私は思うのですよ。
この世はプラスとマイナスのバランスによって成り立っている(部分がある)
いや、正確には、
人の精神はプラスとマイナスのバランスによって成り立っている。
もっと正確に言うならば、
自身の精神を高めるためには、プラスのことだけではなく、マイナス要素も必要なのではないか。と。
これは全く実証できない、もしかしたら他人に取っては全く通用しない気もするのだが。
自分の人生にだいたい当てはまる気がする
つまり人生をクリアするためにする行動だけでは、成り立たないと思ったのです。
例えば、俺は漫画のイラストを練習しているのですが、常にイラストの練習をしているだけでは、イラストがうまくなるわけがない。と。
常に最適解を選んでしまうと、俺のレベル以上のことをしてしまうので、俺の精神のバランスが保てなくなる。
がんばった分だけ、ごほうびだったり、あるいは、何かマイナス成分が必要なのです。
がんばった分だけ癒やしが欲しい、何か安心できるものがほしい。
そういうところがある。経験的に。
まあ、つまり、頑張ったら休む。何か成功したら祝い事をする、だとか、
それが普通だろ?という考えもあると思いますが。
RTA的に考えるならただイラストの練習だけをしていればいいじゃないですか。それが最適解。意味のある行動だけを取れば良い。それはたしかにそう。
でもそれだと疲れる
だから、人は無駄なことをするんだろうなと。
酒たばこをして、女を抱くんだろうなと。
ダメなことをしてバランスを取ろうとするのだろうな。と思ったのです。
まあ俺はあまりそういう不健康なことをしたくないから、ゲームを見たり動画を見たり、ネットサーフィンしているんですがね。
最適解だけしようと、精神のバランスが崩れる感じがするというか。
プラスしただけ、別のステータスが下がっていくような気がするのですよ。SAN値とか。揺り戻し的な。
そういった、経験則的なオカルト法則が俺の中にはある。
まあオカルト法則というか、普通のことでもありますが。
頑張ったら休む、起きたら寝る、運動した後にご飯を食べる、みたいな。
そういった当たり前のことをただ法則とか言っているに過ぎない。
そういった、陰陽論的な、光あるところにはヤミがある的な。
人の精神にはそういうところがあるなと。
何か愛情深い人でも、これだけは絶対に許せないというものがあったり、
どんなに賢い人でも、一点だけバカな側面があったり
どんなに優れた人間であってもプラスだけじゃないと。マイナスの、ダメダメな要素があって当たり前だなと。
そういう前提において、”暴力”というのは、とても癒しになるなと。
まあ本当に暴力を振るうというわけじゃない。
なんというか…最近多いじゃないですか。どうしようもならないこと。
まあどうしようもならないことは大昔からいくつも起きてるんでしょうけど。
これからもまあ、社会がもっと進化しない限り定期的に起こるんでしょうけど。
それがストレスでした。
そいつらを全員皆56しにしたい。
でも想像の中なら…できる!
妄想内なら、暴力で相手を血袋のようにできるじゃないですか。
この世から抹消した気になれて、とても安心できるのです。
私には、そういう、リセット願望的なものがあるのです。
だから、創作上の上の、人体破壊、死亡、破滅は、そういった開放感があって良い。
まあリアルなら恐ろしいことでしょうが。
まあリアルでも山上首相銃殺事件とかでも、色々なことが解決しちゃってるし、暴力に一定の正当性を持たせた今の政治の罪は重いと思うが、
まともな人間の暴力というのは、正当化される風潮を強めるべきだと思うのですよ。
正当防衛とかも、反撃しすぎると罪になるとか言われてるのが納得できない。
普段人を殴ったりしてない人が、そんなに調子良く手加減できるわけねーだろ。本当にバカだよなぁ…
まあともかく、なんというか…暴力って、いいなって。
正確にいうなら、普段暴力を振るわない、まともな人が振るう暴力というのは、大体正当な理由があるはずなので、良い。
具体的に言うなら、いじめられっ子がいじめっ子に反撃のために振るう暴力は、それがどんな後遺症をもたらすものであれ、それが社会にとって、その子にとっての癒やしになるとか。
仮に日本に戦争を仕掛けられたとして、その反撃としての暴力もまた、世界にとっての癒しになるのだろうなと。
まあつまりどういうことが言いたいのかというと。
暴力というものは、そのイメージに反して、俺の癒やしとなっているのだと。
そういう事実に気がついた。