たくさん人が周りにいる生活、感覚

なんか私はこの前、赤ちゃんぐらいの頃からなんか記憶があると言いました。

と言っても今流行りの前世的なものではなく断片的なものであり、おそらく夢に近しいものだと思います。

推測としておそらく生き物が持っている本能的なものに近いのではないかと思うわけですが。

例えばもし、仮に赤ちゃんが何もこの世界のことを何も知らない前提で生まれたとして、全くの真っ白だった場合、言語を「意味と音が一致しているもの」という前提から初めないといけないとか、そういう言葉の大前提を見つけるところから始めないといけないわけです。だからこそ生まれたばかりの赤ちゃんには「意味と音は一致している」という前提(本能)が最初からある、という推測があるわけですね。

 

そういうことをゆるなんとかラジオで行っていた。

 

他にも、眼の前の親が信頼できるみたいなそういう大前提的なことだったり、ミルクとか食い物を口にいれるみたいな、そういう最初から備わっている学習済みの本能があるわけですけど、遺伝子によってはもっと具体的な、前頭葉的な部分も受け継がれているのではないかと思うわけです。それが俺のこれなんじゃないかという推測。

 

その一つを思い出しました。いや記憶というよりも好きだなぁ…みたいなことです。

 

それが具体的にはどういうことかというと、なんというか、周囲にたくさん人がいるってことです。おそらく家族や親族がいて安心できるっていう、そういう安心空間を思い出しました。思い出すと言うか、感覚的なものというか。

 

おそらくこれも本能的なものなのだろうと思うわけです

 

何故かと言うと、何度か親戚の集まりでご飯を食べたりしたことはありますが、そういう人たちはなんかそういう安心感とは別だなと思ったわけです。そこまで安心感を感じない。むしろ不信感のほうが強かった。

 

だから、この感覚は経験から来るものとかではなく、本能的なものなんじゃないのかなと思うわけです。

つまり本能的に群れでまとまったほうが生存確率が上がるわけだから、「親族を頼れ」みたいなそういう学習がプリインストールされているのではないか

 

 

でもなんというか、一人で行動することが多いわけですが私は。そしてかつ、一人で行動したいと思っているわけですよねなるべく他人の手をカリたくない、いや借りるとしても最低限にしたいなと。

まあメリットがあれば別にいいんですけどね。でもできるだけ把握できる人数に治める、そのほうが危険度が少ない。大規模になるほど組織は予測不能になるわけですから。というか怖い。危険じゃん。他人なわけだし何を考えているのかわからない。基本的には裏切られる前提でやらないといけないわけですよね。

 

だがその一方で、話は戻すが、前述の周囲に人がたくさんいて安心できるなと言う感覚。

この記憶はおそらく本能的なものであり、なんというか「俺を守ってくれる」感というか、そういう感覚。いわば森のようなもの。

そう、そいつらは立っている。そいつらが座っている前提はない。そして俺は寝ている。おそらく赤ちゃんだからなんでしょうね。そしてそいつらが立っているお陰で風が吹いても俺は守られている、という感覚になるのです。

 

 

なんというか、前述の一人でいる感覚も悪くはないと思っているわけですが、その対比によってより強烈に思える記憶なんですよね。対比によってこういう感覚は掴むことが出来るとおもうわけです。

 

もし世界にハンターハンターしか漫画がなかったら、対比するものがないわけですからハンターハンターをすごい漫画だとは思えないわけです。でも他に比較する漫画があることでハンターハンターの感覚が分かるわけです。

 

それと同じように対極にあるものを掴んだという感覚というか、

 

 

そして思うのですが、なんかよく「一人は寂しい…」みたいなことをアニメや創作の中であります。なんかよく群れたがるじゃないですか。まあ確かに寂しいっちゃ寂しい部分もありますが、しかし、そこまで辛いことか?とも思えるわけですよね。

 

まあそう思うのは私がそういう人間でもあるからなんでしょうね。なんというか俺はある意味での天才なので、やりたいことがたくさんあるわけです。

 

なんというかギアが重いというか、こうしたいという思いがあってもそれをすぐさま実行に移せないというかそれをするには金がかかるよね、でも奇抜だからやりてえなって思うわけです。

 

もっというと、この世の中って大部分は大したことねえなっていう部分もあるわけです。例えばゲームとかもあんだけ開発費があるなら自分が考えるゲームを開発してもらいたいなみたいな。まあ自分だけがオモシロイと思ってたとか、作ってみたらそうでもないっていうパターンもあるでしょうけど、ゲーム以外にもそういうのがあるので、やはりやりてえな。

 

だがしかしそういうことをするってなると、周囲の有象無象が邪魔っていうパターンもありますよね。まあもちろん手伝ってくれるっていうパターンもあるけども。

 

なんかこう、前述の通り、あの記憶自体は人がたくさんいて安心っていう思いがあるわけですけども、同時に人が嫌だな~みたいな感覚もあるわけです。

 

もう一つ記憶があるわけなんですが、なんというか自分のことをすごいバカにしてくる記憶があるんですよね。なんか幼少期からほんの少しある感じがするというか。

 

いやバカにしているというか、笑われてるというか笑いものにされている記憶があるわけです。

これは本能的なものではないかもしれません、多分昔笑われた記憶とかが純化したものなのかもしれません。前述の自分がやりたいことをすごいバカにしてくるんですよね。

そういう感情の核があるからこそ人が嫌いなのかもしれません。