もっとこう、心の庭を、適度に作るべきではないか

森博士という作家がいる

 

この人、割りと好きな作家というか。

 

続き物の長編小説を主に書いているがたまに短編集を出している。それが面白い。

 

長編小説は正直キャラに愛着がないとつまらないかなっていう感じ。

 

そしてこの人が出す、生き方のコツ的な、ハウツー本があるんですが、その中にこういうのがあった。

 

 

「ココロの中に、庭があり、そこに種や水をまいて、自分がただそれを収穫するだけでいい」

みたな事を言っていたわけです。

 

そのことを、最近すごい実感するというか。

方針的なものがあるわけですよね。

 

つまりどういうことかというと、アイディアを言うのは、自分が掴み取るものではなく、与えられるものなのだと。そういう感じのことだと思うのですよね。

 

 

え?逆じゃね?なんかそういうハウツー本で、そんなこというの?みたいな。

 

なんか普通は、「勝利は自分の手で掴み取れ」みたいな話じゃないのって思うかもしれないが、

違うんですよね。

 

なんかこう、アイディアなり、上達なりっていうのは、自分の自我100%で獲得するものではなく、「自動的に出てしまうもの」だと思うんですよね。

 

まあ一日中、ずっとそのことについて考えていたり、ずっと何かを鍛えたりすればその分上達するのも早いことは早いのかもしれないですが、

 

しかしそれによって掛けたコスト、時間と、リターンが必ずしも効率的とは言えないんだよ思います。

 

疲労度もあるし。

 

それに脳っていうのは、一旦休んでからのほうがなんか情報を整理されていい感じになるって聞きますし。

 

つまり、ナニカ自分に情報を取り入れて、インプットを入れてから、すぐにアウトプットを期待するのではなく、見えない部分でその情報を消化するのを待つ、みたいな。

 

 

 

俺はそれができないんですよね。

 

 

 

作品作りでも、ナニカ一つの作品をすぐにでも完成させるみたいな。

 

一つの物事に対して熱中して、それをすぐに今すぐ完成させるみたいな、そういうことをしているわけです

 

何が問題が起きたらすぐに解決しようとするみたいな。

 

それによって、たしかに速度は早くなるのかもしれないですが、掛けた労力とリターンというのが、非効率だなと実感するわけですよね。

 

このブログだって、なんか次に書く言葉が思い浮かばないなってなってフリーズすることがよくあるわけですよね。

 

たとえるならば、壁にドリルで穴を開ける時に、ここから先の石が硬いなってなったら、別の場所を試したらあっさり開通するのに、ずっと同じところを攻め続けるみたいな。

 

実際、現実でそういうこと多いよな。ある一つのことに集中するのもまあ、たしかに大きいスケールで見れば有効ではある。

でも小さいスケールで見れば、やっぱり一つに集中するのではなく色々と試したほうが強いんじゃないの?って思っている。経験上。

 

例えば、Blenderで作品を作りたいと思って勉強した時期があるのですが、

3Dをずっと何年も練習し続けるっていうのは良いと思うですよね。

Blender、イラスト、小説って、点々とするのではなく、その中のどれか一つを練習するほうが、効率がいいことは確か。

でもBlenderと一口にいっても、作成方法は色々あるわけですよね。スカルプトとか何かエフェクトを専門にするのか、アセットで人形を動かすのかとか、カメラワークやライティングとか。

でも俺は、スカルプトとかで人形を作ることに集中して、他は疎かになるわけです。そして何かに行き詰まったら、もうだめだぁ~って言って時間をムダにするわけですよ。

 

そういうふうに、大きいスケール(3DCG)で、一つのことに集中するのは良いと思うけど、小さいスケール(3Dモデル作成)に集中するのはいかがなものかと。

 

そうなんだよね。

 

そういう時に一旦別のことをしよう、休もうってことが俺には苦手だった。まあ今は、そうなった場合「あっ、今フリーズしてた!やばいやばい」って、別のことをするみたいな、そういう癖をつけようとしているところなんだけども、たまにやってしまうね。

 

 

 

だからこそ、心の庭の考えが、すごい分かるなというか、俺に合っているわけですわ。

 

なんか、俺がなぜそういうふうに、集中してしまうのかというと、不安だからなんだよね。

 

そういう、成長している実感がないと安心できない。だからそうやって、すぐに即物的に目に見える効果を追い求めてしまう。だから失敗するとすぐムキになってしまうわけですよ。

 

でも別に失敗して行き詰まったとしても、成長しているというか、誰かが「失敗はそれができないということがわかっただけ」みたいな事を言ってますけど、正しくその通りなので、少しずつ進化していっているわけですよ。

 

いやなんというかさ、そういう、感じ取れない自分の中の変化みたいなものを、意識するというか、

 

もし仮にこれが全部無駄だったとしても、なんかこう、俺の心の領域みたいなのは進化していて、これが別の分野で約だったりするんじゃね?っていう、

 

そういう空間を意識するべきなんじゃないかなと。