわけですよね。
仮に天皇制が必要ないとて、今じゃないでしょ。
今日本が侵略されてる状況なわけじゃん。なんで不利にするようなこと言うわけ?
世界が完璧に平和になって何十年も経ってから議論するべき問題だろこれは。
今は逆張りで、愛国者というとダサいとか外国に支援で日本はないがしろにするっていう精神がトレンドだから、多くの日本人が被害を被ってるわけだからね
実際日本の政治家にはそういう売国奴おおいしな。今の首相とか売国奴の顔してるじゃん。
だから愛国心というか、そういうベクトルに寄せる必要があるよな。バランスのために。
そうしないとお前の好きなVtuberもアイドルも、被害に巻き込まれるかもしれんぞ。
戦争とか起きてさ。死んだらどうするよ。徴兵されたらどうするよ。
そんなことになるくらいなら愛国するだろ。
なんか愛国って戦争的な、暴力的なイメージあるけどそうじゃなくてさ、
ちゃんと日本人を守ろう、という意味での愛国。
国自体を守るために何人犠牲になっても良いっていうのは、それはもう独裁じゃん。愛国ではないと思うわ。
日本人を守るためには、そりゃもう全力で戦争を止めるために動かないといかんよね。山本太郎さんの意見に俺は賛同なんだわ。
それが愛国でしょう。
まあつまり、偏った「外国最高!日本死ね!」メンタルから「中米出てけ!日本最高!」に引き戻す必要があるだろ。
バランス的にね。
そしてそれができると思うんだよな日本は。外交だけで争いを止めることができる。
日本は生産力が高いっていうか、個々人の能力が高い国だから、国交断絶しても政治がベストを尽くしさえすれば普通に豊かに生活できると思うんだよな。
だってお金自体はいくらでも作り出せるし、それで農家に補助金を与えればどんどん参入する人が増えるわけでしょ?
そしたら輸入に頼る必要ないよね。国内自給率100%にできるよね。
仮に多少品物が少ないとしても、これが平和のため、安全のためって誠意を持って説明すれば納得してくれると思うんだよな。日本人ってそういう義理堅い部分あるからな。
まあ昔はそういう義理堅い部分を利用されて、無茶なことさせられてるわけだけども、まあ今も割とそうかもしれんが。
ともかくね、日本人は優秀だから政治さえまともなら輸入に頼らなくていいし、それで困るのは相手の国なんだから、それをカードに外交すればいいじゃん。
でも、それができないと。日本軽視メンタルのせいでね。日本オワタメンタルのせいで。
だからこの愛国メンタルというか、それが今必要になってきてる時代になってきてるのかもなって。
だから三島由紀夫に惹かれている俺がいるのかもしれない。天皇を重要視するってのも少し疑問があるが、分かる。天皇は愛国のシンボルだからね。
だいたい「天皇廃止!」とか言ってるやつって、日本侵略しようとしてるやつじゃん。日本を奴隷にしようとしてるやつじゃん。
そういう試験薬的な役割もあるし、あらかじめ宗教に入ってれば別の宗教にかかりにくいみたいな役割もあるよね。
なんか天皇を崇めるって、宗教っぽさがあるけども、でも宗教と違って教義とかがあんまないのがね、なんか有用だなと。
三大宗教って「教義」「経典」があるからこそそれを利用されて戦争とかに使われるわけじゃん。
「地獄に生きたくないなら我々の宗教に入りなサーイ!!」「私達の経典ではこういってるので~」みたいな、そういう拡散性や強制性が、天皇にはないわけじゃん。
そう考えると宗教のいいところどりをしてるよな天皇って。
しかしまあ、その話は置いといて、彼が愛国者であるとかそういうことは置いておいても、彼のそのなんというか、真剣さとかひたむきさみたいなものに対して俺は好感を覚えたし、そういうところに皆は惹かれたんだろうなと。
なんかそういうのって分かるじゃん。上っ面だけで言ってるかどうかとか、割と人って敏感だからな人に対しては。
宗教の作り方、みたいな本に「宗教の開祖の素質は、本人がそれを本気で信じてるかどうか」みたいな話があったけども。その点三島由紀夫はそれをパスしていたと思うんだよね。
問題は時代が彼のような考えを求めていなかったということだよね。
海外文化の流入は、遅効性の毒というかね。
いや確かに良くなった部分もあると思うけども、なんつーか今まで持ってた日本の良い部分を捨てることになったというかね。
それで日本と言って良いのだろうか。
でもアレだよね。
三島由紀夫の自殺について言わせてほしい。
なんで自殺したんだっていう。そういうところはなんか、本気で「なにやってだ…」というか、なんか完全に間違ってますよ的な。
それだけが彼の欠点というか、ダメなところと思ってたんですよ。
もしその主張を通したいと本人が思ってるならば、生き続けて書籍とかでそのことを言い続ければよかったじゃん。
そのほうが自分の考えを世間に浸透させることができるじゃん。と。
まあ確かに、自殺することのほうが効果が高いならば、日本人の目を覚まさせることができるというのならば、その選択も正しかったと言えるだろうがね。
