この前の記事で、俺は「人間の素のステータス、自頭の良さみたいなものっていうのは、心技体で表現できるのではないか」といった。
それについて深掘りてきなことをしていきたい。
ここでいう心技体とは、まあ色々と定義があるんだろうがここでは、
心「精神力、土壇場で落ち着いたり、粘り強く取り組んだり、集中したり、強気になったり逆に引くことができるような力のこと」
技「頭の良さ、手先の器用さ、特定の作業をスムーズに行えるようにする力のこと」
体「健康度、あるいは筋力だったり持久力だったり肺活量だったりといった肉体の力」
となるわけですが、これって結構、技と体って似ている部分があるよなっていうところがある。
割りと頭のいい人間っていうのは、健康じゃないですか。逆に健康でなければ頭が回らない、なんてことあると思います。
逆に言えば、頭が良くないっていう人は、そういう健康的なところを意識するべきところもあるよなって。
まあでも不健康でも頭がいい人間っていうのもいるからね。
全く同じではない。
そして、心と体、そして心と技も似たようなところがある。
例えば、肉体が健康ならば、それだけ自信を出すことができる、難解な問題に対して不健康な人が挑めるわけがない。
健全な肉体には健全な精神~じゃないが、そういうところもあるよね
そして、一つの分野の技を極めればそれだけ自信もつく、集中力も自ずとつくわけだから、心も鍛えることができるというわけです。
結局のところ、心技体というのは、割りと同じものではないかと思わんでもない。こう考えると。
しかし、例えば、ある技を極めるために努力するあまり、健康を度外視してしまうこともあるだろう。つまり、「体」を捨ててしまい、それが原因で心と技が吊られて低くなってしまう、ということもあるだろう。
こう考えると、心技体の考え方というのは、合理的というか、自分が何が不足しているか、あるいは何が強いか、を考えるにあたり、わかりやすい区分の仕方と言える。
特に前述した、健康を捨てる、体を度外視して行動するということは、誰しもあることだろう。
また、心を捨てて、技だけを極めまくる、トレーニングモードで技を極めても実践では動揺して通用しない、ということもあるだろうし、
あるいは自分が望まない分野で就職、挑戦するなどといった場合も、自分の精神がそれを嫌がっているわけだから、心を捨ててしまうわけで、その分不利になる。
そして、技を捨てて、ひたすら肉体の健康度を高め精神力を極めるために瞑想をしても、それで自分は安定するだろうが外側から見て評価されづらいということもあるだろうね。それで金が稼げなくなって体と心も貧しくなるなんてこともあるだろう。
心技体ときくと、なんか古武術的というか、よく道場の掛け軸にありそうなありふれた言葉というか、自分には関係ない言葉だと感じることもあるだろうが、
こうして具体例を使うと、心技体の考え方が結構身の回りに応用できるなっていうのがありますね。
考えるべきは、自分が何が足りないかであろう
例えば「「体」が足りないならば健康を考えて早く寝る」、とか、
心技体、3つ全てを意識するのではなく、足りないものを補充すると考えると、一つだけを考えるだけで済むので、良いと思います
大体偏ってるような気がするよね。人は。
「技は十分やってるから!それ以上やるよりも体をサポートするほうがもっと技を極められるから体だけ考えてろ!」
ってパターンとか。
「技も体も十分だけど心、つまり土壇場で緊張しないようにするほうがいい結果が出るからもっと実践慣れしろ」
とか、そういうアドバイスができるよね