でもそれよりも、その主張を何十年も言い続けるほうが効果が高いのではないかと俺の中で思うわけですよ。
だってさ、中身のない薄っぺらい薄汚い金儲けでしかないカルト宗教でさえ、何千何万人に勧誘し続ければ組織がデカくなるっていうのに。
それに比べれば三島由紀夫の主張は何億倍もマシというか、カルト宗教の手法を真似ればよかったんですよ。まあ確かに意地汚いかもしれないが自殺するよりかはマシというか。そうすれば彼の目的も達成できたはずですよね。実際彼を信仰する組織があったらしいし。
俺は彼の自殺について、そういう評価なわけです。もったいないことをしたなと。
別に死にたくて死んだのではなく、ナニカ結果を残すために自殺したのならば、その結果を残すためにやることがあるのではないかと。
でもね、なんというか、この考えのあとに、後も思ったのです。
「でもそれが三島由紀夫だったのではないか」と。
なんか、そういう人じゃないわけじゃん。情熱の人なわけじゃん。バカと感じるくらい真っ直ぐなわけですよ。見てると。
なんというか、自分もそれとは関係ないが、色々と夢というか、欲というか、そういうものがあるわけですよね。
でも仮にその願いが叶ったとして、それは必ずしも幸せなことじゃないのかもしれないし、幸せになれるかもしれないが。
でもそう考える俺こそが本当の俺なわけじゃん。誰にバカにされようとも。俺が生きてるかぎり進まないといけない道なわけじゃん。
もしそれを諦めたら生きてる意味ないよね。死ぬしか無いよね。
だからそれに少しでも近づくために行動するわけじゃん。
三島由紀夫の自殺も、そういう信念によるものだったってことだったんだろうか。
彼があの行動を取ったのは、彼なりの美学なり、情熱なり、そういうものがあったのかもしれないと、そう思ったわけですよ
いくらまっすぐとは言っても、頭がいいんだからどうなるかぐらい分かるじゃないですか。
どのくらい痛いのかとか、そういう覚悟をするわけじゃないですか。
なんかそういう彼の心情みたいなものを、「合理的ではない」「何やってだ」と片付けることは、どうなんだろうかね。
もしかして、そういうのに憧れていたのかもしれない。若くして死ぬとか。
少なくとも、その行動には、彼なりのそういう美というか、センスというか、そういうのが絶対あったと思うんですよね。
俺もまあ、30歳までに何もできなければ、老うだけなんだから死ぬべきと考えていたこともあったわけなんですがね。まあ今では少しでもあがこうと思ってますが。
あと、まあ三島由紀夫の自殺の前の、自衛隊の偉い人を人質に取ったみたいなのもね、批判されてそうだけど
正義や熱意があるなら許せちゃうみたいな。そういうところあるよね自分は。
正当な、ある程度納得できる理由があれば、ある程度ルールを破るのも致し方なしと。情状酌量の余地があるのではないかと。
ルールを守ること自体は重要じゃなくて、正義を守ることが重要なんじゃないっすかね。正義のためにルールが存在するわけじゃん。
「警察は正義の番人ではなくルールの番人」とか言う言葉を聞くと、「へー、じゃあルールで罪のない一般人を殺しなさい、って言われたらその通りにするんだww」みたいな、そういう反論をしたくなるわけっすよ。
実際海外ではなんか独裁国家があるわけじゃん。偉い人ならいくら殺しても捕まらないみたいな。そういう地獄なわけじゃん。共産党とかさあ。
その場合、いくら殺人が悪いこととは言え、そういうゴミをお掃除することは、俺は責めきれないし、むしろ正義だとすら思う。
批判されると思うが山上容疑者も俺は嫌いじゃないし。
なんか現代はさ、逆にルールに縛られてすぎてわけじゃん。
やれポリコレだの、やれうんち校則だの。インボイスだの増税だの汚染垂れ流し法案さあ…
それはさあ、ルールだから守らないといけないことなんだけども、
でも今に生きる人間はそれに従って損をし続けるっていうのがね。
汚染垂れ流し法案なんて、もうやっちゃったら後戻りできないわけじゃん。放射能汚染で何百年も汚染されたままなわけじゃん。
もしそういうのを通しちゃった後、「いや俺は垂れ流さないし、他に垂れ流すやついたらボコるわ」っていう運動が起きても、「おお~ええやん」ってなると思う。
偉い人に今、ルールで「これは正しい!これは悪い!」って決めてもらえないと、善悪って判断できないものだっけ?
自分で正しいか正しくないか判断できないんですか?
それは俺が決めますわ。
でも少なくとも三島由紀夫みたいなことは俺にはできないな。せいぜい赤紙が来たら逃げる程度の反骨だろうな。俺は。
っていうか逃げるだろ普通。今日本が戦争しようとか言っても全員逃げるし、匿うでしょ。
そんなのに、ミサイル作ってしゃもじ送って、核持ちアメリカとおてて繋いでロシアの核批判……自分から緊張状態を作っている日本政府…知能低すぎではないかな
まあ、後俺にできるのは、れいわ新選組を広めまくるということしかできない。
やっぱ選挙しか世の中を変える方法がないと思うんだよな。